図書館で借りた本

がんばると迷惑な人
「低質な努力は良質な努力を駆逐する」は至言。
なるほどが多かった良書。
以下、印象に残った部分を自分用メモとして。
ーーーーーーーーー
遅くまで残業している部署に限ってミスは多いし、成果も上がっていない。
がんばり病ががいつまでもはびこる大きな理由は、努力の量は見えるが、質は見えないため。
がんばり病が組織の中に蔓延すると、がんばることが自己目的化し、「手抜き」ならぬ「頭抜き」状態に陥る。
見せかけのがんばりに反比例して努力の質は確実に低下する。
「悪貨は良貨を駆逐する」というが「低質な努力は良質な努力を駆逐する」現象が組織の中に、我が国の中に蔓延していると言っても過言ではない。
あるメーカーの某課長は、人の倍働けば必ず報われるという信念のもと、部下にも決して妥協を許さない。
会議のたびに山のような資料をつくらせ、細かく赤字を入れて指摘したところは自分が納得するまで何度でも作り直させる。周りの明かりが消えた深夜でもその課だけは電気が煌々とともっている。
ところが、苦労して作った資料のほとんどは会議で一度も開かれないまま回収されてやがて資源ごみとなって消えてゆく。
人一倍苦労した部下たちには、昇進や栄転が待っているわけではなく、燃え尽き感だけが残る。
頑張っても報われないことに気づいた部下たちは、いくら力を入れて書いた文章でもタイムリミットが来るまでは書き直しさせられること、どんなに仕事を早く片付けても深夜まで残されることを知り、力をセーブして仕事をするようになった。
研究者の中には博引旁証、持って回った表現や虚仮威しで難解な言葉を用いて悦に入り、不必要に分厚い本や論文を書く人がいるが、誤った訓練によって悪癖が身についてしまっている。
ムダや仕事を増やす「ファザード」。
部下の仕事にはいちいち口を出し、微に入り細に渡って報告を求める。部下を評価するときは仕事の出来よりもどれだけがんばっているかが基準になる。
役所でムダな仕事が減らないのも、原因の大半はがんばりを評価する風土が招いたものだと言ってよい。
成果や効率よりもがんばりが評価されると効率化とは逆の力学が働く。仕事を効率化するとがんばりを示せなくなるので、ムダだと分かっていても効率化しない。非効率なほうがトクだから。がんばりや勤勉さを演技するという大きなムダが隠れているが、その責任は公務員自身にあるのではなく、ムダが生じる仕組みを残している制度設計者やトップの側にある。
外資系企業を訪ねると、受付の女性が暇なときには外国語の勉強や読書をしている姿を見かける。しかし、こちらが近づけば自然な笑顔で対応してくれる。直立不動でつくり笑顔と紋切り型の挨拶を繰り返すより、むしろ好印象を抱く。
完璧主義は、非現実的、非合理的で空疎な言葉。完璧を追求することのメリットとコストを天秤にかける現実的・合理的な考え方をしない。90%でも差し支えないものを100%までもっていこうとすれば、何倍、何十倍というコストがかかる場合がある。それによって浪費される資源をもっと大切なところへ集中的に投入するほうがはるかに生産的である。
質の世界に完璧という概念はない。勝手に正解やゴールを設け、その達成に全力を尽くすこと、またそこから逆算して減点法で評価することは、自らの視野を狭め、思考の範囲を限定してしまうことに他ならない。自覚していないだけで実は怠惰な姿勢だと言える。
アイヒマン実験。組織のがんばりがエスカレートすると歯止めがきかなくなる。体罰やいじめの構図。
意思決定するときの判断基準「最適基準」と「満足基準」。
前者はあらゆる選択肢の中から最適なものを選ぶこと、後者は満足できるものを選ぶこと。
経済学では人間が最適な選択肢を選ぶことが前提にされるが、現実の人間は全知全能の神と違って認知能力に限界があるので、経営者はたいてい満足基準で意思決定している。
大事な仕事は最適基準、それ以外の仕事は満足基準のダブルスタンダードにより仕事にメリハリを。
仕事によっては全力を注入するよりも適当にこなしたほうがかえってよい結果が出る。
君子の交わりは淡きこと水のごとし。
ヤミ研究を制度として認める企業が増えている。
3Mの15%ルール、グーグルの20%ルール。
縛りのない自由な発想のなかからブレークスルーや画期的な新製品が生まれることも。
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がんばると迷惑な人
「低質な努力は良質な努力を駆逐する」は至言。
なるほどが多かった良書。
以下、印象に残った部分を自分用メモとして。
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遅くまで残業している部署に限ってミスは多いし、成果も上がっていない。
がんばり病ががいつまでもはびこる大きな理由は、努力の量は見えるが、質は見えないため。
がんばり病が組織の中に蔓延すると、がんばることが自己目的化し、「手抜き」ならぬ「頭抜き」状態に陥る。
見せかけのがんばりに反比例して努力の質は確実に低下する。
「悪貨は良貨を駆逐する」というが「低質な努力は良質な努力を駆逐する」現象が組織の中に、我が国の中に蔓延していると言っても過言ではない。
あるメーカーの某課長は、人の倍働けば必ず報われるという信念のもと、部下にも決して妥協を許さない。
会議のたびに山のような資料をつくらせ、細かく赤字を入れて指摘したところは自分が納得するまで何度でも作り直させる。周りの明かりが消えた深夜でもその課だけは電気が煌々とともっている。
ところが、苦労して作った資料のほとんどは会議で一度も開かれないまま回収されてやがて資源ごみとなって消えてゆく。
人一倍苦労した部下たちには、昇進や栄転が待っているわけではなく、燃え尽き感だけが残る。
頑張っても報われないことに気づいた部下たちは、いくら力を入れて書いた文章でもタイムリミットが来るまでは書き直しさせられること、どんなに仕事を早く片付けても深夜まで残されることを知り、力をセーブして仕事をするようになった。
研究者の中には博引旁証、持って回った表現や虚仮威しで難解な言葉を用いて悦に入り、不必要に分厚い本や論文を書く人がいるが、誤った訓練によって悪癖が身についてしまっている。
ムダや仕事を増やす「ファザード」。
部下の仕事にはいちいち口を出し、微に入り細に渡って報告を求める。部下を評価するときは仕事の出来よりもどれだけがんばっているかが基準になる。
役所でムダな仕事が減らないのも、原因の大半はがんばりを評価する風土が招いたものだと言ってよい。
成果や効率よりもがんばりが評価されると効率化とは逆の力学が働く。仕事を効率化するとがんばりを示せなくなるので、ムダだと分かっていても効率化しない。非効率なほうがトクだから。がんばりや勤勉さを演技するという大きなムダが隠れているが、その責任は公務員自身にあるのではなく、ムダが生じる仕組みを残している制度設計者やトップの側にある。
外資系企業を訪ねると、受付の女性が暇なときには外国語の勉強や読書をしている姿を見かける。しかし、こちらが近づけば自然な笑顔で対応してくれる。直立不動でつくり笑顔と紋切り型の挨拶を繰り返すより、むしろ好印象を抱く。
完璧主義は、非現実的、非合理的で空疎な言葉。完璧を追求することのメリットとコストを天秤にかける現実的・合理的な考え方をしない。90%でも差し支えないものを100%までもっていこうとすれば、何倍、何十倍というコストがかかる場合がある。それによって浪費される資源をもっと大切なところへ集中的に投入するほうがはるかに生産的である。
質の世界に完璧という概念はない。勝手に正解やゴールを設け、その達成に全力を尽くすこと、またそこから逆算して減点法で評価することは、自らの視野を狭め、思考の範囲を限定してしまうことに他ならない。自覚していないだけで実は怠惰な姿勢だと言える。
アイヒマン実験。組織のがんばりがエスカレートすると歯止めがきかなくなる。体罰やいじめの構図。
意思決定するときの判断基準「最適基準」と「満足基準」。
前者はあらゆる選択肢の中から最適なものを選ぶこと、後者は満足できるものを選ぶこと。
経済学では人間が最適な選択肢を選ぶことが前提にされるが、現実の人間は全知全能の神と違って認知能力に限界があるので、経営者はたいてい満足基準で意思決定している。
大事な仕事は最適基準、それ以外の仕事は満足基準のダブルスタンダードにより仕事にメリハリを。
仕事によっては全力を注入するよりも適当にこなしたほうがかえってよい結果が出る。
君子の交わりは淡きこと水のごとし。
ヤミ研究を制度として認める企業が増えている。
3Mの15%ルール、グーグルの20%ルール。
縛りのない自由な発想のなかからブレークスルーや画期的な新製品が生まれることも。
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