<強記の蕎麦屋>
平日の昼時、木場の蕎麦屋「花村」はさながら戦場である。
五十席余りの店内に、行列する客を片っ端から押し込んで三回転くらいさせちゃうのだ。相席は当たり前の、その注文の弾が雨あられと飛び交う戦場を、強記の女性スタッフたちが飛び回って仕切るのである。
「おれ大盛」
店名と勘違いするほどのここの名物、「志の田そば」を頼む客の多くは蕎麦の分量しかいわないのである。
「カツ丼」
「ここ特盛のつゆあつ」
「特々(盛)のつゆあつ!」
「超特(盛)のめんあつ!!」
「もり蕎麦の大盛ね」
この六人分の注文を紙に書かずに記憶して、厨房へもどる途中でも「お冷やくれる」「そば湯くれ!」「こっちビール一本」などと集中砲火のような声をもしっかり受けとめ、さらに呼びとめられて言われた三人分の注文もすべて頭にいれる。つまり十人前以上の注文、それぞれの客のテーブルと席位置、そして順番も忘れない。この店はメニューの品数も多く、セットメニューもあるので苦労するだろう。
それにしても惚れ惚れしてしまう離れ業ぶりである。
テーブルに頼んだ品と伝票が届くのだから、厨房に戻ってからすぐさま書いているのは間違いない。
この店の女性店主と女性スタッフたちは誰もが恐るべき「強記」なのだ。多少記憶力に自信があるわたしでも、昼時に働いたら五分と持たず泣き崩れてしまうであろう。
最後の注文「もり蕎麦の大盛ね」がわたしである。この蕎麦屋の人気メニューが志の田そばで、ほとんどのひとがこれを頼むのだ。「大もり」と簡単に注文すると志の田の大盛りがきてしまうのが厭なので、わざわざ回りくどく言ったのである。
そばの量が「並」、「大盛」、「特盛」、「特々(盛)」、「超特(盛)」、「超超」と半人前ずつ増える。志の田そばは、これに麺とつゆの温と冷が加わるので実に複雑極まる注文になるのだ。
「志の田そば、食べにいかないか」
自称蕎麦通の先輩がこう言って、隠れ蕎麦通であるわたしをよく誘ったものである。
このころのわたしといえば、もり蕎麦こそ蕎麦の正道、志の田そばは邪道と決めつけていた。
だから、先輩は志の田の「特々」を、わたしはもり蕎麦の大盛を常に注文した。ざっと百回はもり蕎麦を食べただろう。頑固一徹、志の田に浮気したことはただの一度もない。
あれから幾星霜過ぎた・・・。
旅先で、高遠そばや越前そばに出逢って目からウロコを落としたり、冷やしたぬきそばにも凝ったりと、邪道でも旨ければそれでいいじゃないかとあっさり変節した部分もたしかにある。
そんなこんなで、志の田そばを食べてみたくなってきた。
久しぶりに出かけて行ったのだが、土曜日の昼時なのでさすがに行列はないが、八割がたの席は埋まっていた。
他のテーブルでも呑んでいるのを横目でチェックして、そば湯割りと、もり蕎麦と志の田そばを注文した。並が二つだから「特盛」の量である。まったく問題ない。
そば湯割りをチビチビ呑んでいるうちに、蕎麦も到着する。
まずは、もり蕎麦からいただく。
たいていの蕎麦通でも満足できるいつもの味である。旨い。手打ちでもマズいのはいっぱいあるし、機械打ちでも旨い蕎麦はけっこうあるのだ。
もり蕎麦を平らげ、さて、志の田の番だ。
もり蕎麦とは、麺の盛りかたとつけ汁が違う。つゆのなかに揚げ玉、カリッと炙った油揚げ、葱がたっぷり入っている。たぬきときつねが入っているから、むじな汁といえそうだ。
少量の蕎麦をつまみ、つけ汁に浸して恐る恐る食べてみた。
これは旨い! 思わず笑ってしまう。
冷やしたぬきが好きなひとなら狂喜する味だ。またまた目からウロコがポロリと落ちた。
きれいに食べ終わると昼時は煙草が吸えないので、お湯割りの追加はやめ勘定を払った。
(温かいつゆなら、揚げ玉と油揚げがゆるりとほどけてもっと旨そうだぞ。ふふふ。この次はぜひとも「特盛のつゆあつ」を頼むとしよう・・・)
花村のすぐ裏の、煙草が吸える「媽媽」に席におちつくと、眉間に皺を寄せ口元をゆるめながら沈思黙考するわたしであった。
→「木場の昼メシ」の記事はこちら
平日の昼時、木場の蕎麦屋「花村」はさながら戦場である。
五十席余りの店内に、行列する客を片っ端から押し込んで三回転くらいさせちゃうのだ。相席は当たり前の、その注文の弾が雨あられと飛び交う戦場を、強記の女性スタッフたちが飛び回って仕切るのである。
「おれ大盛」
店名と勘違いするほどのここの名物、「志の田そば」を頼む客の多くは蕎麦の分量しかいわないのである。
「カツ丼」
「ここ特盛のつゆあつ」
「特々(盛)のつゆあつ!」
「超特(盛)のめんあつ!!」
「もり蕎麦の大盛ね」
この六人分の注文を紙に書かずに記憶して、厨房へもどる途中でも「お冷やくれる」「そば湯くれ!」「こっちビール一本」などと集中砲火のような声をもしっかり受けとめ、さらに呼びとめられて言われた三人分の注文もすべて頭にいれる。つまり十人前以上の注文、それぞれの客のテーブルと席位置、そして順番も忘れない。この店はメニューの品数も多く、セットメニューもあるので苦労するだろう。
それにしても惚れ惚れしてしまう離れ業ぶりである。
テーブルに頼んだ品と伝票が届くのだから、厨房に戻ってからすぐさま書いているのは間違いない。
この店の女性店主と女性スタッフたちは誰もが恐るべき「強記」なのだ。多少記憶力に自信があるわたしでも、昼時に働いたら五分と持たず泣き崩れてしまうであろう。
最後の注文「もり蕎麦の大盛ね」がわたしである。この蕎麦屋の人気メニューが志の田そばで、ほとんどのひとがこれを頼むのだ。「大もり」と簡単に注文すると志の田の大盛りがきてしまうのが厭なので、わざわざ回りくどく言ったのである。
そばの量が「並」、「大盛」、「特盛」、「特々(盛)」、「超特(盛)」、「超超」と半人前ずつ増える。志の田そばは、これに麺とつゆの温と冷が加わるので実に複雑極まる注文になるのだ。
「志の田そば、食べにいかないか」
自称蕎麦通の先輩がこう言って、隠れ蕎麦通であるわたしをよく誘ったものである。
このころのわたしといえば、もり蕎麦こそ蕎麦の正道、志の田そばは邪道と決めつけていた。
だから、先輩は志の田の「特々」を、わたしはもり蕎麦の大盛を常に注文した。ざっと百回はもり蕎麦を食べただろう。頑固一徹、志の田に浮気したことはただの一度もない。
あれから幾星霜過ぎた・・・。
旅先で、高遠そばや越前そばに出逢って目からウロコを落としたり、冷やしたぬきそばにも凝ったりと、邪道でも旨ければそれでいいじゃないかとあっさり変節した部分もたしかにある。
そんなこんなで、志の田そばを食べてみたくなってきた。
久しぶりに出かけて行ったのだが、土曜日の昼時なのでさすがに行列はないが、八割がたの席は埋まっていた。
他のテーブルでも呑んでいるのを横目でチェックして、そば湯割りと、もり蕎麦と志の田そばを注文した。並が二つだから「特盛」の量である。まったく問題ない。
そば湯割りをチビチビ呑んでいるうちに、蕎麦も到着する。
まずは、もり蕎麦からいただく。
たいていの蕎麦通でも満足できるいつもの味である。旨い。手打ちでもマズいのはいっぱいあるし、機械打ちでも旨い蕎麦はけっこうあるのだ。
もり蕎麦を平らげ、さて、志の田の番だ。
もり蕎麦とは、麺の盛りかたとつけ汁が違う。つゆのなかに揚げ玉、カリッと炙った油揚げ、葱がたっぷり入っている。たぬきときつねが入っているから、むじな汁といえそうだ。
少量の蕎麦をつまみ、つけ汁に浸して恐る恐る食べてみた。
これは旨い! 思わず笑ってしまう。
冷やしたぬきが好きなひとなら狂喜する味だ。またまた目からウロコがポロリと落ちた。
きれいに食べ終わると昼時は煙草が吸えないので、お湯割りの追加はやめ勘定を払った。
(温かいつゆなら、揚げ玉と油揚げがゆるりとほどけてもっと旨そうだぞ。ふふふ。この次はぜひとも「特盛のつゆあつ」を頼むとしよう・・・)
花村のすぐ裏の、煙草が吸える「媽媽」に席におちつくと、眉間に皺を寄せ口元をゆるめながら沈思黙考するわたしであった。
→「木場の昼メシ」の記事はこちら
正式名称は「志の田そば」だったのですね!
最初に行った時、連れてきていただいた方に合わせて、何が出てくるか分からないのに、「とくとくのつゆあつ」と、オウム返しをした「あの日」を、思い出しました。
温泉さんのブログは、まるで「タイムマシン」ですね。訪れた人たちを、そっと懐かしいあの頃に運んでくれる様です。
ところで、この「とくとく」の食べ方ですが、唐辛子をつけ汁ではなく、麺の方にいっぱいかけた記憶があります。そしてここの唐辛子、あまり辛くなく、普通の2倍くらいかけていました。
いろんな事があり、今は違う町に毎日訪れる今日この頃で、この駅は、すっかり「おご無(ご無沙汰)」となってしまいましたが、また足を伸ばして、食べたいです!
「とくとく」が・・・
残念ですが、日曜日は閉店なんですよね・・・。
蕎麦ネタでコメントいただけるとは、まさに望外の喜び、ありがとうございます。
昨年、記事のなかの「自称蕎麦通」さんとと二度ほど呑む機会があり、木場の昼メシの話題でずいぶんと盛りあがりました。記憶力に自信がある二人ですが、蕎麦屋の名前「花村」が最後まで思いだせず、結局「志の田」という店名で通してしまいましたが・・・。
流行歌が記憶のあざやかな栞になるように、食べ物も旅や人生の立派な「栞」になると思っています。
酒場放浪記の吉田類ではありませんが、「もう、二、三軒いってみますので」。
今後ともご愛顧をよろしくお願いします。
では。