人はなぜ旅をするのだろうか
激しく共感した一節があったので記しておく。
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いつだったか、たった一人で湖の傍に居たとき「ここは死後の世界の一場面ではないかな」と思った。そして思いおこしてみれば、雪の山頂も、砂漠の一人歩きも、浜辺で波を見ているのもみんなそんな風景のなかに自分を置いてみたくて旅をしていたような気がした。どんなところに行きたいかと聞かれれば行ってみなければ分からないとしか答えようがなかった意味が少し分かった。
大袈裟な言い方だが、旅は「死の領域」に踏み出すことではないかと思い至った。ある人は砂漠や高い山にたたずむ自分を「宇宙に居る」と感じたという。私が死の匂いを嗅いだのと同じように、彼は生の匂いを嗅いだのだろう。多分私たちが感じたものは同じものであるのだろう。二人とも「生きていた自分」に気がついたのである。
私たちは途切れることなく流れる「時の川」のなかで毎日を送っているのだが、旅に出ることで、時の流れの岸辺に立つことになるような気がする。旅先で日常生活を送っている人々を見て、取り残されている自分に気がつく。自分が参加していない流れがそこにはある。そのときふと流れていく自分の影を見る気がするのだ。見えぬはずの自分が見えることが旅のなかではある。
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旅の中で見えぬはずの自分が見える。
だから旅先で自分を見つめ直すことができるのだ。
遠い昔に乗ったナポリ行きの電車を思い出した。
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