夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

観音像 伝高村光雲刀

2020-06-18 00:01:00 | 彫刻
「商売」と書いて「あきない」と読むそうですが、さらに「飽きない」と解釈するそうです。たとえ失敗しても失敗をチャンスとしてとらえ、改善してさらにチャレンジする精神が「商売」成功のエキスだそうです。そこには「三方よし」が常に座標としてあるそうです。つまり「売る側」、「買う側」、「世間側」が「よし」としなくてはならないということですね。どうも自分だけがよいという発想ばかりが身の回りには多いですね。独立採算制などの組織にその意向が強く感じますが、本人たちはまったく気がついていないで論理武装してくるから怖くなります。これではいくらチャレンジしても必ず失敗するそうです。

さらに「商売」にはもうひとつ肝心なポイントがあって、「収入より支出はつねに控え目にする必要もある」とか・・。これは当方の蒐集には不向きな格言なようです。本日の作品も「不向きな例」でしょう。

さて、本日の作品の紹介です。以前はそうでもなかったのですが、最近は年齢を重ねたせいでしょうか、仏像になんらかの興味を示すようになっています。



若い頃に仏像を入手したのですが、亡くなった家内が不気味がり、結局手放しています。仏像は作った人、もしくは依頼した人からのなんらかの祈りや念があり、それを感じとる感覚の鋭い方にはどうしても仏像からは腰がひけるところがあるのかもしれません。よって当方の仏像蒐集はそのような念から離れた観点にある作品を蒐集しており、祈りという漠然としたものに集中できる近代彫刻家の作品が蒐集対象となります。



当方において仏像の作品への原点は、知り合いが所蔵していた「高村光雲作の観音像」なのでしょう。その美しさに感動したのですが、知り合いが手放そうとした際に、当方に資金がなく入手する機会を失ってしまいました。その無念さからの蒐集への意欲が強いのかもしれません。

その時の作品が下記の作品です。

観音像 高村光雲刀
木彫共箱 
高さ320*幅62*奥行き60*台150(六角)

 

上記の作品は、依頼されて思文閣へ売却するために当方で買取価格を打診していましたが、その時は所蔵者の意向により売却を保留しました。その際に痛んでいた部分については当方の負担にて、思文閣を通して修理を依頼し作品を補修して所蔵している方に戻しています。

なお本作品の共箱には「昭和五年三月吉辰 帝室技藝員 従三位高村光雲刻之」とあり、1930年、77歳頃のの作であると判断されます。入手を打診していたのですが、そののち所蔵されていた方は本作品を手放されており、その売却値段は不明です。

上記の作品の美しさは格別でしたが、後年いろいろと調べていくと「高村光雲作と思われる作品はほとんどが工房作品」と推定されていることが解ってきました。それでも市場ではそれらを高村光雲作として売買しているようです。

*署名に通常の「村」ではなく「邨」の字を使っている作品は、これは工房作ではなく、すべて光雲が手掛けで完成させたということを示していますが、この刻銘の作品は稀有です。

上記の作品がトラウマとなり、本ブログでも投稿しているように、当方では恐れ多くも高村光雲の作品を探し回っています。もちろん工房作品といえども、おいそれとは入手できる作品ではありません。

そうこうしてあがいているうちに、数年前に下記の作品を入手しました。この作品の詳細は本ブログにて紹介済です。

管公像 高村光雲作
台座前田南斎作 木彫共箱 
木像サイズ:高さ323*幅395*奥行き240
台座サイズ:高さ33*横425*奥行き272  箱サイズ:横470*縦480*奥行き47



この作品の箱書には「大正十二年(1923年)癸亥(みずのとい、きがい)年十一月吉日 帝室技芸員(押印) 正四位高村光雲刻之 押印(白文朱方印「高村」 黒文白方印「高村光雲刻印」)」とあり、本体には「光雲 押印(朱文白方印「高村光雲」)」とあります。高村光雲が70歳頃の作品ということらしいです。当方ではこの作品は工房作品と判断しています。

*上記に記載のとおり、署名に通常の「村」ではなく「邨」の字を使っている作品がこれは工房作ではなく、すべて光雲が手掛けで完成させたということです。大正末年頃のこの時期、光雲は非常に緻密に、細部に至るまで写実的に作った名品をいくつか残しています。本人作の作品は口元だけでなく、髪の生え際なども細かく彫られているし、どの位置からみても動きのある表現の作品となります。

なお作品の台座には「大正十二年初夏 指物師 南斎作 押印」とあります。台座は間違いなく前田南斎本人の正真作のようですが、当方は指物には全く知識がないので最終的な判断はできていません。前田南斎の作品は数が少なく貴重であると聞いています。

そのような前哨戦を踏まえてというか、まだまだ真作入手の前哨戦と言えるのですが、下記の作品を入手しましたので、本日の紹介となります。

観音像 伝高村光雲刀
木彫 合箱 
高さ320*幅*奥行き*台径



大きさは前述の作品とは光背の有無がありますが、上記の真作の「観音像」とほぼ同じ大きさです。



残念ながら、共箱ではありませんので、真贋の判断は難しくなっています。贋作に多いのは背面の刻銘ですが、本作品は台座の下に彫銘があります。なお緑などで刻銘を着色の作品には真作にはありえません。



彫銘を上記の2作品と比較してみました。下の写真の左が本作品で、中央が上記「観音像」(真作)の彫銘、右が「菅公像」の彫銘です。ま~、なんともといえませんが、いい線ではないかと思われます。贋作は字体が完全に違うものが多いようです。工房作品と本人作でも違うかもしれません。

なお本人作か工房作品かを見分ける「高村」の「村(邨)」がないのは逆に意味深ですね。本人作を期待させる・・・??? それはないね!

  

高村光雲の鋳物の作品はそれこそ市場にあふれるばかりにあります。当方でも父が亡くなった際に叔父から頂いた鋳物の作品があります。今でも新聞紙上で頒布会の広告があるくらいですから、その数は尋常ではないでしょうが、お値段は意外に高く、数十万円と法外なものです。ただし不要になって売る際は買取価格は数千円でしょう。



観音像は拝むもの、その姿に崇拝する美しさや神々しさがあるや否や・・。



造りはそれほど丁寧ではありませんが、贋作のような粗雑さはありません。



なお台座部分と仏像部分は接合されています。捩じると外れなくなる微妙な作りになっています。



さてこの観音像には当然のごとく贋作が存在します。下記の作品は「なんでも鑑定団」に出品された作品です

参考作品
観音像 高村光雲刀 贋作
なんでも鑑定団 2020年1月7日放送



鑑定団評:5000円
評:偽物。ぱっと見た時、顔立ちは美しく見えるが細部の彫りが粗い。指先がまるで鉈で切り落としたように直角のようになっている。光雲がするはずがない。足の指もひど過ぎる。裏の刻銘の「光雲」の字がまったく違う。箱書きの文字も字が違う。

箱書まできちんと模倣した贋作は数が少ないようです。箱書きがある場合はその多くが書体で一目瞭然で真贋が解ります。このような明らかな贋作は幾つかの真作を手にすることで避けることができるようですが、実際は、言われればその通りなのですが、私も含めて欲目にみる素人の判断ではなかなか難しいものです。

さて当方にも(聖)観音像が増えてきました。下記の写真がその作品らです。木彫は左右のみです。

左:聖観音 平櫛田中作 共箱 高さ327*幅113*奥行115
中央:聖観世音菩薩 澤田政廣作 頒布品 共箱 高さ518*幅147*奥行125
右:楠木彫聖観音菩薩尊像 市川鉄琅作  楠木 金彩色 共箱  幅136*高さ315



はて、たとえ贋作でも仏像は粗末にできないのが悩みですね。仏壇がデカくなる、賑やかになる、密になる・・・・ 前述のように何らかの理由で所蔵する意思のなくなった幾つかの作品はお寺さんに寄贈しています。本作品もそうなるかも・・・。

ところで仏像に付きものなのが、「厨子」です。30センチを超え、かつ台座まで収納できる大きさの厨子は稀有です。現在既存の厨子を増築中・・・。常にチャレンジか・・・



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