横浜田舎物語

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プチショック

2011-01-11 | 変形性股関節症
本当は昨年中に行かなければと思っていた整形外科にやっと行ってきました

大阪の先生に紹介状をいただいてから1年に一度、こちらの病院にも通うようになったのですが

連休明けってこともあったでしょうが、相変わらず大病院並みの混雑です。

個人病院なのですが、スポーツドクターとして優秀なことと、先生が”股関節学会”に所属
ということは股関節の専門医であることがわかって選んだのですが

以前、指にばい菌が入って、切開してもらったのですが、その後の通院でも毎回直接
傷口を診てくださり、たいした傷でもないのに、無責任なことはしないんだと
感動したことがありまして、それ以来なにかとお世話になっていたのですが
たまたま股関節が専門とは、非常にラッキーでした。

もちろん、関西医大の飯田教授のこともご存知でしたから話は早かった。

こちらは今どきの病院で”Web予約”と言うのが携帯からできます。もちろんパソコンからも
そして5人前になるとメールが来るので、待合室で長く待たされることはないのですが
ないはずなのですが

思いとは裏腹に、待合室で30分、中待合室で30分、何のための予約なんだかわかりませんが
とにかく次から次に患者さんがエレベーターから出てきます。

診察です。ベッドに仰向けに寝て、股関節の開閉具合をみたり屈伸の具合をみたりするのですがまったく問題はないようです。

レントゲンの映像を見ながら説明を受けます。

手術をしていない左は、いわゆる股関節の屋根が健常者の60%しかありません。
術足の右は、『棚形成術』(腰の骨を切り取って股関節の足りない部分につけたす)を
受けたので、屋根は出来上がりました。

手術をしたのは54歳の時でしたから、この手術は40歳代が限界と言われていることを思うと
勧めてくださったドクターの決断は?なのですが
とにかく、年齢の割に筋力があったのか、若かったからか
成功はしたのです。

それでも完治のための手術ではないことは聞いてましたから、驚いている場合では
ないけど、写真を見ながら、手術をした方の軟骨の幅が狭まっていると聞かされると
それは少しショックです

確かにこのところ<右は屋根があるからいいけど、左はないから>と、かばっていたかもしれない。

「急にどうのこうのということではないから、トレーニングを続けて、体重の管理は怠らないように」

「痛みが我慢できなかったり、生活に支障が出るようならその時は考えましょう」

自転車のことは特別言われませんでした。

53歳の時痛みがひどくなって、それでも症状としては軽度であること
このまま痛みを引きずって我慢しながら生活するのが耐えられなくて
思い切って手術を決断したこと

何もしないでいたらおそらく今のようなアクティブな毎日はなかったはず
だからけっして後悔はないけど・・
あんなにたいへんな思いをしたのに、大丈夫とずっと思っていたのに

でも、考えたって良くなるわけじゃないし、開き直るしかない

いつか好きなこともできなくなる自分になってしまうのだろうか?

や~めた  誰だって明日のことはわからない  
またパニックが出てきたらそれこそ元も子もないし

人工関節になったって楽しんで生きている人はいっぱいいます。
そうなったらその時考えることにして、明日の朝はまたパワフルな私に戻ろう

体重か・・・多分戻ったでしょう・・怖くてあれ以来体重計にのっていないのです

これからが勝負ですね。  股関節のためにも真剣にならなくちゃ

4月にはまた大阪に行きます。飯田先生からなんて言われるか・・怖いなあ
コメント (8)
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