
暗くなってきて玄関の戸締りに出かけたら、玄関の照明に紛れ込んできたセミを祖父と息子で捕まえたようです。鳴かないゆえに雌かな?

小型のセミで羽がアブラゼミと比較して半分が透明になっています。息子と図鑑で調べて「ニイニイゼミだよ。」と教えてあげました。明朝、庭に放してあげようということになりました。
さて北アルプスから見る日の出は格別のものがあります。本日紹介する作品は、学生時代に夢中になった思い出深い登山を思い出させてくれるので購入した作品です。
雲海朝陽 川村曼舟筆
絹装軸絹本着色共箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横412*縦1303

****************************************
川村 曼舟(かわむら まんしゅう、1880年7月9日 - 1942年11月7日)は、日本画家。京都生まれ。本名は万蔵。
****************************************

****************************************
山元春挙に師事し、1902年新古美術品展で三等賞、1906年京都市立美術工芸学校助教諭、1910年教諭。1908年文展で三等賞、1916年「竹生島」で特選、翌年「日本三景」で特選、1922年京都市立絵画専門学校教授、1936年校長(兼美術工芸学校長)。春挙門下四天王の一人と言われ、師の没後早苗会を主宰。1931年帝国美術院会員、37年帝国芸術院会員。
****************************************

師春挙の色彩豊かで写実的な画風、豪快華麗と言われた春挙の作調を継承しながら、風景表現に新しい感性を導入し、瀟洒で繊細な詩情味ある日本の風景を描き、温雅な世界を築いた画家です。

山元春挙については本ブログにて幾つかの作品を紹介していますが、改めて近日中にまた陶工したいと思っております。

描かれている山々は北アルプスを彷彿とさせます。穂高か槍ヶ岳か・・。

川村曼舟にも贋作の作者が居て、地方では鉢合わせになったというエピソードが知られています。

戦前、戦後の頃にはやはり数多くの贋作する画家がたくさん徘徊していたのでしょう。

ところで北アルプスの登山ルートに表銀座、裏銀座の二つの縦走ルートがあることをご存知ですか? むろん買い物をするルートではありません。また白馬岳から日本海の親知らず海岸に抜けるルートもありますが、小生が登山していた頃は道なき道のルートでした。
学生時代に欲張って表銀座から一気に日本海に抜けたルートを縦走したのですが、ともかくくたびれたし、腹が減った思い出があります。海岸に着くと食堂に駆け込んで思い起こせるメニューをすべて頼んだのですが、胃袋が小さくなっていたのか、ほとんど食べれなかった記憶があります。
夕方になって、ぎりぎりのお金で日本海側を電車を乗り継いで郷里に帰りましたが、そのときの夕陽もまた忘れられません。ところで夕陽を描いた日本画の作品は少ないと思いませんか? 朝陽に比べるとアブラゼミとニイニイゼミとの数量の差

小型のセミで羽がアブラゼミと比較して半分が透明になっています。息子と図鑑で調べて「ニイニイゼミだよ。」と教えてあげました。明朝、庭に放してあげようということになりました。
さて北アルプスから見る日の出は格別のものがあります。本日紹介する作品は、学生時代に夢中になった思い出深い登山を思い出させてくれるので購入した作品です。
雲海朝陽 川村曼舟筆
絹装軸絹本着色共箱
全体サイズ:横*縦 画サイズ:横412*縦1303

****************************************
川村 曼舟(かわむら まんしゅう、1880年7月9日 - 1942年11月7日)は、日本画家。京都生まれ。本名は万蔵。
****************************************

****************************************
山元春挙に師事し、1902年新古美術品展で三等賞、1906年京都市立美術工芸学校助教諭、1910年教諭。1908年文展で三等賞、1916年「竹生島」で特選、翌年「日本三景」で特選、1922年京都市立絵画専門学校教授、1936年校長(兼美術工芸学校長)。春挙門下四天王の一人と言われ、師の没後早苗会を主宰。1931年帝国美術院会員、37年帝国芸術院会員。
****************************************

師春挙の色彩豊かで写実的な画風、豪快華麗と言われた春挙の作調を継承しながら、風景表現に新しい感性を導入し、瀟洒で繊細な詩情味ある日本の風景を描き、温雅な世界を築いた画家です。

山元春挙については本ブログにて幾つかの作品を紹介していますが、改めて近日中にまた陶工したいと思っております。

描かれている山々は北アルプスを彷彿とさせます。穂高か槍ヶ岳か・・。

川村曼舟にも贋作の作者が居て、地方では鉢合わせになったというエピソードが知られています。


戦前、戦後の頃にはやはり数多くの贋作する画家がたくさん徘徊していたのでしょう。

ところで北アルプスの登山ルートに表銀座、裏銀座の二つの縦走ルートがあることをご存知ですか? むろん買い物をするルートではありません。また白馬岳から日本海の親知らず海岸に抜けるルートもありますが、小生が登山していた頃は道なき道のルートでした。
学生時代に欲張って表銀座から一気に日本海に抜けたルートを縦走したのですが、ともかくくたびれたし、腹が減った思い出があります。海岸に着くと食堂に駆け込んで思い起こせるメニューをすべて頼んだのですが、胃袋が小さくなっていたのか、ほとんど食べれなかった記憶があります。
夕方になって、ぎりぎりのお金で日本海側を電車を乗り継いで郷里に帰りましたが、そのときの夕陽もまた忘れられません。ところで夕陽を描いた日本画の作品は少ないと思いませんか? 朝陽に比べるとアブラゼミとニイニイゼミとの数量の差
