ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

息長広媛陵

2013年09月02日 05時54分28秒 | 日記

・・・米原市村居田にある、宮内庁管理の息長陵は第30代敏達天皇の皇后「息長広姫(おきながひろひめ)」の御陵で、息長広姫は近江国坂田郡の豪族息長真手王(おきながまておう)の娘であったとされています 

  

  古墳辞典には 息長陵古墳群は、全長60mほどの前方後円墳(村居田古墳)と陪塚1基からなり、陪塚が現在治定の陵とみることができる。 元禄9年(1698)、光運寺本堂改築工事中に長さ2.2m・幅1.1mの縄掛突起を持った家形石棺が出現し、 近年の石垣改修工事で多数の円筒埴輪片が出土した。』  出土した埴輪から、5世紀末頃の築造と推定されているので、 光運寺本堂付近にあった古墳は、広姫の時代(6世紀後半)とは年代的に相違することが指摘されている。 

  

  写真の右端上が御陵で、中央の建物は舊陵山光運寺。 その横の大木の下にある盛り土(前方後円墳の一部)が下の写真です。

  

  光雲寺本堂横の古墳の一部は囲ってあり、右から「息長陵付属地」、「息長広姫陵古墳群」と刻まれた二本の石碑が立っている。  継体天皇の即位には近江の豪族の力が基盤になっていると云われているが、その孫の敏達天皇の頃も近江の豪族の影響を感じる。
   

コメント
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