<鮭の町、村上(2)>
鮭は「匂い」で生まれた川を識別して必ず戻ってくるという。
その「回帰性」を、世界で初めて発見したのも、江戸後期、村上藩の下級武士「青砥武平次(あおとぶへいじ)」だった。
そうして三面川の中州に、産卵に適した分流「種川」を設けて産卵しやすくして漁獲高を激増させたそうだ。回帰率だが、放流八百万尾に対して約三万尾、素人のわたしには途方もなく少なく感じる。
「㐂っ川」の通りにある、鮭を扱う店のなかには店内の奥ではなく歩道の頭上、店頭の軒下に鮭を堂々とぶら下げているところもあった。
村上の町を訪ね歩く、というのがわたしの今回の旅の、観光におけるメインテーマにしていたのだが、古い町屋と鮭が大量にぶら下がった極めつけ光景を目に焼き付けただけでほぼ満足しきった。ほんと来た甲斐があったぜ、と安堵していまは肩の力が抜けた状態である。
でもせっかくだから、すこし歩いてみるか。
村上ではこの五月、「城下町村上 春の庭百景めぐり」といって、寺、武家地区、町屋の庭を特別公開してくれていた。
鮭の町だから絶対に猫がいるはずだ・・・とあちこち居そうな所をきょろきょろ見ていたら、やっぱりみつけてしまった。
安善寺の創建は明暦元年(1655年)、開基は浄貞上人である。
山門は鐘楼門で、正徳二年(1712年)、梵鐘は第二次大戦で供出してしまった。なんとも歴史を感じさせられる佇まいである。
(あの樹からかな・・・)
花粉よりはかなり大きく種子よりは小さな、黒っぽい粒子が大量に風に乗って小路を歩くわたしに降りそそぐ。見廻したが、どの樹木からかはわからなかった。
安善寺を通り浄念寺に抜ける、通称「安善小路」を黒塀で飾って城下町らしい景観を取り戻し、快適な散歩道として楽しんでもらおうと、住民発案で「黒塀プロジェクト」が発足したそうだ。
情緒ある安善小路を通って芭蕉も訪れたという浄念寺へいくと、大銀杏がたっぷりと瑞々しい若葉をまとっている。
秋の黄葉はきっと圧巻であろう。
― 続く ―
→「鮭の町、村上(1)」の記事はこちら
鮭は「匂い」で生まれた川を識別して必ず戻ってくるという。
その「回帰性」を、世界で初めて発見したのも、江戸後期、村上藩の下級武士「青砥武平次(あおとぶへいじ)」だった。
そうして三面川の中州に、産卵に適した分流「種川」を設けて産卵しやすくして漁獲高を激増させたそうだ。回帰率だが、放流八百万尾に対して約三万尾、素人のわたしには途方もなく少なく感じる。
「㐂っ川」の通りにある、鮭を扱う店のなかには店内の奥ではなく歩道の頭上、店頭の軒下に鮭を堂々とぶら下げているところもあった。
村上の町を訪ね歩く、というのがわたしの今回の旅の、観光におけるメインテーマにしていたのだが、古い町屋と鮭が大量にぶら下がった極めつけ光景を目に焼き付けただけでほぼ満足しきった。ほんと来た甲斐があったぜ、と安堵していまは肩の力が抜けた状態である。
でもせっかくだから、すこし歩いてみるか。
村上ではこの五月、「城下町村上 春の庭百景めぐり」といって、寺、武家地区、町屋の庭を特別公開してくれていた。
鮭の町だから絶対に猫がいるはずだ・・・とあちこち居そうな所をきょろきょろ見ていたら、やっぱりみつけてしまった。
安善寺の創建は明暦元年(1655年)、開基は浄貞上人である。
山門は鐘楼門で、正徳二年(1712年)、梵鐘は第二次大戦で供出してしまった。なんとも歴史を感じさせられる佇まいである。
(あの樹からかな・・・)
花粉よりはかなり大きく種子よりは小さな、黒っぽい粒子が大量に風に乗って小路を歩くわたしに降りそそぐ。見廻したが、どの樹木からかはわからなかった。
安善寺を通り浄念寺に抜ける、通称「安善小路」を黒塀で飾って城下町らしい景観を取り戻し、快適な散歩道として楽しんでもらおうと、住民発案で「黒塀プロジェクト」が発足したそうだ。
情緒ある安善小路を通って芭蕉も訪れたという浄念寺へいくと、大銀杏がたっぷりと瑞々しい若葉をまとっている。
秋の黄葉はきっと圧巻であろう。
― 続く ―
→「鮭の町、村上(1)」の記事はこちら
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