「自宅の展示会 渡辺省亭 第2回」となります。前回の「自宅の展示会 渡辺省亭 第1回」に続編となりますのでご了解ください。所蔵作品のうち数点を残したおよそ20作品を展示していますので、前回はその8点(贋作の疑いのあるものを除く)紹介しましたので、今回は9作品目からの紹介です。
続きは展示室の臨時の場所に掛けての3作品です。
まずは吉祥図の「双鶴図」です。
9.双鶴図 渡辺省亭筆
絹本水墨着色軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:縦1970*横650 画サイズ:縦1130*横500
このような吉祥図の作品の多くは依頼されて描く画家が多いようです。自宅で婚儀など執り行うことが多かった時代の産物でしょう。
実にいい表具? 吉祥図に合わせて表具材も鶴ですね。
表具材に渡辺省亭がとくにこだわりだしたので明治30年頃のようです。本作品もその頃の作かもしれません。
同様な画題の作品は図録にも掲載されています。本作品は松下に鶴、こちらの作品は浪上に鶴という画題ですが、どちらの旭日を描かずに背景に旭日を醸し出す配色となっています。両作品ともに「俗を嫌うこと。どんな通俗的テーマ、モチーフでも、けっしてこれ見よがしではなく、粋な表現にこだわっている。」という渡辺省亭らしいところがあります。このことが描かずして暗示だけで描くのを最大の腕の見せ所、芸術の勘所とする欧米の世紀末肖像画家と一脈通ずるものという渡辺省亭の評価になるのでしょう。
次の作品は「観桜之図」ですが、桜の木を直接描かず、傘などに散っている桜の花びらを描いている作品であり、一種の美人画です。
10.美人観桜之図 渡辺省亭筆 その15
絹本水墨着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦2010*横631 画サイズ:縦1097*横494
渡辺省亭は人物画を描くときに傘をよく描いています。住んでいた浅草の近所に傘を作っていたところがあったのかもしれません。江戸の粋という者の象徴としていたようです。傘を幾何学的に配置して絵の動きを与えていると思われます。
桜の木を直接描かずに「観桜図」を描き、頭上の満開の桜を想像させる狙いでしょう。これは多くの画家が狙う趣向のようです。この作品と同じような構図の作品も複数あるようです。ここも渡辺省亭の評価にある「描かずして暗示だけで描くのを最大の腕の見せ所、芸術の勘所とする欧米の世紀末肖像画家と一脈通ずるものである。」という点かもしれませんね。
さらに渡辺省亭の美人画は清楚のなかに官能美を秘めた、他の追随を許さない色気という評価でしょう。そう「清楚な色気」・・。この色気がなぜかしら鳥の表情にだぶるものがあると感じるのは小生だけでしょうか?
展覧会でも同じように「観桜図」(下記写真:部分)を描いた作品が出品されています。
次の作品の鑑定箱書きしている岩井昇山については「晩年に渡辺省亭に師事したと記載されているものもある。」という記事があります。ただ岩井昇山の画家としての活動記録はほとんど見られず、展覧会出品の記録も明治35(1902)年の第12回「日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会」、大正2(1913)年の「表装競技会」など極めてわずかで、人嫌い、変人、果ては松本楓湖門破門説などに結びつけられ、これらが“幻の画家”と称される由縁となっています。一時期“幻の画家”となって記事になり話題となりましたが、そのせいで贋作まで横行したことがあるようです。岩井昇山については本ブログでも紹介していますが、大きく取り上げるほどの画力ではないと思われます。
この作品は家内も小生も気に入っている作品です。
11.雪景燈籠ニ蛙図 渡辺省亭筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 昇山鑑定 合箱
全体サイズ:縦1930*横640 画サイズ:縦1230*横500
作品紹介の写真は展示室の床に掛けていますが、これは渡辺省亭が日本画を床の間こそが掛け軸の日本画のマッチングと重視していたからです。展覧会では床の間での観方はできないし、ましてやむをえませんが展覧会のガラス越しの鑑賞では台無しですので、当方は蒐集した作品をこうして愉しんでいます。
天地の表具が短いように感じるのは床の間高さに合わせて表具したように思われます。現在の住所環境ではこの高さでも飾る場所に困りますね。といって掛け軸を額装にするのは渡辺省亭の制作意図に大いに反するものとなります。
実に瀟洒な作品で、「蛙は実は渡辺省亭」、おのれ自身かと観得てくる作品です。
四条派の技巧の滲みなど多くの技術を渡辺省亭は何気なく使っています。そして厚塗りはほとんどありません。絵の具の剥落がみえるのは胡粉の使用箇所くらいでしょうか? 太巻きにする必要性のある作品はほとんどなく、近世の日本画における厚塗りの作品に対するアンチテーゼでもあります。
この作品は渡辺省亭の代表作といっていいのでしょう。
本日は以上の3作品の紹介です。作品NO12以降は第3回の投稿とさせていただきます。
続きは展示室の臨時の場所に掛けての3作品です。
まずは吉祥図の「双鶴図」です。
9.双鶴図 渡辺省亭筆
絹本水墨着色軸装 軸先鹿骨 合箱
全体サイズ:縦1970*横650 画サイズ:縦1130*横500
このような吉祥図の作品の多くは依頼されて描く画家が多いようです。自宅で婚儀など執り行うことが多かった時代の産物でしょう。
実にいい表具? 吉祥図に合わせて表具材も鶴ですね。
表具材に渡辺省亭がとくにこだわりだしたので明治30年頃のようです。本作品もその頃の作かもしれません。
同様な画題の作品は図録にも掲載されています。本作品は松下に鶴、こちらの作品は浪上に鶴という画題ですが、どちらの旭日を描かずに背景に旭日を醸し出す配色となっています。両作品ともに「俗を嫌うこと。どんな通俗的テーマ、モチーフでも、けっしてこれ見よがしではなく、粋な表現にこだわっている。」という渡辺省亭らしいところがあります。このことが描かずして暗示だけで描くのを最大の腕の見せ所、芸術の勘所とする欧米の世紀末肖像画家と一脈通ずるものという渡辺省亭の評価になるのでしょう。
次の作品は「観桜之図」ですが、桜の木を直接描かず、傘などに散っている桜の花びらを描いている作品であり、一種の美人画です。
10.美人観桜之図 渡辺省亭筆 その15
絹本水墨着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦2010*横631 画サイズ:縦1097*横494
渡辺省亭は人物画を描くときに傘をよく描いています。住んでいた浅草の近所に傘を作っていたところがあったのかもしれません。江戸の粋という者の象徴としていたようです。傘を幾何学的に配置して絵の動きを与えていると思われます。
桜の木を直接描かずに「観桜図」を描き、頭上の満開の桜を想像させる狙いでしょう。これは多くの画家が狙う趣向のようです。この作品と同じような構図の作品も複数あるようです。ここも渡辺省亭の評価にある「描かずして暗示だけで描くのを最大の腕の見せ所、芸術の勘所とする欧米の世紀末肖像画家と一脈通ずるものである。」という点かもしれませんね。
さらに渡辺省亭の美人画は清楚のなかに官能美を秘めた、他の追随を許さない色気という評価でしょう。そう「清楚な色気」・・。この色気がなぜかしら鳥の表情にだぶるものがあると感じるのは小生だけでしょうか?
展覧会でも同じように「観桜図」(下記写真:部分)を描いた作品が出品されています。
次の作品の鑑定箱書きしている岩井昇山については「晩年に渡辺省亭に師事したと記載されているものもある。」という記事があります。ただ岩井昇山の画家としての活動記録はほとんど見られず、展覧会出品の記録も明治35(1902)年の第12回「日本絵画協会・日本美術院連合絵画共進会」、大正2(1913)年の「表装競技会」など極めてわずかで、人嫌い、変人、果ては松本楓湖門破門説などに結びつけられ、これらが“幻の画家”と称される由縁となっています。一時期“幻の画家”となって記事になり話題となりましたが、そのせいで贋作まで横行したことがあるようです。岩井昇山については本ブログでも紹介していますが、大きく取り上げるほどの画力ではないと思われます。
この作品は家内も小生も気に入っている作品です。
11.雪景燈籠ニ蛙図 渡辺省亭筆
絹本水墨淡彩軸装 軸先骨 昇山鑑定 合箱
全体サイズ:縦1930*横640 画サイズ:縦1230*横500
作品紹介の写真は展示室の床に掛けていますが、これは渡辺省亭が日本画を床の間こそが掛け軸の日本画のマッチングと重視していたからです。展覧会では床の間での観方はできないし、ましてやむをえませんが展覧会のガラス越しの鑑賞では台無しですので、当方は蒐集した作品をこうして愉しんでいます。
天地の表具が短いように感じるのは床の間高さに合わせて表具したように思われます。現在の住所環境ではこの高さでも飾る場所に困りますね。といって掛け軸を額装にするのは渡辺省亭の制作意図に大いに反するものとなります。
実に瀟洒な作品で、「蛙は実は渡辺省亭」、おのれ自身かと観得てくる作品です。
四条派の技巧の滲みなど多くの技術を渡辺省亭は何気なく使っています。そして厚塗りはほとんどありません。絵の具の剥落がみえるのは胡粉の使用箇所くらいでしょうか? 太巻きにする必要性のある作品はほとんどなく、近世の日本画における厚塗りの作品に対するアンチテーゼでもあります。
この作品は渡辺省亭の代表作といっていいのでしょう。
本日は以上の3作品の紹介です。作品NO12以降は第3回の投稿とさせていただきます。
いただきました。
それも写真の撮りかたがいいので灯籠の上まで見ることができました。
垂涎の絵、ここで見られただけででもラッキーでした。
ありがとうございました。
第3回、第4回と続く予定ですので、また観て頂けると幸いです。