・・・新聞に、瀬戸内寂聴さんの毎日の生活が、色々の形で紹介されていた。
それを見ると、96才になった現在も、尼さんとしての、法話などに、90分もの間、立ったまま、話をすることもやるし、作家としての仕事も、〆切前は徹夜も、こなしておられるらしい。
私が思うに、そんなエピソード話からは、一見、彼女は仕事をこなしているように見えるが、きっと、趣味を、やっている感覚なんだと思う。
こんな仕事は、年を取って、高齢になっても、自分のやりたい事だから、生きがいとして、続けられるのだと思う。
私は満64才で仕事を辞めたが、仕事内容は、自分のやりたい仕事ではなく、全くの管理業務であり、その内容は、まったくやっていて、楽しくは無く、その渦中に居る時は、早く、仕事をやめたかった。
私の経歴とと寂聴さんを比べるのは、おこがましいかもしれないが、私のような仕事で携わっていたら、寂聴さんは、とっくに、仕事を辞めていただろうし、今の様に、元気で長生きは、できないのかもしれない。
そんなことを、新聞の記事を読んでフト思った。
こんな事例から、私の考えでは、高齢になっても、趣味に近い仕事に生きる人は、生きがいが仕事であって長生きできそうである。
私の場合のように、仕事は生活の糧である人間は、長生きするためには、経済が許す限り、毎日、楽しい趣味に没頭して、日を過ごすべきである。
しかし、ただ趣味が毎日の生きがいの場合は、残念ながら、社会貢献と云うところで、今一つ充実感が得られないために、寿命が、寂聴さんほど長生きはできないかもしれない。
長生きをするためには、毎日が、そのことに没頭できるものがあり、且つ、その結果が、社会的貢献意識が得られることであることも必要な用件で、そういう生活を送っていれば、人の晩年の人生の過ごし方として言うことがない。