<高岡から、氷見へ(1)>
「あった! こんな街中に突然あるんだ・・・」
大仏のある場所だが意外と近く、訊いた道順どおりに駅からゆっくりめに歩いて10分くらいであった。
今朝は、福井のホテルで目覚めると買っておいた菓子パン一個と豆乳で朝食をすませ、一刻も早くという慌ただしさでおぞましい部屋を脱出した。この部屋だけはただちに記憶から抹消、金輪際思い出したくもない。
昨日みつけた福井駅の喫煙所でゆっくりと一服してから、7時49分発の北陸本線に飛び乗り、金沢で乗換えて高岡に10時ちょっと過ぎに着いた。
いつ雨か雪が降りだしてもおかしくないくらいのぶ厚い曇天である。これではきっと、雨晴海岸から望む絶景は望み薄だ。駅で氷見線の、スカスカの時刻表を睨み、乗る時刻を決める。決めたのはほぼ正午なのでそれまで二時間くらいある。
まずは一服するかと、真新しい駅の付近で喫煙所を探すがまるで勘が働かずみつからない。
そこで、歩いている地元のご婦人に大仏までの道順を尋ねたのだった。往復する途中で、煙草が吸えそうな喫茶店でもあれば入るつもりである。
奈良、鎌倉の大仏と並び「日本三大仏」と称される「高岡大仏」は、鳳徳山大仏寺にある背にそびえる「円光背」が特徴の高さ約16メートルの阿弥陀如来坐像である。
初代と二代目の木製大仏が火災で焼失、「鋳物の町高岡」が焼失を三度繰り返すまいと、昭和八年(1933年)に再建された三代目で、青銅製である。なお、「円光背」は再建の二十五年後の昭和三十三年(1958年)に取り付けられた。
「おっ、灰皿があるぞ!」
これはもう小さな功徳だ。参道脇の大きなブリキ製の灰皿で一服していると、グループ参拝客の目ざとい愛煙家たちも集ってくる。しかし、吸い始めてすぐに、ポツリポツリの雨だったのが、傘が必要なほど雨脚が強まってきた。
駅に戻って駅ビルをぶらぶらしていると、見知った馴染の「イタリアントマト」を発見した。しかもなんと喫煙席もある。
大仏からの帰り道、わざわざ商店街を抜けたりしたのだが、煙草を吸えそうな喫茶店はまるでみつからなかったのに、だ。チキショウ、こんな近くにあったのかよ。
まだ時間があるので、ここで煙草を吸いながら本を読むことにした。「チリドッグとコーヒー」といいかけ、旅先の高岡でそれもないなと思いなおし、コーヒーだけを注文する。習慣とは恐ろしい。
12時3分、氷見行きは定刻通り高岡駅を出発した。
単線・非電化のローカル線に乗り、無骨な車両で揺られながら車窓の外の流れる景色をみていると、
(遠いところを旅しているなあ・・・)
とまさに全身で実感できる。
氷見線は短く、始点の高岡から終点の氷見まで30分、途中の雨晴(あまはらし)までは20分ほどである。
予定では、雨晴駅で降りて、雨晴海岸から、海越しに見る雪を戴いた立山連峰の絶景を撮りたいと思っていた。とにかく今日は雨模様の曇天、所詮天気には勝てるはずもない。
氷見泊まりなので、まだ明日があるとあきらめて通過した。
その明日だが初雪が降り、こちらもダメだった。
氷見から立山連峰をみることができるのは、一年に五十日あまりだそうだ。つまり三百日はみることがかなわない。しかも、みることができても<一日中>というのは稀も稀なことという。よほどの強運を持っていないと絶景にはお目にかかれないのである。
終点の氷見駅である。
氷見といえば一番の名物は“寒ブリ”。帰りのとき気がついたのだが、その寒ブリが、駅舎の屋根の雪割り瓦が配置されていた。
― 続く ―
→「鎌倉大仏、美男におはす」の記事はこちら
「あった! こんな街中に突然あるんだ・・・」
大仏のある場所だが意外と近く、訊いた道順どおりに駅からゆっくりめに歩いて10分くらいであった。
今朝は、福井のホテルで目覚めると買っておいた菓子パン一個と豆乳で朝食をすませ、一刻も早くという慌ただしさでおぞましい部屋を脱出した。この部屋だけはただちに記憶から抹消、金輪際思い出したくもない。
昨日みつけた福井駅の喫煙所でゆっくりと一服してから、7時49分発の北陸本線に飛び乗り、金沢で乗換えて高岡に10時ちょっと過ぎに着いた。
いつ雨か雪が降りだしてもおかしくないくらいのぶ厚い曇天である。これではきっと、雨晴海岸から望む絶景は望み薄だ。駅で氷見線の、スカスカの時刻表を睨み、乗る時刻を決める。決めたのはほぼ正午なのでそれまで二時間くらいある。
まずは一服するかと、真新しい駅の付近で喫煙所を探すがまるで勘が働かずみつからない。
そこで、歩いている地元のご婦人に大仏までの道順を尋ねたのだった。往復する途中で、煙草が吸えそうな喫茶店でもあれば入るつもりである。
奈良、鎌倉の大仏と並び「日本三大仏」と称される「高岡大仏」は、鳳徳山大仏寺にある背にそびえる「円光背」が特徴の高さ約16メートルの阿弥陀如来坐像である。
初代と二代目の木製大仏が火災で焼失、「鋳物の町高岡」が焼失を三度繰り返すまいと、昭和八年(1933年)に再建された三代目で、青銅製である。なお、「円光背」は再建の二十五年後の昭和三十三年(1958年)に取り付けられた。
「おっ、灰皿があるぞ!」
これはもう小さな功徳だ。参道脇の大きなブリキ製の灰皿で一服していると、グループ参拝客の目ざとい愛煙家たちも集ってくる。しかし、吸い始めてすぐに、ポツリポツリの雨だったのが、傘が必要なほど雨脚が強まってきた。
駅に戻って駅ビルをぶらぶらしていると、見知った馴染の「イタリアントマト」を発見した。しかもなんと喫煙席もある。
大仏からの帰り道、わざわざ商店街を抜けたりしたのだが、煙草を吸えそうな喫茶店はまるでみつからなかったのに、だ。チキショウ、こんな近くにあったのかよ。
まだ時間があるので、ここで煙草を吸いながら本を読むことにした。「チリドッグとコーヒー」といいかけ、旅先の高岡でそれもないなと思いなおし、コーヒーだけを注文する。習慣とは恐ろしい。
12時3分、氷見行きは定刻通り高岡駅を出発した。
単線・非電化のローカル線に乗り、無骨な車両で揺られながら車窓の外の流れる景色をみていると、
(遠いところを旅しているなあ・・・)
とまさに全身で実感できる。
氷見線は短く、始点の高岡から終点の氷見まで30分、途中の雨晴(あまはらし)までは20分ほどである。
予定では、雨晴駅で降りて、雨晴海岸から、海越しに見る雪を戴いた立山連峰の絶景を撮りたいと思っていた。とにかく今日は雨模様の曇天、所詮天気には勝てるはずもない。
氷見泊まりなので、まだ明日があるとあきらめて通過した。
その明日だが初雪が降り、こちらもダメだった。
氷見から立山連峰をみることができるのは、一年に五十日あまりだそうだ。つまり三百日はみることがかなわない。しかも、みることができても<一日中>というのは稀も稀なことという。よほどの強運を持っていないと絶景にはお目にかかれないのである。
終点の氷見駅である。
氷見といえば一番の名物は“寒ブリ”。帰りのとき気がついたのだが、その寒ブリが、駅舎の屋根の雪割り瓦が配置されていた。
― 続く ―
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