
鶏之図 竹内栖鳳筆
絹装軸紙本水墨共箱 画サイズ横337*縦1232

席画程度ながら鶏の表現にたらしこみ等の抜群の筆の冴えを見せた作。伊藤若冲との対比も面白いと思い投稿しました

下の写真は文献参考落款と印章です。

竹内栖鳳:元治元年生まれ、昭和17年没(1864年~1942年)。名は恒吉。
初め棲鳳と号していた。京都出身で幸野楳嶺に四条派を学び、その上に立って明治の新時代的表現を行って新画風を作り、「絵になる最初」、「あれ夕立に」を出世作として、「雨斎」によって確固とした地位を固めた。帝室技芸員、帝国美術院会員,京都市立美術学校教授となって関西日本画壇の指導者となり、文化勲章を受けた。
「正面之虎 大橋翠石筆」に「翠石研究家」さんから下記のうれしい投稿がありました。
「絵を拝見すると、大橋翠石の明治時代作品です。
翠石の石が鍵石という文字になっていることと、この時代は毛描きが白 黒 茶などでされています。毛書きの本数もかなり多いものでしょう。
箱書きは大正時代初期に為書きがされていて、大正時代には箱が無かったため 旧作と入れたと考えられます。
おそらくこの絵は 翠石作品が手元にあった状態で、手に入れた方が自分で表具をされたと思います。
この時代の共箱ならば 大垣の文錦堂の表具がされることから、この表具とは違います。
初期作品は少ないので大切に保存してください。」
絹装軸紙本水墨共箱 画サイズ横337*縦1232

席画程度ながら鶏の表現にたらしこみ等の抜群の筆の冴えを見せた作。伊藤若冲との対比も面白いと思い投稿しました




下の写真は文献参考落款と印章です。


竹内栖鳳:元治元年生まれ、昭和17年没(1864年~1942年)。名は恒吉。
初め棲鳳と号していた。京都出身で幸野楳嶺に四条派を学び、その上に立って明治の新時代的表現を行って新画風を作り、「絵になる最初」、「あれ夕立に」を出世作として、「雨斎」によって確固とした地位を固めた。帝室技芸員、帝国美術院会員,京都市立美術学校教授となって関西日本画壇の指導者となり、文化勲章を受けた。
「正面之虎 大橋翠石筆」に「翠石研究家」さんから下記のうれしい投稿がありました。
「絵を拝見すると、大橋翠石の明治時代作品です。
翠石の石が鍵石という文字になっていることと、この時代は毛描きが白 黒 茶などでされています。毛書きの本数もかなり多いものでしょう。
箱書きは大正時代初期に為書きがされていて、大正時代には箱が無かったため 旧作と入れたと考えられます。
おそらくこの絵は 翠石作品が手元にあった状態で、手に入れた方が自分で表具をされたと思います。
この時代の共箱ならば 大垣の文錦堂の表具がされることから、この表具とは違います。
初期作品は少ないので大切に保存してください。」
夜噺骨董談義を、ご贔屓にしてくださる翠石研究家様のような方が御来店いただくと、同僚?としても大変嬉しく思うのであります。
研究家様、またの御来店心よりお待ち申し上げます。
ご贔屓さんが退屈しないブログを心がけます