夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

陶公図 寺崎廣業筆 その56

2017-06-30 00:01:00 | 掛け軸
男の隠れ家の勝手口の前の飾り棚に飾れられて染付けの大皿・・・。



ブログでも以前に紹介してありますが、ずいぶんと前に購入した作品です。購入当時は元時代かなどと妄想していた記憶もありますが、時代はあってもせいぜい明末清初?



明末清初の呉須染付のわりにはかなり薄く作られいます。それと染付けの発色も少し鈍い・・



男の隠れ家で最初に寺崎廣業の作品に出会っていますが、その作品がなんと六曲一双の屏風。痛んでいたので、大枚を叩いて修復したのですが、後日、贋作と断定

それから時を経て、本作品の「その56」まで辿っています。石原裕次郎の歌の「たった一つの星をたよりにはるばる遠くへきたもんだ。」と口ずさむ今日この頃です。

陶公図 寺崎廣業筆 その56
絹本水墨淡彩軸装 軸先 共箱
全体サイズ:縦2095*横520 画サイズ:縦1192*横397



以前に紹介しました椿椿山の作品とともに、平野政吉旧蔵であった本作品が縁があって当方の所蔵となりました。平野政吉と藤田嗣治、そして近年は吉永小百合の宣伝が記憶に新しいところです。

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平野政吉(ひらのまさきち):1895(明治28)年~1989(平成元)年。秋田市の商人町で米穀商を営み、県内有数の資産家でもあった平野家の三代目。

青年期から浮世絵、骨董、江戸期の絵画などに興味を持ち、生涯を賭けて美術品を蒐集しました。平野がはじめて藤田嗣治の作品を観たのは、1929(昭和4)年の藤田の一時帰国時の個展でした。その後、1934(昭和9)年、東京の二科展の会場で、平野と藤田は出会います。

平野は、1936(昭和11)年、藤田の妻・マドレーヌの急逝にともない、その鎮魂のために美術館の建設を構想。藤田の大作を多数、購入し、藤田の壁画制作も進めました。しかし、戦時下、美術館の建設は中止されます。

その約30年後、1967(昭和42)年、平野は「青少年を豊かな人間に」と願い、長年収集した美術品を公開するために財団法人平野政吉美術館を設立。同年5月には、平野政吉コレクションを展観する秋田県立美術館が開館し、現在に至っています。平野政吉コレクションの核である藤田作品は、1930年代の藤田の画業を俯瞰する作品群として、広く知られています。

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本作品の題名は「陶公」であり、有名な「陶淵明」を描いた作品です。寺崎廣業の「陶淵明」を描いた作品は本ブログにて他に「五柳先生」(NO26 大正6年頃)と題された作品を紹介していますが、箱書から同時期に描かれた作品と推定されます。

 

作品の印章は本ブログで紹介した作品、「寿老」(叔父旧蔵 大正6年頃)、NO48「田家の春」(明治末~大正)、NO13「美人折花図」(明治40年頃)にも押印されていますが、箱書に押印された印章は珍しく、出来の良い作品に押印されてものと推察されます。

 

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陶 淵明(とう えんめい、365年(興寧3年) - 427年(元嘉3年)11月):中国の魏晋南北朝時代(六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。字は元亮。または名は潜、字が淵明。死後友人からの諡にちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。

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実に品の良い作品に仕上がっています。



陶淵明の見つめる先にはなにがあるのでしょうか?

菊を題材にした陶淵明の作品には下記のものがあります。

「采菊東籬下 悠然見南山 山気日夕佳 飛鳥相共還 此中有真理 欲弁巳忘言」

東の垣根の下で菊を採り、悠然とした気持ちで南の山を眺める、山が夕日に美しく染まり、鳥はみんな連れ立って帰っていく。この自然の中に本当の真理が隠れている。これは言葉では言い表せない。

この詩をもとに明治維新の偉人 高杉晋作が漢詩をつくっています。

「繁文為累古猶今 今古誰能識道深 采菊采薇真的意 人間萬事只其心」

意味は「意味は昔も今も変わりなく、山と詰まれる理はあれど、今も昔も道を識る、事の深きを誰か知る。采菊采薇の歌のもつ本当の意味はすべて、人のただその心に尽きる。」

道をはずれた生き方ではなく、道に従っていくこと、知識を得ることのみが学問ではないということです。



さらりと描いた菊に寺崎廣業のセンスの良さがうかがえます。



賛はどなたが添えたのかは不明ですが、上記の有名な漢詩を知っての作品でしょう。昔の人は知識人であったことがうかがえます。

「□先生句 観□ 押印  陶□□□□意子 泰□□様寿太夫」



表具、状態は良好です。



参考に陶淵明の菊を題材にした漢詩をもうひとつ・・。

秋菊有佳色  秋菊 佳色あり
衷露採其英  露を衷みて其の英を採り
汎此忘憂物  此の忘憂の物に汎べて
遠我遺世情  我が世を遺るるの情を遠くす
一觴雖獨進  一觴獨り進むと雖ども
杯盡壺自傾  杯盡きて壺自ら傾く
日入群動息  日入りて群動息み
歸鳥趨林鳴  歸鳥林に趨きて鳴く
嘯傲東軒下  嘯傲す東軒の下
聊復得此生  聊か復た此の生を得たり

「秋の菊がきれいに色づいているので、露にぬれながら花びらをつみ、この忘憂の物に汎べて、世の中のことなど忘れてしまう、杯を重ねるうちに、壺は空になってしまった

日が沈んであたりが静かになり、鳥どもは鳴きながらねぐらに向かう、自分も軒端にたって放吟すれば、すっかり生き返った気持ちになるのだ。」

ただ呆然と骨董を蒐集するのでは意味がありませんね。常に作品から何かを学びとる姿勢が大切かと・・、仕事も同じ、仕事になればそこがプロ。




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