<円覚寺の桜(1)>
思い立って(というほどでもないが)、鎌倉に平成最後の桜をみにいくことにした。
今年の桜はめずらしく長持ちしているからまだ間に合うだろう。八幡宮あたりは間違いなく混むだろうし、一番手近の鎌倉の寺である円覚寺に決めた。
北鎌倉駅で降り、ホーム先頭にある臨時改札口を使って外に出る。
円覚寺の総門は目と鼻の先である。
円覚寺だが、鎌倉時代後半の弘安五年(1282年)に北条時宗が元寇の戦没者慰霊のため創建、宗より招いた無学祖元禅師によって開山された。
臨済宗大本山「円覚寺」の正式名称は「瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんこうしょうぜんじ)」という。
寺名の由来は、建立時に土の中から大乗経典の「円覚教(えんがくきょう)」という唐時代の教が入った石箱がでてきたことからで、そのため「えんかくじ」ではなく正しくは「えんがくじ」と読むそうだ。
山門への階段そばに桜が咲いていた。どうやら間に合ったようである。
山門(三門)は三解脱門(空・無相・無願)を象徴し、諸々の煩悩を取り払う門とされる。参拝者はここを通って娑婆世界を断ち切り、清浄な気持ちで仏殿をお参りする。
山門を抜けた正面が、本尊の「宝冠釈迦如来」を祀った「仏殿」である。
選仏場。
修行僧の座禅道場で、薬師如来が祀られ、大慈大悲観世音菩薩像が安置されている。
居士林(こじりん)。
居士とは在家の修行者のことをいい、居士林は禅を志す在家のための専門道場で、堂内には不動明王が祀られている。現在では学生や社会人が雲水と同じように修業する。
円覚寺には「かなちゃん」と「しいちゃん」と名づけられた二匹の猫がいるらしい。運が良ければ逢えるかもと、きょろきょろしながらのんびり散策するわたしを、姿勢の良い若い僧侶が足早に追いぬいていく。
仏殿裏の桜が真に見事であった。
爛漫と咲きほこる桜花に頸椎をやられている首がどうにもくたびれて下にふと視線を落とせば、なんとこちらにも、わたしも忘れないで見てねとばかり咲く紅い牡丹をみつけてひそかに狂喜してしまった。
― 続く ―
→「江島神社参拝」の記事はこちら
思い立って(というほどでもないが)、鎌倉に平成最後の桜をみにいくことにした。
今年の桜はめずらしく長持ちしているからまだ間に合うだろう。八幡宮あたりは間違いなく混むだろうし、一番手近の鎌倉の寺である円覚寺に決めた。
北鎌倉駅で降り、ホーム先頭にある臨時改札口を使って外に出る。
円覚寺の総門は目と鼻の先である。
円覚寺だが、鎌倉時代後半の弘安五年(1282年)に北条時宗が元寇の戦没者慰霊のため創建、宗より招いた無学祖元禅師によって開山された。
臨済宗大本山「円覚寺」の正式名称は「瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんこうしょうぜんじ)」という。
寺名の由来は、建立時に土の中から大乗経典の「円覚教(えんがくきょう)」という唐時代の教が入った石箱がでてきたことからで、そのため「えんかくじ」ではなく正しくは「えんがくじ」と読むそうだ。
山門への階段そばに桜が咲いていた。どうやら間に合ったようである。
山門(三門)は三解脱門(空・無相・無願)を象徴し、諸々の煩悩を取り払う門とされる。参拝者はここを通って娑婆世界を断ち切り、清浄な気持ちで仏殿をお参りする。
山門を抜けた正面が、本尊の「宝冠釈迦如来」を祀った「仏殿」である。
選仏場。
修行僧の座禅道場で、薬師如来が祀られ、大慈大悲観世音菩薩像が安置されている。
居士林(こじりん)。
居士とは在家の修行者のことをいい、居士林は禅を志す在家のための専門道場で、堂内には不動明王が祀られている。現在では学生や社会人が雲水と同じように修業する。
円覚寺には「かなちゃん」と「しいちゃん」と名づけられた二匹の猫がいるらしい。運が良ければ逢えるかもと、きょろきょろしながらのんびり散策するわたしを、姿勢の良い若い僧侶が足早に追いぬいていく。
仏殿裏の桜が真に見事であった。
爛漫と咲きほこる桜花に頸椎をやられている首がどうにもくたびれて下にふと視線を落とせば、なんとこちらにも、わたしも忘れないで見てねとばかり咲く紅い牡丹をみつけてひそかに狂喜してしまった。
― 続く ―
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