小樽のパパの子育て日記

日々のできごとを徒然なるままに2006年から書いて18年目になりました。
ヤプログから2019年9月に引越し。

たもちゃんから聞いた話 その1

2016-05-07 08:26:42 | インポート
御年91歳になるたもちゃんは、これまで4人を命を救ったという。
これは一人目を助けたときの話。
たもちゃんがまだ30歳代だったというから、時は昭和30年代、2月の話だ。

たもちゃんは当時、船乗りとして底引き漁船に乗っていた。
その日の漁場は雄冬岬の沖合だった。
魚の採れる漁場は狭く、多くの船がひしめき合っていたためか、たもちゃんの乗っていた船が網を巻き上げていたところ、他の船が入れた網と絡まってしまった。
網の中にはたんまりと魚を抱えこんでおり、その重さもあって船はにっちもさっちも動けなくなってしまった。

網を切るしかない、いや、切らないで何とかならないか。
悩んだ末に船長は、網を切ることを決断し、若いセツオが網の切断作業をするために海面に降りた。
厳寒の海の中、過酷な条件での作業だ。
ちょっとした判断ミスが大きな事故に繋がる。
絡まっていた網(ロープ)を切る際に、セツオは自分の船の網を掴んでいるべきだったのだが、相手船の網を掴んで作業をしていたために事故が起こった。
相手船の網は引っ張られてピーンと張っていたために、自船の網を切った瞬間、セツオは相手船の網ごと10m以上先の海中に投げ出されてしまった。
厳寒の2月の真夜中、闇と波の中に消えゆくセツオ。

しかし、この日は、晴天の暗夜だったのが不幸中の幸いであった。
揺れる甲板にいるたもちゃんの眼には、星の明かりが照らすセツオの姿が映っていた。
とっさに体にひもを巻きつけて海の中に飛び込んだ。
全力で泳いで、流されるセツオを捕まえた。
毛糸を着ていたので体が締め付けられて息が苦しくなったが必死だった。
水に入るときは毛糸は脱いだほうがいいとは聞いていたが、溺れている仲間を目の前にしたら、そんなことは考えていられなかった。
甲板にいる仲間に引っ張られ、無事に二人とも助かった。
「俺はあとでいいから先に五十嵐さんを上げてやってくれ」
セツオが船に上がるときに海の中で言った言葉を50年以上経った今でもたもちゃんは忘れないという。