本日は福田豊四郎の作品において同じ題名の作品「山湖首夏」という作品の2作品目の紹介となります。
同じような構図で同じ題名・・、なにも入手しなくてもよさそうなのですが、以前からある作品は額装(下記写真右)、本日紹介する作品は軸装(下記写真左)・・、どうもこれだけでは理由になりそうにありませんね。入手理由はマニアックな理由かもしれませんが、福田豊四郎が描いた年代に大きな差があるということです。
山湖首夏 その2 福田豊四郎筆
絹本着色軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:横650*縦1430 画サイズ:横500*縦430
この作品はおそらく昭和20年頃の作と推定されます。題名は「山湖首夏」ですので、初夏の十和田湖を描いた作品だろうと思われます。落款の書体から箱書は描いたその少し後であろうと思われます。
*画中の落款の書体は当方の他の所蔵作品「対岸の村」(「福田文(福田豊四郎の奥さん)」鑑定シール)らと一致します。この落款の書体の期間は短く、この落款の書体の作品数は非常に少ないと思われます。
**なお共箱の印章は当方の他の所蔵作品「橙」(色紙作品)ら数多くの作品と一致します。
福田豊四郎が十和田湖を描いた作品は人気が高く、とくに青色をベースとした作品はとくに評価、人気が高いとされます。
十和田湖の近くの町、小坂町出身の福田豊四郎は上京して東京での画家生活となっても十和田湖を再々訪れています。
この時期には昭和21年2月に疎開先の秋田県西目村(県南)より帰郷、帰京しています。その年の5月には秋田美術展が復活し、「山湖早春」という作品が出品されています。この頃に十和田湖を訪れた可能性が高いと思われます。
終戦となってようやく好きな作品が描けるようになったと思ったであろう時期の作品であり、この時期より故郷を題材にした多くの代表作品が描かれています。父との交流もこの頃が一番盛んだったようです。
「首夏」とは夏の初めのことですが、当方で所蔵するもうひとつの同題の作品「山湖首夏」は下記の作品です。
山湖首夏 福田豊四郎筆
絹本着色額装 共シール F8号 誂タトウ+黄袋
全体サイズ(額サイズ):横620*縦550 画サイズ:横455*縦380
この作品は落款から昭和40年頃の作品で、秋田では初夏に咲く栃の花が描かれています。
昭和39年6月に師である川端龍子夫妻と十和田湖などの故郷を案内してドライブしており、その年の12月には上野・松坂屋にて十和田湖一二景の個展を開催しています。
昭和40年からは入院することとなり、この後は入退院を繰り返すという時期で制作がままならなかったであろうと推察されます。
母と姉がこの頃の福田豊四郎氏を見舞っていますが、その後豊四郎は昭和45年9月に肝硬変のために自宅で逝去しています。
「昭和20年頃の戦争が終わった頃」と「昭和40年頃の健康だった最後の頃」、福田豊四郎が年代の異なった、違った状況下で描いた同題の作品です。つねに故郷への思いはいつも変わらぬものがあったのだろうと思います。
展示室にこの2作品を飾りながら、小生もまたコロナ禍で帰郷できない故郷に思いを馳せます。今年の5月の連休には帰京できるだろうか?(4月初めの草稿)********結局2年近く帰郷できていません
同じような構図で同じ題名・・、なにも入手しなくてもよさそうなのですが、以前からある作品は額装(下記写真右)、本日紹介する作品は軸装(下記写真左)・・、どうもこれだけでは理由になりそうにありませんね。入手理由はマニアックな理由かもしれませんが、福田豊四郎が描いた年代に大きな差があるということです。
山湖首夏 その2 福田豊四郎筆
絹本着色軸装 軸先象牙 共箱二重箱
全体サイズ:横650*縦1430 画サイズ:横500*縦430
この作品はおそらく昭和20年頃の作と推定されます。題名は「山湖首夏」ですので、初夏の十和田湖を描いた作品だろうと思われます。落款の書体から箱書は描いたその少し後であろうと思われます。
*画中の落款の書体は当方の他の所蔵作品「対岸の村」(「福田文(福田豊四郎の奥さん)」鑑定シール)らと一致します。この落款の書体の期間は短く、この落款の書体の作品数は非常に少ないと思われます。
**なお共箱の印章は当方の他の所蔵作品「橙」(色紙作品)ら数多くの作品と一致します。
福田豊四郎が十和田湖を描いた作品は人気が高く、とくに青色をベースとした作品はとくに評価、人気が高いとされます。
十和田湖の近くの町、小坂町出身の福田豊四郎は上京して東京での画家生活となっても十和田湖を再々訪れています。
この時期には昭和21年2月に疎開先の秋田県西目村(県南)より帰郷、帰京しています。その年の5月には秋田美術展が復活し、「山湖早春」という作品が出品されています。この頃に十和田湖を訪れた可能性が高いと思われます。
終戦となってようやく好きな作品が描けるようになったと思ったであろう時期の作品であり、この時期より故郷を題材にした多くの代表作品が描かれています。父との交流もこの頃が一番盛んだったようです。
「首夏」とは夏の初めのことですが、当方で所蔵するもうひとつの同題の作品「山湖首夏」は下記の作品です。
山湖首夏 福田豊四郎筆
絹本着色額装 共シール F8号 誂タトウ+黄袋
全体サイズ(額サイズ):横620*縦550 画サイズ:横455*縦380
この作品は落款から昭和40年頃の作品で、秋田では初夏に咲く栃の花が描かれています。
昭和39年6月に師である川端龍子夫妻と十和田湖などの故郷を案内してドライブしており、その年の12月には上野・松坂屋にて十和田湖一二景の個展を開催しています。
昭和40年からは入院することとなり、この後は入退院を繰り返すという時期で制作がままならなかったであろうと推察されます。
母と姉がこの頃の福田豊四郎氏を見舞っていますが、その後豊四郎は昭和45年9月に肝硬変のために自宅で逝去しています。
「昭和20年頃の戦争が終わった頃」と「昭和40年頃の健康だった最後の頃」、福田豊四郎が年代の異なった、違った状況下で描いた同題の作品です。つねに故郷への思いはいつも変わらぬものがあったのだろうと思います。
展示室にこの2作品を飾りながら、小生もまたコロナ禍で帰郷できない故郷に思いを馳せます。今年の5月の連休には帰京できるだろうか?(4月初めの草稿)********結局2年近く帰郷できていません
私は、普段、書画や絵画など収集してはいませんが、この作品は、良いなと思っていました。