ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

北九州の遺跡から出たガラス玉は地中海産

2021年09月23日 06時10分30秒 | 日本古代史

・・・表題のガラス玉は、魏志倭人伝に卑弥呼が倭国女王として書かれていた西暦200年過ぎの頃の物です。

   そのころ、北九州には、中国の歴史書に出てくる奴国(伊都国)最後の王墓、平原一号墳がきずかれていた。
   また同じごろ、奈良盆地では、纏向遺跡ができ始めていました。

   今日の新聞記事には、先に紹介した、古代、北九州伊都国の「平原一号墳」から出た遺物、「ガラスの連珠」が地中海産らしく、モンゴールの匈奴の墓と、中央アジアのカザフスタンの遺跡にも、同じ「ガラス連珠」が見つかっていて、今回、三か所の遺跡の共同研究で、これらの三つのガラス連珠は、まったく同じ場所、地中海近辺で作られたものである事が成分分析から、分かったという記事である。

   

   今から1800年前の話です。

   

   

   この北九州の平原遺跡一号墳には、2015年4月に私は遺跡を訪ねました。(上の写真がそのときの写真です) 
   近くに、伊都国博物館があって、ここに遺跡や出土遺物が展示されていて、ここも訪れました。

   この弥生時代末期の平原遺跡一号墳の様子が博物館でレプリカで展示されています。

   

   

   上の写真はユーチューブから転載したものです。

   ちょうどこの西暦200年丁度の頃に、この平原一号墳を最後に北九州(伊都国)から立派な弥生時代墳墓は消えて、奈良盆地の纏向遺跡近辺に100m近辺の大きさの立派な古墳がいくつか築造され始めます、そして、その後、大きな前方後円墳が近畿を中心に作られていきます。

   如何して、北九州から、奈良盆地に、倭国の中心地が移ったのか、今のところ、はっきりとはわかりません。
   これらのミステリーが、時間の経過とともに少しづつ分かっていくのを知ることが、私の趣味で、今回の記事の内容もその一つです。

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