夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

根来椀 増村益城作

2024-12-16 00:01:00 | 漆器
漆器は「JAPAN」と外国から呼称されるように日本古来の伝統工芸として大いに評価されていますが、現代の作品では漆の栽培が難しく、中国産の漆が99%使用される点、蒔絵の絵付けが稚拙になったことなど質の低下が著しいものです。

一部の漆器作家や職人がなんとか漆器を支えていますが、本日はそのような作品の紹介です。



根来椀 増村益城作
河北倫明宛書状添付 高台内サイン 共箱共布
胴径160*高台径*高さ240



造ら得た「増村益城」の略歴は下記のとおりです。

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増村益城:(まつむら ましき)*髹漆の国指定重要無形文化財保持者(人間国宝)、日本工芸会参与の漆芸家。

明治42(1910)年、熊本県上益城郡益城町(旧津森村)田原344に父増村仁五郎、マタの七男として生まれる。本名成雄(なりお)。

大正13(1924)年熊本市立商工学校漆工科に入学。その頃、同校漆工科教員には財間六郎、藤芳太直(美術史、蒔絵)、川俣熊三郎(会津漆芸)らがいた。

昭和5年1月、熊本市立商工学校漆工科の同期生であった山本剛史の誘いにより奈良の漆芸家辻富太郎(永斎)に師事し、同7年1月やはり山本剛史の誘いによって上京して赤地友哉に師事する。

昭和12年独立して漆芸家として作家活動を始める。



同17年第5回文展に「髹飾卓」で入選。戦後も官展に出品し、同22年第3回日展に「髹飾卓」で入選以後、日展に出品を続ける。



同30年第1回日本漆芸展に「溜塗文机」を出品して文大臣賞受賞。同31年より日展のほか日本伝統工芸展にも出品。
同53年重要無形文化財「髹漆」保持者に認定され、同年より人間国宝新作展にも出品する。また、同年熊本岩田屋伊勢丹で「増村益城漆芸展」が開催された。



後進の育成にも尽くし、乾漆技法を用い、複雑な曲線をもつ近代的な形、絵付けをせず、朱色、黒など漆本来の色一色で仕上げる独特の仕上げにより、現代生活に根ざした作風を確立した。没後には東京国立近代美術館で遺作展が開かれた。
*1996年(平成8年)4月20、腹膜炎のため死去。享年85。

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明治期の出来の良い漆器のような艶があります。この艶は脈々と時空を超えた遺っていくものです。



「髹漆:(きゅうしつ)」については下記のとおりです。

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髹漆:(きゅうしつ)漆塗を主とする漆芸技法であり、素地の材料の選択に始まり、下地工程を経て、上塗・仕上げ工程に至る幅広い領域にわたり、漆芸の根幹をなす重要な技法である。素地の材料には木材、竹、布、和紙、皮革等があり、各材質の特色を生かして下地、上塗を施す。上塗・仕上げには、塗面を磨かず塗放(ぬりはなし)で仕上げる塗立、(花塗、磨いて光沢を出す呂色塗(ろいろぬり)など多くの種類がある。


髹漆は、最も早く始められた漆芸技法であり、現在では、立体的な造形と漆の塗肌の味わいや光沢を生かした活発な制作が行われている。

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「呂色塗」などは昭和初期の頃の作品にて本ブログで紹介しています。



能登震災で輪島塗の存続の危機が取り沙汰されていますが、ここで踏ん張らないと漆器は益々廃れていく可能性があります。



明治期から昭和初期にかけての漆器は大いに盛んで、富裕層が膳も含めて揃いの器を自宅で揃えていたものです。その頃は京橋や銀座三越など多くの漆器を扱うお店があったようです。



引き出物にも少なくなった漆器、これからはインバウンド需要に備えなくてはなりませんが、如何せん中国製の漆を使用していることが外国からの評価で大きくマイナスになっていますし、絵付けや蒔絵があまりにも幼稚なのも人気が出ない原因のようです。



この作品は漆器の原点のような作りですね。



この作品は河北倫明氏の文化功労授賞のお祝いに増村益城本人が贈ったもののようです。

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河北倫明:(かわきた みちあき、1914年12月14日~1995年10月30日)。日本の美術評論家。京都国立近代美術館館長、京都造形芸術大学学長を歴任。佐藤達夫は従兄。福岡県浮羽郡山春村(現:うきは市)生まれ。福岡県中学明善校、第五高等学校、1938年京都帝国大学文学部哲学科卒。1943年文部省美術研究所に勤務。自身と同じ明善校にも学んだこともある久留米出身の夭逝の洋画家青木繁を研究テーマとし、日本美術史上にその評価を定めた。



近代日本美術史の研究を精力的に進め、1952年国立近代美術館事業課長、1963年次長、1969年京都国立近代美術館館長となる。1986年退官、同年秋、勲二等旭日重光章受勲。美術館連絡協議会会長、国公私立美術館博物館運営委員。京都造形芸術大学学長。1991年文化功労者。 

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書付が同封されている貴重な作品のようですが、どうしてこれが市場に出てきたのか複雑な思いはあります。


共箱なのも貴重です。



箱は痛まないようにし、さらにひと目で内の作品が分かるよ卯にしておくことが肝要ですね。



いちいち蓋を開けないとどういう作品か分からないという保管方法は作品を傷めることや作品の所在不明や紛失に繋がります。



箱にはいつものように説明書きを同封しています。


















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