
寺崎廣業の作品中で入手が最も難しいのが美人画だと考えています。晩年の多作の時代には美人画はあまり描かず、画名を挙げた契機になった美人画は若い頃に描いた作品が多いようですが、その作品の数は圧倒的に少なく、人気も高いので極めて入手が難しくなっています。本日紹介する作品はそのような美人画の中でも20歳頃に描いた貴重な作品です。
唐美人図 寺崎廣業筆 明治20年(1887年)
紙本着色軸装 鳥谷幡山鑑定箱(大正14年仲夏 1925年鑑定)
全体サイズ:縦2230*横665 画サイズ:縦1310*横515

画中の落款に「丁亥春日 廣業寫 押印」とあるので、明治20年(1877年)に描かれた作品であると断定されます。作品中の印章は「秀斎」の白文朱方印が押印され、寺崎廣業が狩野派の小室秀俊(怡々斎)の門下であった頃からまだ「秀齋」と号していた20歳頃の初期とされる珍しい作品です。
この後には明治25年邨田丹陵の娘「菅子」と結婚。向島三囲神社の前に住み、これを機に義父の邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より「宗山」の号を与えられ、この後は「宗山」の印章、号のある作品が明治25年以降の作の主となります。

鳥谷幡山の大正14年仲夏 1925年鑑定に相違ないものです。

描いた時期の明治20年に寺崎廣業は秋田県鹿角郡役所へ勤務中であり、10月には登記所に勤務することとなります。この後、平福穂庵をたよって上京、足尾銅山、日光、再び上京し、東陽堂にて古画の縮図(ほとんどが火災で焼失したが当方の所蔵の和漢諸名家筆蹟縮図が遺っている)を描き、直後に美人画で名を上げることとなります。

箱の題名の「楚蓮香」は唐の玄宗皇帝の時代に長安一の美女と言われた女性の名です。その美しさは、彼女が外に出ると香りに胡蝶が誘われ、付き添いながら周りを翔び遊ぶほどであったという故事があり、画中に必ず蝶が描かれるはずですが、本作品には蝶が描かれていませんので、画題は単に「唐美人図」とするのが正解でしょう。「楚蓮香」を描いた作品は上村松園の作品が名作として知られていますが、円山応挙、長澤芦雪ら多くの画家も描いています。

当方の所蔵に「楚蓮香 寺崎廣業筆 明治40年(1907年)頃」の作品があります。

寺崎廣業の作品は当方では100点近くの蒐集となりましたが、その主な作品は風景画、山岳画、日露戦争画、そして美人画です。
一番評価が高く、入手が難しいのが美人画でしょう。ましてやこのような画名を上げ始めた頃(もしくは始める前)の秀斎時代の美人画の力作にはなかなかお目にかかれません。

寺崎廣業は最初に美人画で名を成した画家です。座敷の床の間に飾っています。他にも当方には幾つかの寺崎廣業の美人画の作品がありますので、展示室に飾ってみました。

唐美人図。

同題である楚連香、「楚蓮香 寺崎廣業筆 明治40年(1907年)頃」。寺崎廣業の美人画はたまに骨董商のカタログに出品されていますが、高値の作品となっています。ネットオークション上の出品でも高値となっていますが、双方ともにまず作品が市場に滅多に出てきません。

当方の蒐集は手前味噌ながら、ほんの少しずつ蒐集作品のレベルが上がってきているように思います
唐美人図 寺崎廣業筆 明治20年(1887年)
紙本着色軸装 鳥谷幡山鑑定箱(大正14年仲夏 1925年鑑定)
全体サイズ:縦2230*横665 画サイズ:縦1310*横515


画中の落款に「丁亥春日 廣業寫 押印」とあるので、明治20年(1877年)に描かれた作品であると断定されます。作品中の印章は「秀斎」の白文朱方印が押印され、寺崎廣業が狩野派の小室秀俊(怡々斎)の門下であった頃からまだ「秀齋」と号していた20歳頃の初期とされる珍しい作品です。
この後には明治25年邨田丹陵の娘「菅子」と結婚。向島三囲神社の前に住み、これを機に義父の邨田直景の弟で漢学者の関口隆正より「宗山」の号を与えられ、この後は「宗山」の印章、号のある作品が明治25年以降の作の主となります。


鳥谷幡山の大正14年仲夏 1925年鑑定に相違ないものです。

描いた時期の明治20年に寺崎廣業は秋田県鹿角郡役所へ勤務中であり、10月には登記所に勤務することとなります。この後、平福穂庵をたよって上京、足尾銅山、日光、再び上京し、東陽堂にて古画の縮図(ほとんどが火災で焼失したが当方の所蔵の和漢諸名家筆蹟縮図が遺っている)を描き、直後に美人画で名を上げることとなります。

箱の題名の「楚蓮香」は唐の玄宗皇帝の時代に長安一の美女と言われた女性の名です。その美しさは、彼女が外に出ると香りに胡蝶が誘われ、付き添いながら周りを翔び遊ぶほどであったという故事があり、画中に必ず蝶が描かれるはずですが、本作品には蝶が描かれていませんので、画題は単に「唐美人図」とするのが正解でしょう。「楚蓮香」を描いた作品は上村松園の作品が名作として知られていますが、円山応挙、長澤芦雪ら多くの画家も描いています。

当方の所蔵に「楚蓮香 寺崎廣業筆 明治40年(1907年)頃」の作品があります。

寺崎廣業の作品は当方では100点近くの蒐集となりましたが、その主な作品は風景画、山岳画、日露戦争画、そして美人画です。
一番評価が高く、入手が難しいのが美人画でしょう。ましてやこのような画名を上げ始めた頃(もしくは始める前)の秀斎時代の美人画の力作にはなかなかお目にかかれません。

寺崎廣業は最初に美人画で名を成した画家です。座敷の床の間に飾っています。他にも当方には幾つかの寺崎廣業の美人画の作品がありますので、展示室に飾ってみました。

唐美人図。

同題である楚連香、「楚蓮香 寺崎廣業筆 明治40年(1907年)頃」。寺崎廣業の美人画はたまに骨董商のカタログに出品されていますが、高値の作品となっています。ネットオークション上の出品でも高値となっていますが、双方ともにまず作品が市場に滅多に出てきません。

当方の蒐集は手前味噌ながら、ほんの少しずつ蒐集作品のレベルが上がってきているように思います
