本作品は狩野永真安信の作品として売られていましたが、これは間違いで狩野永悳のことで正式には狩野永悳立信の作品です。狩野派の作品は号まで理解ししていないと作者を間違えますので要注意です。日本美術の研究を始めたアーネスト・フェノロサに、古画の研究と鑑定法を教授しています。甥の狩野友信と連書で、フェノロサに一代狩野姓を許し「狩野永探理信」の名を与えるなど、日本における美術史学の形成にも間接的に寄与した画家です。また河鍋暁斎は晩年狩野派を継承するため、永悳に入門し直しています。侮ってはいけない画家の一人です。
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