ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

古代史を衛星画像の地形で見る

2019年02月10日 08時35分14秒 | 日本古代史

・・・以前から、ここで何度か述べたことであるが、古代に栄えた場所に行くと、高い場所に立つと、重要な地形が全部が見渡せる経験が、過去に何度もあった。 交通が発達していない古代を考える時、その付近の、一番高く見晴らしの良い場所に立って見渡すことが、その地方の歴史を推測するうえで、とても大事な経験だと思った。

   その様な歴史を考える観点で、地図を衛星から見た様な地図が得られるグーグルはとても大雑把な地形の高低が判り古代史を考える上で参考になる。

   先日、伊勢遺跡と狗奴国と関係あるのではと書いたが、伊勢遺跡は下の絵でわかるように、琵琶湖の南の守山市にある。
   もっと大きく見ると、古代大和の国があった奈良盆地の南部の桜井市付近で、狗奴国があったと言われる濃尾平野(諸説あるうちの有力説)のとの中間点である。

   

   上の図では山とか平野が良く分からないので、グーグルを参考に主要な山と川をフリーハンドで書いてみた。
   簡単な絵ではあるが、先ほど述べた内容の地形の中野主要な場所の位置関係がわかる。
   魏志倭人伝には卑弥呼が住む邪馬台国と敵対する国、狗奴国は南(東に読み替える)に接していたと書かれていることを前提に妄想すると。

   

   奈良盆地は大阪平野から生駒山系を越えたところにある。そして、濃尾平野に狗奴国の象徴と考えられている三世紀ころの代表的な前方後方墳を赤い四角で上の地図上に書くと図のようになる。琵琶湖のほとりに先日紹介した伊勢遺跡から、少し北に神御亀塚古墳と云う狗奴国を考える上でポイントとなる3世紀に作られた前方後方墳がある。つまり、濃尾平野から琵琶湖の東の平野は同じ狗奴国で繋がっていたのではと私は考える。

   この図を見ていると邪馬台国を奈良南部と考えるなら、狗奴国との境が丁度、京都の東くらい(大津あたり)の場所ではないかと思える。その北に伊勢遺跡と云う(私が推測する狗奴国の都の)祭祀遺跡らしい建物群遺跡があるので、私にはやはり伊勢遺跡は(狗奴国の都の)ように思える。

   古代史をいろいろと資料を読んで考えていると推理小説を読んでいる時の様に、自分勝手な想像が膨らんで楽しい。

   

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする