温泉クンの旅日記

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鮭の町、村上(3)

2015-06-07 | ぶらり・フォト・エッセイ
  <鮭の町、村上(3)>

 まさか村上が、わたしの大好きな俳人二人とゆかりがあるとは知らなかった。

 芭蕉は、弟子の河合曾良を伴って、元禄二年三月下旬(1689年5月中旬)に江戸を立って、東北、北陸を巡って岐阜の大垣まで旅して「奥の細道」をものした。芭蕉は八月下旬(同年10月中旬)までの約五カ月、六百里(二千四百キロ)の旅を終える。

 芭蕉一行が村上に着いたのは六月下旬(8月中旬)、当時の村上は榊原家十五万石の城下町で、一行は宿をとると、村上城中にいる曾良がかつて仕えていた榊原帯刀を訪ねたという。



「井筒屋」は元禄二年(1689年)六月、芭蕉と弟子の曽良が「奥の細道」行脚の途次、二泊した「宿久左衛門」跡である。
 九代続く老舗の宿で、建物は国の有形文化財に登録され、宿も細々とやっているらしいが現在はカフェをメインにして営業しているようだ。



 カフェを覗いたら、なんと満員盛況であった。

 ゴールディンウィークというのに通りには人出が少なくガラガラでも食べ物屋は繁盛しているようだ。



 この「開運堂ベーカリー」という建物も相当古いがやっているのだろうか。


 
 山頭火の句碑のそばで信号待ちしていて、ふと下をみて微笑んでしまった。



 舗装された道路のコンクリートの隙間から生える「ど根性野菜」というのがあったが、こちらは可憐な「ど根性花」だ。

 山頭火の自由律俳句には十代で出逢って、無垢な心(?)を鷲掴みにされた。

   まっすぐな道でさみしい
   分け入っても分け入っても青い山
   うしろ姿のしぐれてゆくか


 山頭火は主に西日本で句作の旅を続けていたが、五十歳のときに郷里の山口で自殺未遂を起こしたあと東北地方にも旅したようだ。そのころ村上に来たのだろう。
 その後、山口の湯田温泉で「風来居」を、次いで愛媛の松山の地で「一草庵」を結庵し、そこで五十八年の生涯を閉じた。



 山頭火が群馬の万座温泉で作ったが、托鉢の旅で立寄ったここ村上の句会で初めて公にしたそうである。

   水音がねむらせない おもひでが それから それへ

 町を歩いてみて、趣のある割烹料亭があちこちにあり鮭を使ったランチコースをどこも玄関近くに掲げたメニューに載せていた。ただ二千円前後と高いのだ。今日の宿の夕食に鮭料理が出るかもしれないし、旨い鮭を新潟市内で食べたので比べてがっかりしたくもない。





 それに、そろそろ煙草も吸いたいので気楽なラーメン屋の昼メシを選択した。



 注文したカレーラーメンはちょっと・・・という薄い味噌のボケた味だったが、とても感じのいい店で気軽に煙草も吸えたので満足したとしておく。



  →「禁断のドンブリ」の記事はこちら
  →「日奈久温泉」の記事はこちら
  →「湯田温泉」の記事はこちら
  →「榛名湖温泉」の記事はこちら
  →「鮭の町、村上(1)」の記事はこちら
  →「鮭の町、村上(2)」の記事はこちら


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