
10年以上続いた本ブログに投稿されている作品整理もそろそろ終了が見えてきました。
作品を調べて整理してきましたが、前にも記述したとおり並行して痛んだ作品の修復など保存するための処置を行っています。陶磁器、漆器、彫刻などがほぼ完了し、整理する作品数が多く残っていた掛け軸の修復や保存の処置を残すのみとなってきました。
作品はまず手元に遺すべき作品か否かを判断し、遺すべきと判断した作品には下記のような処置をしています。
陶磁器:破損している作品は修理、保存箱の誂え。
漆器 :破損している作品は修理、保存箱の誂え。
額作品:染み抜きの必要な場合は染み抜き、額が痛んでいる場合は額交換→タトウ+黄袋の誂え。
軸作品:染み抜きの必要な場合は染み抜き、痛んでいる場合は表具の改装→保存箱の無い場合は保存箱の誂え。
彫刻類:傷の補修、保存箱の誂え。シミのある場合はシミの処置。
共通しているのは「作品の説明書の作成、その電子データ化(アナログデータ化共)」です。それを検索しやすくするための本ブログの作成です。修理もさることながら、修理する価値の有無についてひとつの作品の調査に幾日も費やすこともありますし、何度も資料を推敲することも度々です。真贋、当方における価値さえなんども覆ることもあります。
本日は補修していた大幅の掛け軸の修復が完了したので、いくつかの作品を紹介します。
下記の作品は「太巻共箱二重箱」の内箱の下箱が欠損していた作品です。
横笛を吹く娘 鏑木清方筆
絹本水墨着色軸装 軸先 太巻共箱二重箱
全体サイズ:縦1980*横640 画サイズ:縦*横

このような欠損はあまりないのですが、内箱が欠損しているため湿気によるシミが発生し始めている状態でした。なんらかの理由で太巻の内箱の下箱を欠損したのでしょう。

鏑木清方の初期の真作と判断しましたので、すぐに内箱の修復をしました。
この作品はもともと太巻きではなかったと判断されます。

共箱の作品を後日、太巻き収納箱に作り替えたのでしょう。

このような処置は結構あります。普通の保存方法では巻皺ができたり、絵の具の剥落が発現しそうな出来の良い作品には後日に太巻きの処置がされます。

今回の処置ではさらに題字のカバーを作っておきました。二重箱は出し入れで題字が擦れて損なわれることがあるので題字カバーは共箱には必須です。

こうすることで長く作品が健全な状態で保たれるようになり、作品も喜ぶでしょう。ただむろんのことですが、作品を扱う方の扱い方、保管方法が大切です。
次の作品は下記の作品です。

寒江独釣 その1 釧雲泉筆 寛政12年(1800年)頃
水墨淡彩紙本緞子軸装 軸先鹿角 合箱二重箱 2019年7月改装
全体サイズ:縦2045*横736 画サイズ:縦1497*横606

この作品は真贋の判断に時間を要した作品です。

真贋を疑ったのはまず同図の作品が存在することです。大正7年10月の當市高田氏及某家所蔵品入札(東京美術倶楽部開催)に掲載の作品NO42「春冬山水」双幅の冬の作品と構図が同一です。この作品の賛には「寒江独釣 戊辰(1808年)□□月以下不明」とあり、文化5年(釧雲泉)の作で、亡くなる3年前の作となりますが、本作品もそれと前後して描かれたものであろうと最初は推察していました。

この文化年間の「寒江独釣」は有名な作品であり、たしかに同図の作品が複数存在するようです。

ただ本作品は文化年間の作品と落款の書体が違い、作風からももっと前に書かれて作品と推察されます。

当方の作品の落款は「雲泉写」とあるのみで、印章は「釧就之印」の白方印と「丹青三昧(絵画の道一筋であるという)」朱方印です。印章も文化年間の印と違いが見られます。
*同図の作品の賛に「寒江独釣」とあることから、これに倣って仮題としていました。

以上から当初は文化年間の模倣作品の疑いが払拭されませんでしたが、調査を深めていくとその作風、落款から文化年間の四幅対の作品(文化年間の作品は「寒江獨釣」を含めて4幅対の構成になっている)より前の作ではないかと推察されます。
また4幅対として構想された画題の作品を、求めに応じそれぞれ複数描いたのでそれぞれ複数の作品が存在するのではと推測されます。順序からすると作風から本作品が4幅対の作品の元となっているように断定されると思います。(本作品への「すぎぴいさん」からのコメント通り)
以上から寛政末期から享和初年頃(1800年頃)の真作ではないかと判断しました。
*江戸期の作品は照明を極力暗くして鑑賞するのがいいようです。

よって、今回は痛んでいた表具を改装し、保存箱も修復してきちんと保存することにしました。

作品の題は「寒江獨釣」と区分するために「雪景山水図」としておきました。
*なお複数存在する文化年間の4幅の作品中の「寒江獨釣」と「秋渓覚句」の画題の二幅については、手元に同題の作品が所蔵しており、現在双幅仕立てにしています。
さらに釧雲泉の作品についてはもう一点作品があります。こちらは収納箱がない状態の作品です。

文化丁卯 浅絳山水図 釧雲泉筆 文化4年(1807年)頃
紙本水墨軸装 軸先木製 誂箱
全体サイズ:縦2017*横686 画サイズ:縦1303*横556

落款は「雲泉釧就 押印」とあり、他の作品「文化丁卯山水図」と同時期の1807年(文化4年)頃の作と推定していますが、こちらは真贋の判断はしかねています。

ただ保存箱もなにもない状態の作品ですので、とりあえず収納箱を誂えました。

この作品も贋作として処分するには早計でじっくり調査中です。

本腰を入れた調査には時間というものを味方に引き入れる必要があるようです。

同様の作品は下記の作品です。こちらも収納箱がない状態です。いずれも幅の大きい作品ですので、収納箱は特注となります。
朝陽松ニ鶴図 寺崎廣業筆 明治37年(1904年)
絹本着色軸装 軸先木製 誂箱
全体サイズ:縦2130*横815 画サイズ:縦1385*横670

賛には「明治甲辰正月八日於白井□□ 廣業写 押印」とあり、明治37年(1904年)の作の大幅の作品です。

明治37年は廣業が39歳の頃で各種展覧会にて入選を果たすなど活発に制作活動を始めた頃です。新年を迎えて興にのって描いた作品ではなかろうかと思われます。

描いた年号まで記した寺崎廣業の作品は非常に珍しいです。こちらは真作との判断になります。

落款は「二本廣業」の字体が次の字体に移る頃です。明治38年からは「業」の5画目が直線上になります。印章は「秀斎廣業」と落款を押印していた頃の作品にも押印されている印章です。

このように少しずつ調べていくうちに解ってきた作品を保存すべきか否かを考慮して振り分け、保存すべき作品は保存の処置をしている段階です。これが終了すると当方の蒐集はひとつの区切りを迎えることになります。
作品を調べて整理してきましたが、前にも記述したとおり並行して痛んだ作品の修復など保存するための処置を行っています。陶磁器、漆器、彫刻などがほぼ完了し、整理する作品数が多く残っていた掛け軸の修復や保存の処置を残すのみとなってきました。
作品はまず手元に遺すべき作品か否かを判断し、遺すべきと判断した作品には下記のような処置をしています。
陶磁器:破損している作品は修理、保存箱の誂え。
漆器 :破損している作品は修理、保存箱の誂え。
額作品:染み抜きの必要な場合は染み抜き、額が痛んでいる場合は額交換→タトウ+黄袋の誂え。
軸作品:染み抜きの必要な場合は染み抜き、痛んでいる場合は表具の改装→保存箱の無い場合は保存箱の誂え。
彫刻類:傷の補修、保存箱の誂え。シミのある場合はシミの処置。
共通しているのは「作品の説明書の作成、その電子データ化(アナログデータ化共)」です。それを検索しやすくするための本ブログの作成です。修理もさることながら、修理する価値の有無についてひとつの作品の調査に幾日も費やすこともありますし、何度も資料を推敲することも度々です。真贋、当方における価値さえなんども覆ることもあります。
本日は補修していた大幅の掛け軸の修復が完了したので、いくつかの作品を紹介します。
下記の作品は「太巻共箱二重箱」の内箱の下箱が欠損していた作品です。
横笛を吹く娘 鏑木清方筆
絹本水墨着色軸装 軸先 太巻共箱二重箱
全体サイズ:縦1980*横640 画サイズ:縦*横

このような欠損はあまりないのですが、内箱が欠損しているため湿気によるシミが発生し始めている状態でした。なんらかの理由で太巻の内箱の下箱を欠損したのでしょう。

鏑木清方の初期の真作と判断しましたので、すぐに内箱の修復をしました。

この作品はもともと太巻きではなかったと判断されます。

共箱の作品を後日、太巻き収納箱に作り替えたのでしょう。


このような処置は結構あります。普通の保存方法では巻皺ができたり、絵の具の剥落が発現しそうな出来の良い作品には後日に太巻きの処置がされます。

今回の処置ではさらに題字のカバーを作っておきました。二重箱は出し入れで題字が擦れて損なわれることがあるので題字カバーは共箱には必須です。

こうすることで長く作品が健全な状態で保たれるようになり、作品も喜ぶでしょう。ただむろんのことですが、作品を扱う方の扱い方、保管方法が大切です。
次の作品は下記の作品です。

寒江独釣 その1 釧雲泉筆 寛政12年(1800年)頃
水墨淡彩紙本緞子軸装 軸先鹿角 合箱二重箱 2019年7月改装
全体サイズ:縦2045*横736 画サイズ:縦1497*横606

この作品は真贋の判断に時間を要した作品です。

真贋を疑ったのはまず同図の作品が存在することです。大正7年10月の當市高田氏及某家所蔵品入札(東京美術倶楽部開催)に掲載の作品NO42「春冬山水」双幅の冬の作品と構図が同一です。この作品の賛には「寒江独釣 戊辰(1808年)□□月以下不明」とあり、文化5年(釧雲泉)の作で、亡くなる3年前の作となりますが、本作品もそれと前後して描かれたものであろうと最初は推察していました。

この文化年間の「寒江独釣」は有名な作品であり、たしかに同図の作品が複数存在するようです。

ただ本作品は文化年間の作品と落款の書体が違い、作風からももっと前に書かれて作品と推察されます。

当方の作品の落款は「雲泉写」とあるのみで、印章は「釧就之印」の白方印と「丹青三昧(絵画の道一筋であるという)」朱方印です。印章も文化年間の印と違いが見られます。
*同図の作品の賛に「寒江独釣」とあることから、これに倣って仮題としていました。

以上から当初は文化年間の模倣作品の疑いが払拭されませんでしたが、調査を深めていくとその作風、落款から文化年間の四幅対の作品(文化年間の作品は「寒江獨釣」を含めて4幅対の構成になっている)より前の作ではないかと推察されます。
また4幅対として構想された画題の作品を、求めに応じそれぞれ複数描いたのでそれぞれ複数の作品が存在するのではと推測されます。順序からすると作風から本作品が4幅対の作品の元となっているように断定されると思います。(本作品への「すぎぴいさん」からのコメント通り)
以上から寛政末期から享和初年頃(1800年頃)の真作ではないかと判断しました。
*江戸期の作品は照明を極力暗くして鑑賞するのがいいようです。

よって、今回は痛んでいた表具を改装し、保存箱も修復してきちんと保存することにしました。

作品の題は「寒江獨釣」と区分するために「雪景山水図」としておきました。
*なお複数存在する文化年間の4幅の作品中の「寒江獨釣」と「秋渓覚句」の画題の二幅については、手元に同題の作品が所蔵しており、現在双幅仕立てにしています。
さらに釧雲泉の作品についてはもう一点作品があります。こちらは収納箱がない状態の作品です。

文化丁卯 浅絳山水図 釧雲泉筆 文化4年(1807年)頃
紙本水墨軸装 軸先木製 誂箱
全体サイズ:縦2017*横686 画サイズ:縦1303*横556

落款は「雲泉釧就 押印」とあり、他の作品「文化丁卯山水図」と同時期の1807年(文化4年)頃の作と推定していますが、こちらは真贋の判断はしかねています。

ただ保存箱もなにもない状態の作品ですので、とりあえず収納箱を誂えました。

この作品も贋作として処分するには早計でじっくり調査中です。

本腰を入れた調査には時間というものを味方に引き入れる必要があるようです。

同様の作品は下記の作品です。こちらも収納箱がない状態です。いずれも幅の大きい作品ですので、収納箱は特注となります。
朝陽松ニ鶴図 寺崎廣業筆 明治37年(1904年)
絹本着色軸装 軸先木製 誂箱
全体サイズ:縦2130*横815 画サイズ:縦1385*横670

賛には「明治甲辰正月八日於白井□□ 廣業写 押印」とあり、明治37年(1904年)の作の大幅の作品です。

明治37年は廣業が39歳の頃で各種展覧会にて入選を果たすなど活発に制作活動を始めた頃です。新年を迎えて興にのって描いた作品ではなかろうかと思われます。

描いた年号まで記した寺崎廣業の作品は非常に珍しいです。こちらは真作との判断になります。

落款は「二本廣業」の字体が次の字体に移る頃です。明治38年からは「業」の5画目が直線上になります。印章は「秀斎廣業」と落款を押印していた頃の作品にも押印されている印章です。

このように少しずつ調べていくうちに解ってきた作品を保存すべきか否かを考慮して振り分け、保存すべき作品は保存の処置をしている段階です。これが終了すると当方の蒐集はひとつの区切りを迎えることになります。