夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

田家早梅図 平福穂庵筆 その21

2018-12-13 00:01:00 | 掛け軸
骨董の見極めの中には鑑定者の知識も必要です。ただあまりに鑑定書に拘るとよくないというのもよく言われていることですが・・。

田家早梅図 平福穂庵筆 明治18年(1885年)頃
紙本水墨淡彩軸装 軸先竹 昭和18年12月 清水濁鑑定書有 合箱
全体サイズ:縦*横(未測定) 画サイズ:縦351*横270
*分類第4期:さらなる飛躍の時(明治18年~23年)

 

在中の鑑定書は「不濁」とありますので、美術鑑定家として著名な「清水登」氏の鑑定となります。平福穂庵の鑑定は子息で画家の平福穂庵が一般的ですが、ほかに寺崎廣業の門下の画家で青森出身の鳥谷幡山、またたまに画家の田中柏陰の鑑定があります。当方では「清水登」の鑑定書は平福穂庵では初めてです。



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清水澄:美術鑑定家として知られるが、号不濁1894(明治27)年1月5日長野県上田市に生まれ、早稲田大学政経学部を中退した。大正時代、報知新聞記者をつとめ、1931年同社を退社し、美術倶楽部出版部、鑑定部社長に就任した。書画、刀剣等の鑑定を専らにし、また名鑑、書画家番附、辞典、印譜等の多くを出版した。
没年月日:1980年2月3日 享年86歳。
*昭和18年(1943年)清水登が49歳の時の鑑定となりますが、当時は戦時中。

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南画などの作品にはよく竹の軸先が用いられます。



落款の書体の特徴から明治20年頃のいわゆる第4期に分類される晩年の作かと推察しています。印章は「穂庵」「平順」かと思われますが未確認です。幾つかの作品には印章不詳という押印が文献資料にもありますが、この作品との印章の関連は現時点では後学にしたいと思います。

きちんとした作品にはきちんとした表具が一般的にはなされているものです。

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平福穂庵については20作品ほど揃ってきたので、そろそろ年代順などに整理したいと思っています。



郷里の画家、平福父子ですが、贋作に侵食され、真を見極めるのが難しくなっていますが、我が郷里の代表的な画家であり、いくつかの作品は我が家にも古くから遺されているので、使命と思って保管・整理に努めたいと考えています。



*平福穂庵についての資料をあらたに入手しました。この資料をもとに平福穂庵の作品を見直す必要があることが解りました。平福穂庵の明治前後の作品について判断に迷っていた作品があり、それらは真作と思われる根拠のあることが数点の作品にて判明しました。処分の一歩手前で男の隠れ家に放置されている作品を見直すことが必要なようです。



本作品は3000円でインターネットオークションで落札した作品です。出来の良い作品ですが、作品の良し悪し、鑑定者が解らなかったのが落札金額が廉価であった原因もあるでしょうが、やはり印章が通常の印章と違うのが根本原因かと思います。印章の資料にこだわると時として真作を見落とします。あくまで作品の出来で判断するのが真贋のポイントであることにはいつも変わりありません。


*落款の書体は「勢いのある運筆は影を潜め、慎重な運筆での署名」が大半を占める晩年の落款と共通していることからと最晩年の作と推察されます。

**印章は白文朱方印「穂庵」と朱文白方印「平順」が押印されています。この累印は晩年の明治20年頃に多く使われています。朱文白方印「平順」の印が二顆のうち最初に押印される作品が多いが、第4期の最初の頃は後の作品もある。


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