家内が本日の幼稚園のバザー用に作った眼鏡に息子はご機嫌です。「アイアム ア ポリースマン!」
パパさんと同じく眼鏡をかけたのが嬉しいらしい
どれがいいかな~?
そうどれがいいかな~? が蒐集のコツ。どれも欲しいは「ほいど(欲いど=欲たかれ)!」と田舎ではいいます。
本日は朝から息子の幼稚園のバザーに出かけてきます。売れるかな?
本日の作品紹介はちょっと面白いお茶碗です。
灰失透釉茶碗 石黒宗麿作
共箱
口径118*高台径*高さ98
石黒宗麿は唐津に魅せられて、昭和10年3月~5月まで12代中里太郎右衛門の元を拠点に窯まで焚いて制作に没頭しています。
これら唐津で制作した作品には一切の銘はなく、斑唐津、朝鮮唐津、灰釉、絵唐津、梅華皮など様々な技法を試みています。そのうち絵唐津を梅華皮を除いた三種を失透釉と石黒宗麿は銘しました。本作品はその直後の昭和11年に「八瀬初窯」と印して制作した作品と推察されます。
本作品はまだ試験的に作られた頃の作品であり、力強さに欠けますが、昭和30年以降の優品の下地となっています。
なお「八瀬初窯」の銘の作品は15点の作品のみ現存を確認していますが、石黒宗麿の作品では資料的に非常に貴重な作品となります。この印は宗くずしの「宗麿」の印と常に併用されています。(参考写真は凹凸が反転しているようです。)
この当時の共箱は極めて稀で、箱書は後日によるものと思われます。昭和12年以降にはこの「八瀬初窯」の銘の作品はありません。
箱書の「栩」の印は石黒宗麿の共箱の中で最も使用が多く、昭和30年代では旧作にも使用されていますので、昭和30年代の箱書と推測されます。
石黒宗麿の座右の銘は荘子の斉物(せいぶつ)論。「モノの価値は見かけ上のものにすぎず、自然にまかせる生き方」を説いた「万物斉同」からの「栩々然」(くくぜん)から、昭和11年、八瀬に築窯してから「栩庵」・「栩翁」・「栩」・「栩園書屋」などと号し、高潔な文人精神を貫いています。
唐津の釉薬とも、均窯の釉薬ともみれる釉薬で「失透釉」とはうまい命名です。
手取りは釉薬の厚みもあって若干重いのですが、景色には十分な味わいがあります。
愛好家にとっては資料的に貴重な作品であり、きちんと後世に伝えるべき作品のひとつでしょう。
骨董は選ぶにはやはりある程度の知識と感性と度胸が要るようです。石黒宗麿の「その1」、「その2」で少しだけ知識を少し広めておいたのが今回の作品との縁になりました。
上記のような知識は本屋の本やインターネット上では掲載のない知識ですので、良く調べないと見つかりませんでした。むろん購入時には印も良く見えないし(上記の写真は少しは解るように加工しています)、上記のような詳しい知識はまったくありませんでしたが、「いい!」、「エイヤ!」の感覚でした。これを「博打」と呼んで非難するのは結構ですが、人生はときおりは博打のような判断も必要です。
パパさんと同じく眼鏡をかけたのが嬉しいらしい
どれがいいかな~?
そうどれがいいかな~? が蒐集のコツ。どれも欲しいは「ほいど(欲いど=欲たかれ)!」と田舎ではいいます。
本日は朝から息子の幼稚園のバザーに出かけてきます。売れるかな?
本日の作品紹介はちょっと面白いお茶碗です。
灰失透釉茶碗 石黒宗麿作
共箱
口径118*高台径*高さ98
石黒宗麿は唐津に魅せられて、昭和10年3月~5月まで12代中里太郎右衛門の元を拠点に窯まで焚いて制作に没頭しています。
これら唐津で制作した作品には一切の銘はなく、斑唐津、朝鮮唐津、灰釉、絵唐津、梅華皮など様々な技法を試みています。そのうち絵唐津を梅華皮を除いた三種を失透釉と石黒宗麿は銘しました。本作品はその直後の昭和11年に「八瀬初窯」と印して制作した作品と推察されます。
本作品はまだ試験的に作られた頃の作品であり、力強さに欠けますが、昭和30年以降の優品の下地となっています。
なお「八瀬初窯」の銘の作品は15点の作品のみ現存を確認していますが、石黒宗麿の作品では資料的に非常に貴重な作品となります。この印は宗くずしの「宗麿」の印と常に併用されています。(参考写真は凹凸が反転しているようです。)
この当時の共箱は極めて稀で、箱書は後日によるものと思われます。昭和12年以降にはこの「八瀬初窯」の銘の作品はありません。
箱書の「栩」の印は石黒宗麿の共箱の中で最も使用が多く、昭和30年代では旧作にも使用されていますので、昭和30年代の箱書と推測されます。
石黒宗麿の座右の銘は荘子の斉物(せいぶつ)論。「モノの価値は見かけ上のものにすぎず、自然にまかせる生き方」を説いた「万物斉同」からの「栩々然」(くくぜん)から、昭和11年、八瀬に築窯してから「栩庵」・「栩翁」・「栩」・「栩園書屋」などと号し、高潔な文人精神を貫いています。
唐津の釉薬とも、均窯の釉薬ともみれる釉薬で「失透釉」とはうまい命名です。
手取りは釉薬の厚みもあって若干重いのですが、景色には十分な味わいがあります。
愛好家にとっては資料的に貴重な作品であり、きちんと後世に伝えるべき作品のひとつでしょう。
骨董は選ぶにはやはりある程度の知識と感性と度胸が要るようです。石黒宗麿の「その1」、「その2」で少しだけ知識を少し広めておいたのが今回の作品との縁になりました。
上記のような知識は本屋の本やインターネット上では掲載のない知識ですので、良く調べないと見つかりませんでした。むろん購入時には印も良く見えないし(上記の写真は少しは解るように加工しています)、上記のような詳しい知識はまったくありませんでしたが、「いい!」、「エイヤ!」の感覚でした。これを「博打」と呼んで非難するのは結構ですが、人生はときおりは博打のような判断も必要です。