・・・「字源」と云うのは漢字の成り立ちを表すと云う事は、私も以前から知っていた。
今日、新聞記事で「字説」と云う言葉があるのを知った。
漢字の解釈を「字源」とは区別して「字説」と云うのだそうです。
「武」と云う漢字は矛を止めることだと云う「字説」が昔からあって、本来は「武」は矛を携えて歩と云う意味ですから、二つの「字説」は正反対の解釈です。
「武」と云う漢字は矛を止めることだと云う「字説」を使って、最近、よく云われる専守防衛の説明に政治家が使っているのは、奥ゆかしい気持ちを大事にする日本人にとって、チョット意味が違う使い方のような気がします。
・・・三日前に、親メダカのお尻についている卵の写真を載せた。
上の写真はお尻に卵を付けて泳いでいるメダカ。
あれから、水草に産み付けられた卵の中に、目が付いていたのを見たのが二日前でした。
上の写真は、水草に付いた卵の中に、眼が出来ているのが分かる。
今日は生まれた、メダカの赤ちゃんが泳いでいました。
それを撮影したのが下の写真です。
とても小さい子供メダカが、泳いでいました。
これらの経過を観察していると、生物の不思議を感じます。
・・・先日、大阪に行った時に、料亭の宴席で「象鼻杯」と云うものを体験した。
蓮の茎にはたくさんの空気孔が開いていて、葉の上に注いだ日本酒は、蓮の葉の真ん中に穴をあけ、茎の幾つもの穴を通って酒が口に流れ、飲んだ酒はかすかな香気がかんじられる。
宴席で、回し飲みするときは新しい飲み口は、はさみで茎を切って作る。
初めての経験で、面白かった。
下に、7月の今、大阪の万博公園の日本庭園で象鼻杯をふるまっているのが万博たよりで紹介されていた。 下の写真がその抜粋です。
日本では、この話は江戸時代の書物に出てくるらしいが、もとは、中国の三国時代の文献に見られるらしい。
・・・水草に着いた卵を観察していると、卵にメダカの頭が出来ていることに気が付きました。
写真が上手く撮れたので、上に載せました。
良く見ると、卵に目が二つあるのが観察できます。
私も長くメダカを飼っていますが、こんな状況をみたのは初めてです。
明日にも赤メダカの赤ちゃんが、見れるでしょう。
・・・我が家は相当前から、白めだかを飼っています。
このブログにも何回かメダカの話題を載せたことがありました。
先日、義姉から赤メダカを貰ってきたので、早速新しい水槽を準備しました。
そのメダカが卵を産み始めました。
上の写真はお尻に卵を付けて泳いでいるところを撮った写真です。
水草に卵を産み付けたようなので、水草を別の水槽に入れて、卵から生まれるのを観察中です。
・・・娘の家に泊まったのですが、京都に居た二日とも雨で、何処も、遊びに行かないのもなんなので、夕方に六波羅蜜寺に行きたいと云う家内の希望で車で出かけましたが、とてもモダンな感じの御寺で、興味が無くなり、門前を素通りして帰ってきました。
その後、市内で、観光客が少ないところと云う場所で、宝が池を思いつき、行ってきました。
駐車場から、園内に入った場所にある、イタリアの彫像を思わせる、おおきな西洋風の銅像。
国際会議場はとても大きな建物が幾棟もあって、さすが国立の会議場と思いました。
雨は止んでいたのですが、ほとんど人はいなく、しっとりとした雰囲気の園内を散歩してきました。
園内の外周の道は4.5キロくらいあるそうです。
園の中央にある池の周りは、散歩するにとても気持ちの良い、木々に囲まれた広い道が、一周1.5㌔の距離があり、整備されていました。
・・・京都に行ってきました。
写真は来月送り火が行われる、大文字焼きの今の写真です。
米国の大手旅行雑誌の人気観光都市ランキングで、京都は昨年、今年と二年連続一位だったそうです。
一昨年が、五位だったので、ランクが上がったのは円安で日本旅行が格安になったためかと思います。
因みに東京は10位以下のランキングらしいです。
京都へ行く途中の高速道路のサービスエリアの売店に行くと、今は中国観光客であふれています。
勿論、京都の街中でも外国人を多く見かけますし、街中で外国の住人らしき人も非常に多くなりました。
外国人の多い街中は、何故か落ち着きませんでした。
・・・久しぶりに墓参りを兼ねて、私の兄弟夫婦がそろって出かけました。
総勢八人、車二台で。
兄弟夫婦の年齢は上は80幾つから、下は60半ばまでです。
誰が、明日、墓に入ってもおかしくない年になりました。
この回に行く前に、私は、私たちの両親を含めた、古い写真をスキャナーで読み込み、兄弟に進呈しようと写真をスライドショウのCDに焼きこんで、皆に渡しました。
CDの写真を話題にする必要もないほど、宴席では会話が弾みました。
宴席の料理は、関西らしいハモ料理で、とてもおいしくいただきました。
写真は宴席でハモを焼いてもらった写真です。
・・・今年、わが農園では、初めて、トウモロコシの種をまいた。
無事成長し、実が大きくなってきた。
何時収穫するか、まったくわからないので、インタネットで調べた。
それによると、一つは、実のひげの色が茶色から、こげ茶色に変わった時が食べごろと書いてあった。
もう一つの解説は、実の上の皮を剥いて直接実の出来具合を確かめる。
そのやり方で、昨日、試しに二本収穫した。
実の粒が少し小さいが、何とか食べれそうです。
早速、収穫したトウモロコシを、食べた。
料理方法は、煮るトウモロコシと焼きトウモロコシの二種類で調理した。
試食した結果、しょうゆを塗り、オーブンで焼いたトウモロコシがおいしかった。
…国会で防衛論争がなされている。
私は深くはその内容は理解していない。
私が思うに、安倍首相は、坊ちゃん育ちで、打たれ弱いが、わがままで、やり方が強引である。
そして、彼は国民から、国の方向を決める権限の白紙委任を貰ったと勘違いしている。
彼を見ていると、彼は何が何でも日本を戦争できる国にしようとしているらしい。
そう、私が考える根拠は
①アメリカに行って、米議会と大統領に、日本は積極的に防衛整備をやると大見得切ってきた。
②国会論争では、まともに、質問に、まともに論理的にこたえていない、ただ、野党の質問を受け流そうとしている。 その答えは、私は国民の信任を得た首相だから、文句言うな。
③与党にも、反対の意見があるのを強引に抑え込んでいる。
④国会の審議期間を長くとって、論議を尽くしたと云う姿勢をとろうとしている。
日本人は今、政治に無関心で、安倍首相はそれをうまく使って、低投票率の中、自民党を圧勝させ、かなり強引に政治を捻じ曲げて行っている。
しかし、国民を馬鹿にしてはいけない。
1960年ごろの日本では、安保反対闘争で、学生運動が政権を倒し、社会を動かしていた。
最近では、「香港の雨傘革命」、台湾での、「ひまわり学生運動」などが大きな政治活動として国を動かしてきた。
日本でも、あまりに国民を馬鹿にした安倍政権の政治に、立ち上がった学生運動の芽が出来つつあるように感じている。
そんな学生の運動(SEALDs)の話題を新聞で知った。
・・・ここの所、毎日三本はキュウリが収穫できる。
我が家で食卓で、消費するのは一本/日程度で、日々、冷蔵庫にキュウリが貯まる。
そこで、貯まったキュウリを使って、酒のつまみにもなるQちゃん漬けを、作り置きしてある。
キュウリを五ミリ厚みにきって、酒、しょうゆ、しょうが、みりんなどで味付けして作る。
私はこれが好きなので、出されると鉢にいっぱいくらいは、酒のおかずにして、食べてしまう。
ソフトバンクが癒しロボットを発売して話題になっている。
人間がしゃべると、音声で対応したり、手や足を動かしたりして、人間や動物の動きをまねた動作や音声を発する。
手塚治虫の鉄腕アトムの時代から、変わったのはハードの発達ですが、ソフトはまだまだ進歩はしていない。
コンピューター本体の計算速度や記憶容量は50年前から比べるととてつもない発達をしてきて、且つ、これからも止まるところが無いように思う。
そして、人間の五感に相当する、センサー類の発達は、とっくの昔に人間の能力を超えた領域のものがたくさんある。
しかし、知能に関する部分については、ハードに比べると、その発達度合いは、お粗末と思う。
文章を書いたり、音楽を作曲したり、将棋や碁を指したり、人と会話したりなどの能力は昔の人工知能の考え方から、基本的には、発達していない。
私が若いころに始まった、経験や知識の蓄積である、人工知能(AI)の考え方から、驚くほどの進歩はない。
これから先も、知能以外の人間の機能分野はロボットにおいて、人間以上に発達していくことと思うが、人間のように考える知能の部分の創造的な働きは、これからも当面ロボットには難しいと思う。
・・・「君よ憤怒の河を渉れ」が中国でとても有名な映画で、たくさんの中国人に感銘を与えたことの理由を知った。
私自身も俳優の故高倉健さんが大好きで、この映画を追悼番組で見たが、その時は、それほどの感銘は受けなかったが、なぜ・・・。
あるテレビの放送で、中国のたくさんの人がこの映画を見て、なぜ感激したかを解析した内容の報道をしていた。
その放送を見て、分かったのは、多くの中国人が高倉健が演じる映画に感激したのは、一番は私と一緒で、高倉健のにじみ出る、まじめで真摯な人柄にひかれたことですが、ほかにも理由があって、この映画が中国で初めて上映された時代が、中国で文化革命が終わって直後で、開放路線が始まった最初の時だったこと、
しかも、それまで、映画といえば、ほとんどが東側諸国の映画しか見ていなかった時期であったこと、そして、当時の中国社会ではそれまで、完全に否定されていた、「正義」と「愛」がテーマであったことが、当時の中国のたくさんの若者に訴えるところがあったことです。
テレビの放送の中で、中国の人が言っていたのは、当時の日本は、中国に比べて、まぶしいくらい裕福で、とても文化的にも人道的にも優れた国に見え、あこがれたことです。
それは、戦後のアメリカのテレビドラマを初めて見た、我々、日本人が、電化され裕福なアメリカ人の生活に当時、あこがれていたことを思い出しました。
放送の中の、中国人のコメントでは、高倉健の映画の時代の日本に比べて、今の日本は強圧的な政治しか見えない、
高倉健が演じた、正義と会いに満ちた人が現れれば、日中はきっと良くなると放送に出てきた中国の人は述べていた。
今の中国の政治の在り方はとても褒められたものではないが、世界の中で、同じ強権的な政治の土俵で張り合う日本では、とてもこれからの日本社会がよくなっていくとは思えない。
「高倉健のような正義と愛に満ちた」、そんな政治家が日本に現れることを望みたい。
・・・よく行く公園の池の前に、写真の様なバラ園があります。
花の盛りは少し過ぎていたようですが、写真を撮ってきました。
バラ園は広いのですが、上の写真は道沿いのバラ園、後ろに、花はありませんが、バラのトンネルが写っています。
公園の池には、カメがたくさんいますが、面白い恰好をして日向ぼっこをしていたので、写真を撮ってきました。
カメの日向ぼっこは良く見かけますが、この写真のように手足を伸ばしている姿は初めて見ました。