ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

「明るい晩年」と云う話

2015年05月16日 07時52分37秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・老後をどう生きるかは、老人、高齢者と云われる年を重ねる人にとって等しく、考えるテーマです。
  大まかな内容としては、晩年を幸福に暮らすためには5Fが大事ですとまとめていた。
  ① ファイナンシャル  資産の目減りを防ぐために、子供に投資すること
  ② フィトネス       健康のリスクを減らすように努力すること
  ③ ファミリー      家族の暖かい空気の中で暮らすこと
  ④ フレンド       若い友人がいるといつまでも友達がいる
  ⑤ ファン        趣味を持ちなんでも面白がること
  ⑥ フィランソロピー  自分の持ち場での社会貢献
  を考え実行することが晩年の幸福につながると云う話でした。

  それはそれで納得しますが、人によっては、それを何時考えるかで、ずいぶん、「晩年の生活」は変わってくるように思います。
  今朝のラジオの文化講演会で話をされている人は、そういう意味で、「晩年を明るく暮らす」と云う意味での成功を甘受している中での話でした。
  すなわち、彼は両親を上手に見送り、自身も、66歳にして、講演して暮らせる身で、且つ、お子さんたちは社会的成功者だそうですから。
  こういう方の晩年を幸福に暮らすための話は、これから、老人になられる人たちのこれからの人生の準備には役に立つと思いますが、運が悪く「暗い晩年を過ごしている人」がこれから、少しでも幸せな人生を送るための参考や心のケアーにはならない。
  高齢になって、苦労している人も、私の周りには多くおられると思います。

  病気などで、下を向いて生きている人には、これから、どう云う生き方をすればよいかと云う話がラジオで聴ければ、と思いましたが、万人が聞くラジオでは「暗い話をラジオで流す」のは難しいのでしょうね。 
  しかし、社会で、本当は、最も必要とされる話ではあるのですが、・・・・。

 

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エジプトブルー

2015年05月15日 07時16分20秒 | 新聞・ラジオ・テレビ

・・・先日、大英博物館のギリシャの大理石彫刻についてのテレビ放送の中で、ギリシャ彫刻はエジプトに影響を受けているらしいと述べていた。
  エジプトの色彩の影響を受けた結果、ギリシャの大理石彫刻は、極彩色に彩られていたと云う内容が放送されていた。
   それが分かったのは「エジプトブルー」と云う青い色を、色彩が消えている物でも感知できる装置を大英博物館の技術者が開発し、白色のギリシャの大理石像を調べた結果、白色大理石の上に塗られたエジプトブルーを感知したそうです。

  そのギリシャ大理石彫刻像と云うのは、紀元前7世紀ごろに作られたものだそうです。

  五年ほど前に、私がギリシャを旅行した時に、更に古い、クレタ島でミノア文明(BC2000~BC1400年)といわれる遺跡の宮殿遺跡を見学しました。
 
  

  上の写真は有名なクレタ島の遺跡ですが、この壁に書かれた壁画の色は鮮やかなブルーだったことを覚えています。

  そこで当時とってきた写真やパンフレットを見ると、このクレタ島文明も、BC7世紀の極彩色大理石像と同じように、エジプト文明の影響を受けて壁画を描いていたようです。

  

  昔からギリシャ文明はヨーロッパ文明の発祥地と云われているのを、私たちは学校で習っていましたが、
  本当のところは、紀元前2000年ころから、何度も、間接的に、エジプトやメソポタミア文明がヨーロッパ文明発生のもと、と云われるギリシャ文明に大きな影響を与えていたようです。
  

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田植えの風景

2015年05月14日 07時14分53秒 | 歳時記

・・・今の時期、休日になると近所の田圃では田植えの作業が見れる。

  

  田植えをしている人はほとんどが高齢者です。

  

  しかも高齢の夫婦ばかりで、若い人は見れない。

  

  

  水を張った田んぼには水鳥がやってきます。

  

  カモも良く見ます。

  

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遺跡と名所の旅  五色塚古墳

2015年05月13日 06時24分48秒 | 日本古代史

・・・今回の旅の最後に訪れた遺跡は、神戸にある五色塚古墳です。
  この古墳は最近、修復された大型の遺跡で、作られた時の姿がよく分かる古墳です。

  

  上の写真は、管理事務所で頂いたパンフレットの表紙に写っている五色塚古墳の全体です。

  この写真でも判るように、この日の朝、フェリーで早朝7時ごろ、直下を通ってきた明石海峡大橋の、たもとに位置します。

  

  後円部の頂上から、住宅街のマンション越しに明石海峡大橋が見えます。

  

  後円部から前方部越しに明石海峡が眼下に広がるのを見ていると、おのずから、ここに葬られた人が明石海峡を支配していたこの国の首長だったように想像できます。
  しかしながら、時期的に四世紀終わりころ造られたとパンフレットに書いてあったので、古墳時代も前期で日本の国が少し国らしくなり、瀬戸内を通って朝鮮半島とも交流のあった時代の古墳です。

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遺跡と名所の旅  帰りのフェリー

2015年05月12日 07時05分13秒 | 日本古代史

・・・海外でのクルージングの旅も楽しいですが、国内旅行でも遠方への旅行となるとフェリーの旅は外せないと思います。
  利点は寝ているうちに目的地に着き、ホテルと列車を兼ね備えた機能があるからです。
  
  

  門司港のフェリー・ターミナルとその後ろにフェリーが写っている写真です。

  今回の旅では九州からの帰りの旅に利用しました。
  新門司港を夜の8時に出港して、神戸港に着いたのが明朝の8時半です。
  とても時間的には都合よく、楽しい旅でした。

  しかし、利点ばかりでなく、欠点もあります。

  
  今回利用した洋室、風呂トイレはありません

  まず利用する費用が高いことです。
  車の積み込み費用込みだから、考えようによっては安いのかもしれませんが、常に利用するには高いかもしれません。
  そのほかに、部屋に風呂、トイレが付いていません。
  付いているのは、船には2部屋しかないスイートルームだけで、これも困ります。
  レストランも一つしかなく、それもセルフ方式のレストランだけで、且つ、食糧や飲み物を買い込む売店も一つしかありません。
   フェリーに乗る時は食糧や飲み物を買い込んでから乗るべきです。

  しかし、クルージングの旅は陸地が近い時は、景色を見飽きることはありません。
  特に、この航路では、朝の7時ごろに明石海峡大橋の下をくぐります。

  

  

  私は二回目の体験でしたが、迫力があってとても大きな感動でした。

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遺跡と名所の旅 八女市岩戸山古墳

2015年05月11日 07時10分16秒 | 日本古代史

・・・八女市岩戸山古墳は今回の旅でぜひ行きたかった遺跡の一つです。

  古代日本において、古墳時代に入ると九州は畿内の勢力に押されてしまいますが、その中で独自の古墳があるのが、この八女市の古墳群と日向の西都原古墳群です。

   又、岩戸山古墳は築後国風土記の記載内容から、筑後国造磐井の墓であることでも有名です。
   日本書紀によると、西暦500年代継体天皇の頃に磐井自身が存命中にきずいたと云われています。
   古墳と云えば埴輪が付き物ですが、八女市の岩戸山古墳は石人石馬が、かざられているので有名です。

    
    岩戸山古墳の入り口

    

    古墳の特徴である、後円部に付随する別区に置かれた石人と石馬の模型の後ろから後円部を見る。
    この別区の石人等の像群については築後国風土記に詳しく書かれている。

    
    別区に並べられた石人などの模型

    

    資料館のカタログに掲載されている石人頭部の写真

    

    八女古墳群はここのあたり一帯に、一族の墓を作っており、その中で、近くの石人山古墳と呼ばれている磐井の父親と思われる年代の古墳には名前の通り、石室の前に写真の石人像が飾られています。

    

   また、この古墳の石室に在る家形石棺の屋根に施されている模様も珍しく、とても有名です。

   私が行った時は、岩戸山歴史資料館には、誰も訪れていなかったですが、却って、資料館で学芸員の説明をしっかりと聞かせていただき、現地でないとわからない知見を教えてもらい、訪れてよかったと思いました。

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遺跡と名所の旅 吉野ヶ里遺跡

2015年05月10日 10時02分57秒 | 日本古代史

・・・私の日本古代史の興味からは少し外れましすが、北九州で有名な吉野ヶ里遺跡に寄り、昼食をとりました。
  遺跡と云うより、大きなテーマパーク的要素が強い設備になっていました。
  私が訪れた時は、春の連休中とはいえ、閑散としていて、子ども以外はあまりいない状態でした。

  

  

  

  遺跡は広大な広さで、そこにたくさんの弥生時代の住居が復元されていました。

  古代史的観点からいうと、先日訪れた、伊都国、奴国の遺跡の墓からの出土品に比べると吉野ヶ里遺跡はかなり、国力が落ちる国だったことが分かる遺跡だと、私にも理解できました。
  後漢書倭伝に、使駅通じるもの30余国あったと云う国の一つだったかもしれません。

  

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遺跡と名所の旅 奴国の遺跡

2015年05月09日 07時55分51秒 | 日本古代史

・・・昨日、書いた伊都国は弥生時代後期に栄えた国です、今の場所でいうと伊都国は福岡市の西に在りました。

  今回訪れた、奴国の遺跡は福岡の西の春日市にあります。
  栄えた時期は弥生中期の西暦でいうと一世紀頃です。
  奴国の遺跡の主体の遺跡は須玖岡本遺跡です。

  

  最初に訪れたのは春日井市にある奴国の丘歴史資料館です。
  上の写真は資料館のエントランスです

  

  発見された奴国王墓の墓の上に置かれていた大きな石の展示です。

  

  発掘された弥生中期の甕棺の墓を発掘された状態に復元して、展示されています。

  奴国の丘公園の敷地内に、発掘された王墓の墓の上石や弥生中期の甕棺墓に覆い屋をした発掘現場とかが見学でき、私にとって、とても興味深い歴史資料を見学させていただきました。

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遺跡と名所の旅 伊都国遺跡

2015年05月08日 07時13分12秒 | 日本古代史

・・・伊都国と云う国は、弥生時代を通じて繁栄し、邪馬台国の頃は大陸との交易で栄えた国でした。
  今回は伊都国歴史博物館と伊都国の王墓の墓の平原遺跡に行ってきました。

  
  博物館のカタログの抜粋

  遺跡を見学に行くときの私のやり方として、始めに関連の資料館に行き、勉強してから、遺跡に行きます。
  今回は建物が大変立派な、伊都国歴史資料館に、最初に行きました。
  そこで、平原遺跡の概要を確認し、資料をいただき、説明員の解説を聞いてから、現場の平原王墓遺跡に行きました。

  

  上の写真が平原遺跡の王墓一号墳です。

  

  王墓の発掘現場の状況を再現した模型を、博物館で前もって見学していきました。

  

  上の王墓から、発掘された鉄刀、銅鏡などの国宝の遺物で、これも、博物館で見せてもらいました。

  これが、弥生時代後期、紀元2世紀頃の倭国の王の墓で、出土した遺物の内容から、女性であったと考えられています。

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遺跡と名所の旅  厳島神社

2015年05月07日 05時59分19秒 | 日本古代史

・・・雨が降る、旅行の二日目は午前中に厳島神社に行きました。
  広島市内から、30分ほど車に乗って、宮島口と云う電車の駅から、フェリーで、厳島神社のある、宮島に渡りました。

  

  入場切符の厳島神社の全景写真を上に載せます。

  

  神社の参道の灯篭と海上の鳥居を傘をさして、写真を撮りました。

  

  かなりの干潮で、神社の中から、鳥居を撮った写真です。

  

  帰りに、神社の外から、撮った写真です。

  日本の神社の中では、海の風景の中にある特異できれいな神社でした。

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遺跡と名所の旅  広島城

2015年05月06日 07時48分03秒 | 日本古代史

…広島の朝は雨が降っていました、原爆ドームから、少し北の方角に、歩いた場所に広島城があります。

   

 行く前はコンクリート製のありふれた城だと思っていましたが、実際に見ると外側が板張りで、感じの良い天守閣でした。  訪れたのが、早朝なので、外側を見ただけで、中には入場しませんで゛した。
  この城は駐車場が無いので、訪れるのが不便です。

 

 城の中に、明治時代、日清戦争の時代に、七か月の間だけ置かれた、広島大本営の迹の建物基礎と記念碑がありました。

 

 

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遺跡と名所の旅  原爆ドーム

2015年05月05日 07時08分26秒 | 

・・・広島の夜の街に食事に出ました。  その帰りに、原爆ドームのライトアップを見学に行きました。

   

  ライトアップされたドームはとても美しく原爆被災の象徴には、見えない美しさでした。
  特に手前の道に沿ったツツジが満開で美しかった。

  

  翌朝、平和公園の側のホテルの13階にあるレストランから見たドームは、夜のライトアップほどの、幻想的な美しさはありませんでしたが、川と周囲の緑に包まれた景色は、其れなりに美しい景観でした。

  

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遺跡と名所の旅 ヤマトミュージアム

2015年05月04日 22時14分03秒 | 

・・・ 初日の宿泊地の広島に着いた。  時間があるので、呉市にある、大和ミュージアムに行った。

   呉市は旧の海軍の基地として有名ですが、今も名前は自衛隊と変えているが、海軍の基地として健在です。
   その町に、大きな「戦艦ヤマト」の模型があるヤマトミュージアムがあります。   
  
   

    ヤマトミュージアムには、実物の1/10に映画用に作られた「戦艦ヤマト」の模型が飾られています。

   

   写真で見るように、側に立つ人の大きさに比べると、とても迫力のある模型がありました。 

  

  ヤマト以外に、ゼロ戦や特殊潜航艇などが展示されていて、軍隊装備に興味のある、私にはとても興味がありました。

  

  また、ヤマトミュージアムの正面に、クジラ館と云う海上自衛隊の展示館があり、実物の退役した潜水艦がてんじされています。

  

  そして、その潜水艦の中に入ることが出来、現物の潜望鏡をのぞかせていただきました。
  とても面白い、経験をしました。

  実際に呉の街で、感じたのは、装備や規模の大きさで、海上自衛隊はどう考えても、海軍そのものであることです。
  それも、世界で有数の軍隊であることを感じました。

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遺跡と名所の旅 吉備津彦神社

2015年05月03日 09時18分18秒 | 日本古代史

・・・吉備インターを降りて10分くらいの場所に吉備津彦神社がありました。
  岡山での遺跡巡りは、当初目的の楯築遺跡ですが、途中ですぐ近くを通ったので、寄り道をしました。
  この神社は、創建は古く、備前の国の一宮として崇敬されています。
  主祭神は書紀に書かれている西道将軍(山陽道)の大吉備津彦尊で、とても当地にゆかりのある神様です。

  

  

  

  敷地内には、主神の他に多数の相神が祭られている大きな敷地の中には神社できれいな池の庭園もありました。
  興味深いのは相神の内容を見ると孝霊天皇、孝元天皇、開化天皇、崇神、大倭とと日百そ姫の命など、古代天皇家の人々です。

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