
古い朝鮮唐津の作品は茶陶ファンの垂涎の的でそれはそれは高価なものです。本作品は「江戸期」という触れ込みですが、そこまで時代があるかそうか・・・。
正直なところ「朝鮮唐津」の古い作品で茶碗は当方では見たことはありません。また見込みまで掛け分けになっている作例もありません。花入れなどは内部は白い釉薬が施されているのが通常です。よってこの作品は時代のある作品かどうかは疑わしく、近年による朝鮮唐津風の茶碗と思い購入した作品です。
ただ家内が「茶碗としては面白いじゃないの?」と小生と同意見の感想を言うので、恥ずかしながら本ブログに投稿することにしました。
うたがわしきもの 伝朝鮮唐津茶碗
合箱
口径125*高台径*高さ80

朝鮮唐津の説明は下記の記事のよります。
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朝鮮唐津:絵唐津・斑唐津など、代表的な唐津の装飾の一つで、黒飴釉の上に海鼠釉を掛けたりまたその逆海鼠釉の上に黒飴釉を掛けたりしたものです。この技法は全国の諸窯などに数多くありますが、朝鮮唐津は、黒飴釉の部分と海鼠釉の部分とを別々に掛け分けて、やや重なり合った部分が高温でガラス化し黒の部分と白の部分が溶け合い、絶妙な色と流れ具合の変化が特徴になります。

その名称の由来として、一説によりますと当時外国と言えば朝鮮が一番身近のようで、外国と言えば朝鮮という意味合いから来て、異国の所産のような唐津焼、朝鮮唐津と伝えるようになったようです。でも朝鮮半島には朝鮮唐津のルーツになるような品々は少なく、日本に渡ってきてから発展したと解釈した方が良いと思います。
唐津焼とは、初期の頃は壺・皿・碗等の一般民衆が使う器を生産していたのですが、桃山時代の豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592)頃より秀吉をはじめ千利休・古田織部等の中央の武人茶人達の影響を受け、お茶の文化が入ってき来たようです。そのような時代的な背景で形状や装飾等に変化が現れてきたように思われます。

装飾の面では、初期の唐津には単独の顔料で絵を描き一種類の釉薬を掛けているだけが多かったのですが、時がたつにつれ絵唐津や青唐津などもそうですが、朝鮮唐津は特に、織部焼がペルシャの陶器に影響を受けたように唐津もそのようで、それぞれ違う釉薬を使い分けた装飾法が発展したと思います。

今でこそ流れ具合を重要視しますが、昔は、ただ掛け分けたという感じが強いようです。朝鮮唐津は徳利のほか壺、水指、花生などがあり見所として藁灰釉と鉄釉が交錯して生じる釉調を数奇者たちはとりわけ賞玩してきた。釉薬がそれぞれ溶け合い、変化に富んだ趣が朝鮮唐津の見所といえる。古美術での唐津焼の中でもトップクラスに人気のある焼物です。
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上記の記事に述べられているように、「朝鮮唐津」は朝鮮半島には朝鮮唐津のルーツになるような品々は少なく、日本に渡ってきてから発展したと解釈した方が良いという作品群です。

土見の部分からも古唐津というのは疑問ですが、掛け分けの朝鮮唐津風のお茶碗としてはよくできています。

全体に表面がかせた感じが少し時代があるようにも思われます。

若干、虹彩が発しているのも見込み内に見どころを感じます。

おそらく朝鮮唐津の再現で一番難しいのは藁灰釉と鉄釉が交錯して生じる釉調に嫌味のないところだと思っています。

これはかえって見込み内も釉薬が交錯しているこの茶碗のような作品ではより難しくなっています。

ただの朝鮮唐津の模写の近代作とみるかどうかは使うもの見識次第ですね。

当方では面白き茶碗としましたが、何百万もの大枚を使って朝鮮唐津の作品を所蔵するより精神衛生上はいいかと思います。

さて読まれた皆様のご意見や如何・・。
正直なところ「朝鮮唐津」の古い作品で茶碗は当方では見たことはありません。また見込みまで掛け分けになっている作例もありません。花入れなどは内部は白い釉薬が施されているのが通常です。よってこの作品は時代のある作品かどうかは疑わしく、近年による朝鮮唐津風の茶碗と思い購入した作品です。
ただ家内が「茶碗としては面白いじゃないの?」と小生と同意見の感想を言うので、恥ずかしながら本ブログに投稿することにしました。
うたがわしきもの 伝朝鮮唐津茶碗
合箱
口径125*高台径*高さ80

朝鮮唐津の説明は下記の記事のよります。
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朝鮮唐津:絵唐津・斑唐津など、代表的な唐津の装飾の一つで、黒飴釉の上に海鼠釉を掛けたりまたその逆海鼠釉の上に黒飴釉を掛けたりしたものです。この技法は全国の諸窯などに数多くありますが、朝鮮唐津は、黒飴釉の部分と海鼠釉の部分とを別々に掛け分けて、やや重なり合った部分が高温でガラス化し黒の部分と白の部分が溶け合い、絶妙な色と流れ具合の変化が特徴になります。

その名称の由来として、一説によりますと当時外国と言えば朝鮮が一番身近のようで、外国と言えば朝鮮という意味合いから来て、異国の所産のような唐津焼、朝鮮唐津と伝えるようになったようです。でも朝鮮半島には朝鮮唐津のルーツになるような品々は少なく、日本に渡ってきてから発展したと解釈した方が良いと思います。

唐津焼とは、初期の頃は壺・皿・碗等の一般民衆が使う器を生産していたのですが、桃山時代の豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592)頃より秀吉をはじめ千利休・古田織部等の中央の武人茶人達の影響を受け、お茶の文化が入ってき来たようです。そのような時代的な背景で形状や装飾等に変化が現れてきたように思われます。

装飾の面では、初期の唐津には単独の顔料で絵を描き一種類の釉薬を掛けているだけが多かったのですが、時がたつにつれ絵唐津や青唐津などもそうですが、朝鮮唐津は特に、織部焼がペルシャの陶器に影響を受けたように唐津もそのようで、それぞれ違う釉薬を使い分けた装飾法が発展したと思います。

今でこそ流れ具合を重要視しますが、昔は、ただ掛け分けたという感じが強いようです。朝鮮唐津は徳利のほか壺、水指、花生などがあり見所として藁灰釉と鉄釉が交錯して生じる釉調を数奇者たちはとりわけ賞玩してきた。釉薬がそれぞれ溶け合い、変化に富んだ趣が朝鮮唐津の見所といえる。古美術での唐津焼の中でもトップクラスに人気のある焼物です。
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上記の記事に述べられているように、「朝鮮唐津」は朝鮮半島には朝鮮唐津のルーツになるような品々は少なく、日本に渡ってきてから発展したと解釈した方が良いという作品群です。

土見の部分からも古唐津というのは疑問ですが、掛け分けの朝鮮唐津風のお茶碗としてはよくできています。

全体に表面がかせた感じが少し時代があるようにも思われます。

若干、虹彩が発しているのも見込み内に見どころを感じます。

おそらく朝鮮唐津の再現で一番難しいのは藁灰釉と鉄釉が交錯して生じる釉調に嫌味のないところだと思っています。

これはかえって見込み内も釉薬が交錯しているこの茶碗のような作品ではより難しくなっています。

ただの朝鮮唐津の模写の近代作とみるかどうかは使うもの見識次第ですね。

当方では面白き茶碗としましたが、何百万もの大枚を使って朝鮮唐津の作品を所蔵するより精神衛生上はいいかと思います。

さて読まれた皆様のご意見や如何・・。
古い時代の朝鮮唐津や斑唐津と称される作品は数的にも価格的にも入手困難ですね。
胎土や高台の削りを見るに、これは唐津というより交流のあった周辺諸窯、例えば高取焼の方が近いのではないかと思います。
何にせよ下手な唐津よりよほど良い物だと思います。
そうですね、骨董は基本的に自分の持つ美的感性から作品を選ぶというのが根本だと思っています。そうでない評価ポイントを重視する傾向はむろん根強いものがありますが、基本は忘れないようにしています。