<小江戸 川越>
(3)
一番街を横道にそれてちょっと歩いたところの一角が、菓子屋横丁だ。
菓子屋横丁のマップがあった。
「菓子屋横丁」では明治の初めから菓子を製造していたが、関東大震災で被害を
受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には七十軒ほど
の業者が軒を連ねていたといわれている。
現在は十数軒の店舗が連なり、横丁気分が満喫できる。
横丁が醸しだす雰囲気とあめやせんべいなどの下町風の駄菓子は、昔のノスタル
ジーを求める多くの人が訪れている。
カラフルな量り売りの飴玉のショーケース。
懐かしい駄菓子が並ぶ。
小さいころ遊んだベーゴマやロー石だ。
銀杏の実でつくったわりと可愛い十二支の人形。風で首の部分が揺れていた。
店の中をのぞくと、大分の豊後高田でみたようなポスターやら昔の道具がならん
でいた。そこでもだんごを売っていたので懲りずに食べたが、やはりいまいちで
あった。
ここまでぶらぶらして、なんと二時間くらいしか掛かっていない。さて、どう
するか。
そういえば循環バスのアナウンスで、美術館で北大路魯山人の陶器の展覧会を
やっているといっていたな。
そこでも観て気分転換して帰るとしよう。
旅をしていろんな土地を訪れると、また絶対に来てみようとか決意したり、いず
れまたきっと来るなという予感がするところもある。季節ごとにぜひ来てみたいと
いった土地もある。
ところが、まあ一回こっきりでいいやというところもあるのだ。
川越は、川越付近だけを目的に来ると「かなり半端」でチトきついかなあ、と思
う。
→ 小江戸 川越(2)の記事はこちら
→ 昭和の街 大分・豊後高田 の記事はこちら
(3)
一番街を横道にそれてちょっと歩いたところの一角が、菓子屋横丁だ。
菓子屋横丁のマップがあった。
「菓子屋横丁」では明治の初めから菓子を製造していたが、関東大震災で被害を
受けた東京に代わって駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には七十軒ほど
の業者が軒を連ねていたといわれている。
現在は十数軒の店舗が連なり、横丁気分が満喫できる。
横丁が醸しだす雰囲気とあめやせんべいなどの下町風の駄菓子は、昔のノスタル
ジーを求める多くの人が訪れている。
カラフルな量り売りの飴玉のショーケース。
懐かしい駄菓子が並ぶ。
小さいころ遊んだベーゴマやロー石だ。
銀杏の実でつくったわりと可愛い十二支の人形。風で首の部分が揺れていた。
店の中をのぞくと、大分の豊後高田でみたようなポスターやら昔の道具がならん
でいた。そこでもだんごを売っていたので懲りずに食べたが、やはりいまいちで
あった。
ここまでぶらぶらして、なんと二時間くらいしか掛かっていない。さて、どう
するか。
そういえば循環バスのアナウンスで、美術館で北大路魯山人の陶器の展覧会を
やっているといっていたな。
そこでも観て気分転換して帰るとしよう。
旅をしていろんな土地を訪れると、また絶対に来てみようとか決意したり、いず
れまたきっと来るなという予感がするところもある。季節ごとにぜひ来てみたいと
いった土地もある。
ところが、まあ一回こっきりでいいやというところもあるのだ。
川越は、川越付近だけを目的に来ると「かなり半端」でチトきついかなあ、と思
う。
→ 小江戸 川越(2)の記事はこちら
→ 昭和の街 大分・豊後高田 の記事はこちら
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