
休日は毎週、朝から掃除ですが息子はいつもお手伝い。

雑巾絞りにはまだ力不足ですが、なんとか格好はついてきました。ご褒美に遊園地へ・・。

大好きな電車などには大乗り気。

ついでに馬にも一緒に乗り、次は一人でポニーに乗ると言い出した。

動物との触れ合いは意外にいい効果があるかも・・。

ウサギは意外に大きかったようで「パパ。抱っこして」だと・・・
モルモットは2回目でしたので大丈夫そうでした。

小生は少々疲れて最後の車の自転車こぎ?は家内にバトンタッチ。

帰りはクタクタになりながら「新幹線、買いに良く!」
そういう息子は車中で熟睡で小生がおもちゃ売り場に・・・
さて本日は薄汚い?薄い色の赤絵茶碗です。赤絵のこの手の作品は後絵付もありますので要注意です。荒っぽい方法として、煮沸して確かめる方法もあります。
伝紅緑彩鳳凰魚文碗
塗箱
全体サイズ:口径145*高台径56*高さ35

胎土から安南赤絵とは言いがたく、僅かながら黄色の釉薬も使われている可能性もあり、中国本土、もしくは華南で作られた宋赤絵の技法で作られた赤絵ではないかと推察されます。明時代の下がった頃の作かもしれません。時代考証は別として分類は「宋赤絵」に分類されるかもしれません。

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宋赤絵:中国、宋代(金代)に作られた上絵付け陶器。化粧掛けした素地(きじ)に透明な釉(うわぐすり)をかけ、その上から赤・緑・黄などの顔料で花鳥などを描いたもので、赤絵の先駆をなす作品群です。

日本で”古赤絵”と言えば、明の時代景徳鎮釉上彩絵器のことですが、その前の中国における赤絵の作品群はおおよそ”宋赤絵”に帰属してします。ちなみに、宋赤絵は紅緑だけを使われていることから中国では”紅緑彩”と呼び、明以降の彩色は豊富な色使いになったため、その赤絵を”五彩”と呼びます。

小山富士夫が発見した”宋赤絵”の窯元は中国北方の修武窯です。今世紀になってから分かったことですから、その後で中国もいろいろ発掘したので、分かったことは修武窯の近くの磁州窯系も赤絵器を作っていたことです。このことから宋赤絵と言いますと、ほとんど中国北方面の製作と考えられています。
日本には大正時代に将来されて以来親しまれてきており、花文・魚文のほか、鳥文や文字を記したものなどが知られています。
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色が褪せてきている点から低温度焼成の色絵かと推察されます。

むろん宋時代なら発掘作品の可能性がありますが、胎土から時代の下がった作ではないかと思われます。

絵付けは勢いがあり悪くはないですが、宋赤絵に鳳凰文?

口縁には小さな欠けが見られます。下手な金繕いが施されていたので、これは剥がしました。

鯉の絵柄が見込みにあり、実にいいですね。お茶を飲むときに愉しめます。

胎土は磁器で白い。明、清時代に呉須赤絵と同時期に派生した華南の赤絵の可能性もあるかと・・。

呉須赤絵と安南焼の中間・・、ついでに安南焼の説明を書きに記しておきます。
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安南赤絵:安南焼とは、現在のベトナムで作られた焼物の総称ですが、その名は679年に中国の唐王朝がベトナム統治の為に、現在のハノイに置いた軍事期間・安南都御符に由来しています。その為常に中国の影響を受けてきましたが、大きな発展を遂げたのは12世紀頃のベトナム李王朝の時代です。その形は唐や宋の陶磁器を模しており、白磁と青磁を中心に褐釉、鉄絵、緑釉などが幅広く作られ、東南アジアでは圧倒的な規模を誇っていました。

その後14世紀後半になると、中国の景徳鎮に倣い青花磁器が作られるようになりました。しかしその色は景徳鎮に比べるとやや暗くくすんでいます。これは中国がイスラム圏から輸入した質の高い呉須を使っていたのに対し、安南は国産の質の低い呉須を使っていたからです。また絵付けの線は土と釉薬のせいでそのほとんどが滲んでいる。ベトナムでは良質のカオリンが取れず、これでは青花の色が映えないために、生地に白土を化粧がけしていたのです。しかしその白土は粒子が粗く、いくら繊細な絵付けを施しても呉須がすぐに白土に吸収されてしまい、また釉薬は不純物を多く含んでいるため、透明度が低く結果的に絵付けがぼやけてしまいます。絵柄は蓮の花びらを簡略化したものがほとんどで、これが安南焼の青花かどうかを見極める決め手のひとつとなっています。

15世紀になると、赤や緑や黄色の顔料を用いた赤絵が作られるようになりましたが、中国に比べ低い温度で焼き付けるために釉薬が剥がれやすく、すぐに色が褪せてしまいます。しかし室町時代の茶人たちは、その素朴さの中に詫び茶に通じる簡素な美を見出しました。なかでも呉須が滲んで流れるような景色になった青花は、藍染の絞りに似ていることから絞手と呼ばれ珍重されました。そのような染付の中での色絵の作品は安南赤絵と称しますが、現存する安南赤絵で、色が残っているものは極めて珍しいようです。数も少なく同時に焼かれた安南染付が100枚あると、赤絵はその内の1枚ぐらいとも言われています。
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さてと本作品は鑑賞したり、使ってみて、飽きが繰るかどうかがポイントです。すべてがそうですが、その時々の鑑賞する眼のレベルで・・。

お茶碗として使うには、薄手の磁器の茶碗ですからお茶を点てたり、漱ぐ時に熱くて持てるかどうかですね。

後日、中国の近代のまがい物と判明するのも愉しからずや
所詮素人の骨董蒐集は遊園地でまがい物と遊ぶ子供のようなもの、塗り箱に収めた御仁もその一人かも・・・。いずれ本物に近づく。
さて、今週の3連休はなにして遊ぼうか? 「ゴルフなんざ、つまらないぜ。」

雑巾絞りにはまだ力不足ですが、なんとか格好はついてきました。ご褒美に遊園地へ・・。

大好きな電車などには大乗り気。

ついでに馬にも一緒に乗り、次は一人でポニーに乗ると言い出した。


動物との触れ合いは意外にいい効果があるかも・・。


ウサギは意外に大きかったようで「パパ。抱っこして」だと・・・


小生は少々疲れて最後の車の自転車こぎ?は家内にバトンタッチ。

帰りはクタクタになりながら「新幹線、買いに良く!」

そういう息子は車中で熟睡で小生がおもちゃ売り場に・・・

さて本日は薄汚い?薄い色の赤絵茶碗です。赤絵のこの手の作品は後絵付もありますので要注意です。荒っぽい方法として、煮沸して確かめる方法もあります。
伝紅緑彩鳳凰魚文碗
塗箱
全体サイズ:口径145*高台径56*高さ35

胎土から安南赤絵とは言いがたく、僅かながら黄色の釉薬も使われている可能性もあり、中国本土、もしくは華南で作られた宋赤絵の技法で作られた赤絵ではないかと推察されます。明時代の下がった頃の作かもしれません。時代考証は別として分類は「宋赤絵」に分類されるかもしれません。

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宋赤絵:中国、宋代(金代)に作られた上絵付け陶器。化粧掛けした素地(きじ)に透明な釉(うわぐすり)をかけ、その上から赤・緑・黄などの顔料で花鳥などを描いたもので、赤絵の先駆をなす作品群です。

日本で”古赤絵”と言えば、明の時代景徳鎮釉上彩絵器のことですが、その前の中国における赤絵の作品群はおおよそ”宋赤絵”に帰属してします。ちなみに、宋赤絵は紅緑だけを使われていることから中国では”紅緑彩”と呼び、明以降の彩色は豊富な色使いになったため、その赤絵を”五彩”と呼びます。

小山富士夫が発見した”宋赤絵”の窯元は中国北方の修武窯です。今世紀になってから分かったことですから、その後で中国もいろいろ発掘したので、分かったことは修武窯の近くの磁州窯系も赤絵器を作っていたことです。このことから宋赤絵と言いますと、ほとんど中国北方面の製作と考えられています。
日本には大正時代に将来されて以来親しまれてきており、花文・魚文のほか、鳥文や文字を記したものなどが知られています。
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色が褪せてきている点から低温度焼成の色絵かと推察されます。

むろん宋時代なら発掘作品の可能性がありますが、胎土から時代の下がった作ではないかと思われます。

絵付けは勢いがあり悪くはないですが、宋赤絵に鳳凰文?

口縁には小さな欠けが見られます。下手な金繕いが施されていたので、これは剥がしました。

鯉の絵柄が見込みにあり、実にいいですね。お茶を飲むときに愉しめます。

胎土は磁器で白い。明、清時代に呉須赤絵と同時期に派生した華南の赤絵の可能性もあるかと・・。

呉須赤絵と安南焼の中間・・、ついでに安南焼の説明を書きに記しておきます。
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安南赤絵:安南焼とは、現在のベトナムで作られた焼物の総称ですが、その名は679年に中国の唐王朝がベトナム統治の為に、現在のハノイに置いた軍事期間・安南都御符に由来しています。その為常に中国の影響を受けてきましたが、大きな発展を遂げたのは12世紀頃のベトナム李王朝の時代です。その形は唐や宋の陶磁器を模しており、白磁と青磁を中心に褐釉、鉄絵、緑釉などが幅広く作られ、東南アジアでは圧倒的な規模を誇っていました。

その後14世紀後半になると、中国の景徳鎮に倣い青花磁器が作られるようになりました。しかしその色は景徳鎮に比べるとやや暗くくすんでいます。これは中国がイスラム圏から輸入した質の高い呉須を使っていたのに対し、安南は国産の質の低い呉須を使っていたからです。また絵付けの線は土と釉薬のせいでそのほとんどが滲んでいる。ベトナムでは良質のカオリンが取れず、これでは青花の色が映えないために、生地に白土を化粧がけしていたのです。しかしその白土は粒子が粗く、いくら繊細な絵付けを施しても呉須がすぐに白土に吸収されてしまい、また釉薬は不純物を多く含んでいるため、透明度が低く結果的に絵付けがぼやけてしまいます。絵柄は蓮の花びらを簡略化したものがほとんどで、これが安南焼の青花かどうかを見極める決め手のひとつとなっています。

15世紀になると、赤や緑や黄色の顔料を用いた赤絵が作られるようになりましたが、中国に比べ低い温度で焼き付けるために釉薬が剥がれやすく、すぐに色が褪せてしまいます。しかし室町時代の茶人たちは、その素朴さの中に詫び茶に通じる簡素な美を見出しました。なかでも呉須が滲んで流れるような景色になった青花は、藍染の絞りに似ていることから絞手と呼ばれ珍重されました。そのような染付の中での色絵の作品は安南赤絵と称しますが、現存する安南赤絵で、色が残っているものは極めて珍しいようです。数も少なく同時に焼かれた安南染付が100枚あると、赤絵はその内の1枚ぐらいとも言われています。
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さてと本作品は鑑賞したり、使ってみて、飽きが繰るかどうかがポイントです。すべてがそうですが、その時々の鑑賞する眼のレベルで・・。

お茶碗として使うには、薄手の磁器の茶碗ですからお茶を点てたり、漱ぐ時に熱くて持てるかどうかですね。

後日、中国の近代のまがい物と判明するのも愉しからずや

さて、今週の3連休はなにして遊ぼうか? 「ゴルフなんざ、つまらないぜ。」
