< 銀山 >
帳場の脇の急な階段のところに部屋係りの仲居がいて、二階のほうに手のひらを
差し出した。
わたしは罰ゲームのように、背中にザックを背負い、重いノートパソコンと
バッグを両手に持ち、仲居さんに続いてハアハア登っていった。
「じゃあヨー」
階段を上がりきった二階で、手ぶらの仲居が振返って言った。
「・・・・・・」
じゃあよー?この野郎じゃなかったこのアマ、見た目は荷物運びかもしれない
が、客に向かってなんていう口をききやがる。失言じゃあすまねえぞ。自分でも
顔色が変わるのがわかる。
「もう一階サ上だからヨー、荷物イッコ持とかー」
この宿はどうも山形弁が売りらしい。アブナイアブナイ、危うくキレるところ
だった。
「あ、イエ、だいじょうぶですから」
ここは山形県、銀山温泉である。ここの温泉旅館は、どこもいつ電話してもなか
なかとれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/95/db8cd8c026d2b16b8ac0c8e7bca5bee1.jpg)
銀山温泉は浅い谷のようになっていて、細い道を下って底にいきつくと、真ん中
に流れる銀山川に沿って旅館が立ち並んでいる。谷であるから建物も奥行きがな
く、しかもほとんどが木造三階建てだから、部屋数は少ない。旅行会社で一定の
部屋数を押さえているせいもあるだろう。
この小さな温泉地が、人気があるのは、大正時代の三層とか四層の風情ある木造
旅館の建物と、温泉街全体の統一された落ち着きあるレトロな雰囲気からくるもの
だろう。闇に滲む柔らかなガス灯の明かり、しっとりした石畳、川に架けられた
いくつもの小橋・・・。肝心の温泉そのものも、薄い乳白色でなかなかいい泉質で
ある。含食塩硫化水素高温泉。匂いも湯の花も申し分ない。
今朝、試しに電話してみたらドタキャンがでたそうで、急遽泊まれることになっ
たのだ。しかも銀山川に面した温泉街にある「古山閣」という人気の旅館だ。
とにかく、思いがけく銀山に泊まれることになり、一日中ワクワクしてしまっ
た。ははは。単純このうえない。
案内された部屋は、三階の川に面した大きな部屋だった。十二畳。床の間が並ん
で二つあり、それぞれに掛け軸がかかっていた。天井が高い。ゆうに三メートル
ぐらいある。
「ゆっくりしてけらっせーなー」
お茶をいれて夕食の時間と飲み物を決めると、そう言って仲居は去った。
チェッキイング ターイム。冷蔵庫、あるな。よしよし。トイレは、と、おっ
と、最新式でねえの。オッケー。窓をあけると目の前が川である。日帰り客が
うらやましそうにみあげている。足湯やってるカップルと眼があっちゃった。
くっくっ。
部屋の仕切りの障子と窓までのあいだに、半間ほどの畳を敷き詰めた細長いスペ
ースがあり、そこに小さな座布団が三つ置いてあった。
(さあて、おんてん、温泉、と)
鼻唄歌いながらテキパキと浴衣に着替えると、江戸時代の錠前みたいな部屋の鍵
をかけて、一階に降りて帳場の前の内風呂にはいる。脱ぎ散らして勢いよく戸を
あけると、見下ろす浴室全体が重厚な石造りになっている。誰もいないではない
の、ラッキー。ドドドドと階段をおりていく。
石の四、五人入れる浴槽の横で、木桶に温泉を汲み、しばらく掛け湯を楽しむ。
ちょい熱めだ。いざ浴槽へ。
(じゃあヨー、はいるからヨー)
足先よ、待たせたな。両脚よ、待たせたね。以下省略で、すまんね。
ずぶりと肩まで浸かる。うう~。
ひと掬いの温泉を鼻先でとめ、薫りを味わう。うーん、硫黄のいい匂い。これ、
これだよ。湯の花も、あるある。
湯の注ぎ口にコップがある。迷わず汲んでゴクリ・・・塩気のある玉子の味が
する。
四肢を伸ばしに伸ばす。
(銀山に泊まれるとは思わなかったぜー。ふふふ)
小声でいいながら、誰もいないのをいいことに、顔を温泉でジャブジャブ、こす
り上げる。ゴクラク、極楽。銀山、最高。
フラフラで部屋に戻ると、なぜか旨そうな饅頭が眼にはいった。あまり甘いもの
は食べないが、これは旨かった。隣の亀屋という和菓子屋の亀饅頭である。銀山に
きたらお土産に最適である。わたしも二箱買ったから言わせていただく。ウマい。
夕食については、酒飲みで食わず嫌いのわたしとしてはとくに書くことはない。
ただ、シャブシャブはよかった。
早々に夕食をすませると、川沿いにある大湯という外湯に向かった。宿泊客は
無料で、一般客も百円ではいれる。三人もはいればいっぱいの浴槽であったが、
まだ食事時間なので先客がひとりしかいなかった。かなり熱めの濃いめの温泉だっ
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e9/c2024767ee8785a9a69dc2b9a47e98f6.jpg)
茹蛸のようになって宿にもどり、露天風呂にはいる。三階にあり男女が時間制で
交代である。男性は夜九時から朝八時までである。ちょうどいい温度であったが、
気を失ってもいけないので早めにあがる。
朝食のときに宿のほうで亀饅頭の注文を受けてくれた。食事後、歩いてすぐの滝
をみにいく。長雨が続いたからか、ダムの放水のようなド迫力の、ものすごい大量
の水であった。滝近くの喫茶店で、カレーパンを買おうと思ったら十時かららし
く、まだやってない。ここのは、全国ン千万のカレーパンファンのお勧めで、結構
うまいらしいのだ。カレーパン通としても、ゼヒ試してみたい。
十時にいったら、カレーパンは今日はやっていないとのことだった。馬鹿にして
いる。でも、いいか。ものは考えようだ。
じゃあヨー、カレーパンのためにもう一回来れるサー。
帳場の脇の急な階段のところに部屋係りの仲居がいて、二階のほうに手のひらを
差し出した。
わたしは罰ゲームのように、背中にザックを背負い、重いノートパソコンと
バッグを両手に持ち、仲居さんに続いてハアハア登っていった。
「じゃあヨー」
階段を上がりきった二階で、手ぶらの仲居が振返って言った。
「・・・・・・」
じゃあよー?この野郎じゃなかったこのアマ、見た目は荷物運びかもしれない
が、客に向かってなんていう口をききやがる。失言じゃあすまねえぞ。自分でも
顔色が変わるのがわかる。
「もう一階サ上だからヨー、荷物イッコ持とかー」
この宿はどうも山形弁が売りらしい。アブナイアブナイ、危うくキレるところ
だった。
「あ、イエ、だいじょうぶですから」
ここは山形県、銀山温泉である。ここの温泉旅館は、どこもいつ電話してもなか
なかとれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/95/db8cd8c026d2b16b8ac0c8e7bca5bee1.jpg)
銀山温泉は浅い谷のようになっていて、細い道を下って底にいきつくと、真ん中
に流れる銀山川に沿って旅館が立ち並んでいる。谷であるから建物も奥行きがな
く、しかもほとんどが木造三階建てだから、部屋数は少ない。旅行会社で一定の
部屋数を押さえているせいもあるだろう。
この小さな温泉地が、人気があるのは、大正時代の三層とか四層の風情ある木造
旅館の建物と、温泉街全体の統一された落ち着きあるレトロな雰囲気からくるもの
だろう。闇に滲む柔らかなガス灯の明かり、しっとりした石畳、川に架けられた
いくつもの小橋・・・。肝心の温泉そのものも、薄い乳白色でなかなかいい泉質で
ある。含食塩硫化水素高温泉。匂いも湯の花も申し分ない。
今朝、試しに電話してみたらドタキャンがでたそうで、急遽泊まれることになっ
たのだ。しかも銀山川に面した温泉街にある「古山閣」という人気の旅館だ。
とにかく、思いがけく銀山に泊まれることになり、一日中ワクワクしてしまっ
た。ははは。単純このうえない。
案内された部屋は、三階の川に面した大きな部屋だった。十二畳。床の間が並ん
で二つあり、それぞれに掛け軸がかかっていた。天井が高い。ゆうに三メートル
ぐらいある。
「ゆっくりしてけらっせーなー」
お茶をいれて夕食の時間と飲み物を決めると、そう言って仲居は去った。
チェッキイング ターイム。冷蔵庫、あるな。よしよし。トイレは、と、おっ
と、最新式でねえの。オッケー。窓をあけると目の前が川である。日帰り客が
うらやましそうにみあげている。足湯やってるカップルと眼があっちゃった。
くっくっ。
部屋の仕切りの障子と窓までのあいだに、半間ほどの畳を敷き詰めた細長いスペ
ースがあり、そこに小さな座布団が三つ置いてあった。
(さあて、おんてん、温泉、と)
鼻唄歌いながらテキパキと浴衣に着替えると、江戸時代の錠前みたいな部屋の鍵
をかけて、一階に降りて帳場の前の内風呂にはいる。脱ぎ散らして勢いよく戸を
あけると、見下ろす浴室全体が重厚な石造りになっている。誰もいないではない
の、ラッキー。ドドドドと階段をおりていく。
石の四、五人入れる浴槽の横で、木桶に温泉を汲み、しばらく掛け湯を楽しむ。
ちょい熱めだ。いざ浴槽へ。
(じゃあヨー、はいるからヨー)
足先よ、待たせたな。両脚よ、待たせたね。以下省略で、すまんね。
ずぶりと肩まで浸かる。うう~。
ひと掬いの温泉を鼻先でとめ、薫りを味わう。うーん、硫黄のいい匂い。これ、
これだよ。湯の花も、あるある。
湯の注ぎ口にコップがある。迷わず汲んでゴクリ・・・塩気のある玉子の味が
する。
四肢を伸ばしに伸ばす。
(銀山に泊まれるとは思わなかったぜー。ふふふ)
小声でいいながら、誰もいないのをいいことに、顔を温泉でジャブジャブ、こす
り上げる。ゴクラク、極楽。銀山、最高。
フラフラで部屋に戻ると、なぜか旨そうな饅頭が眼にはいった。あまり甘いもの
は食べないが、これは旨かった。隣の亀屋という和菓子屋の亀饅頭である。銀山に
きたらお土産に最適である。わたしも二箱買ったから言わせていただく。ウマい。
夕食については、酒飲みで食わず嫌いのわたしとしてはとくに書くことはない。
ただ、シャブシャブはよかった。
早々に夕食をすませると、川沿いにある大湯という外湯に向かった。宿泊客は
無料で、一般客も百円ではいれる。三人もはいればいっぱいの浴槽であったが、
まだ食事時間なので先客がひとりしかいなかった。かなり熱めの濃いめの温泉だっ
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e9/c2024767ee8785a9a69dc2b9a47e98f6.jpg)
茹蛸のようになって宿にもどり、露天風呂にはいる。三階にあり男女が時間制で
交代である。男性は夜九時から朝八時までである。ちょうどいい温度であったが、
気を失ってもいけないので早めにあがる。
朝食のときに宿のほうで亀饅頭の注文を受けてくれた。食事後、歩いてすぐの滝
をみにいく。長雨が続いたからか、ダムの放水のようなド迫力の、ものすごい大量
の水であった。滝近くの喫茶店で、カレーパンを買おうと思ったら十時かららし
く、まだやってない。ここのは、全国ン千万のカレーパンファンのお勧めで、結構
うまいらしいのだ。カレーパン通としても、ゼヒ試してみたい。
十時にいったら、カレーパンは今日はやっていないとのことだった。馬鹿にして
いる。でも、いいか。ものは考えようだ。
じゃあヨー、カレーパンのためにもう一回来れるサー。
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