夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

水郷初夏 伝小川芋銭筆 その3

2017-03-20 00:01:00 | 掛け軸
南画では釧雲泉の作品、浮世絵では肉筆の美人画など真贋に悩まされることが多かったのですが、近代画家に贋作の多い画家はたくさんいます。本ブログで紹介しています平福父子、寺崎廣業、福田豊四郎にも贋作は多く、ネットオークションなどは贋作の宝庫?といっていいほどです。

本日紹介する小川芋銭はもっとも贋作の多い画家に一人のようです。ただ贋作に尻込みしていると、骨董集など止めたほうがよくなるので、鍛錬しかありません。これはなにも骨董の世界だけでなく、日常の生活・業務も同じで、魑魅魍魎たる中で、真実を見極め、妥当なる処置をしていくのは同じです。

水郷初夏 小川芋銭筆 その3
紙本水墨軸装 軸先象牙 共箱二重箱 
全体サイズ:横550*縦2130 画サイズ:横360*縦1360



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小川芋銭:慶応4年、江戸赤坂の牛久藩邸大目付小川伝右衛門賢勝の長男として生まれ。幼名は不動太郎、のち茂吉(しげきち)。

若い頃は画塾彰技堂に入り洋画を学ぶとともに南画にも興味を示し独自の画風を身につける。スケッチ漫画を新聞に発表。俳雑「ホトトギス」などに挿絵や表紙を描き、やがて横山大観に認められ日本画壇に入る。

「河童の芋銭か芋銭の河童」と言われるぐらい、小川芋銭にとって、河童の絵は代名詞の如く思われているが、芋銭は松尾芭蕉の旅心への憧れから生涯旅を愛し、各地の山水や農村風景を描き、「仙境の画人」・「俗中の仙人」などともいわれている。

昭和13年永眠、享年70才。



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小生の好きな田舎の風景です。



「国家の基本は農に在り」か・・・。



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補足

小川家は武家で、親は常陸国牛久藩の大目付でしたが、廃藩置県により新治県城中村(現在の茨城県牛久市城中町)に移り農家を営むようになります。

芋銭は最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け朝野新聞社に入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。横山大観に認められ、日本美術院同人となっています。



父に命により、生涯のほとんどを現在の茨城県龍ケ崎市にある牛久沼の畔(現在の牛久市城中町)で農業を営みながら暮らしました。画業を続けられたのは、妻こうの理解と助力によるといわれています。牛久で、妻の農事に支えられて絵筆をとっていた芋銭は、農村に暮らす人々の様子や田園風景を多く描きました。画号の「芋銭」は、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによります。



身近な働く農民の姿等を描き新聞等に発表しましたが、これには社会主義者の幸徳秋水の影響もあったと言われています。また、水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られています。



芋銭はまた、絵筆を執る傍ら、「牛里」の号で俳人としても活発に活動しました。長塚節や山村暮鳥、野口雨情などとも交流があり、特に雨情は、当初俳人としての芋銭しか知らず、新聞記者に「あの人は画家だ」と教えられ驚いたという逸話を残しています。

芋銭の墓は1943年(昭和18年)、自宅近くの曹洞宗の寺院、稲荷山得月院(牛久市城中町258)に建てられました。

雲魚亭:芋銭が自宅敷地に建てたアトリエ。完成してまもなく芋銭が脳溢血で倒れたため、ほとんど病室として使われた。現在は牛久市の管理の下、小川芋銭記念館として公開され、複製画や芋銭の愛用品が展示されている。



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小川芋銭できちんと共箱になっている作品は少ないようです。



贋作の記事には下記のような内容の掲載があります。

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贋作が多く作られた作家でもある。そのため、公的機関が「小川芋銭の作品」を公費で購入する際、仮に贋作であるとすると無意味かつ税金の無駄と意見から購入の正当性や鑑定依頼先を巡ってしばしば議論になる。

小川芋銭の作品について、小川芋銭研究センターの首席学芸員が『小川芋銭全作品集』(挿絵編)で近年こう書いている記述があります。

「芋銭は贋作の非常に多い画家でもある。市中に出回っている作品の七~八割は、真筆と認めがたいと囁かれているほどである。「小川芋銭研究センター」を立ち上げてから、多くの芋銭作品が持ち込まれたが、総てと言っても良いほど一顧に値しないものばかりで、気持ちの晴れ晴れする作品に巡り合う機会には恵まれなかった。」

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*共箱の印章:「河童百図<白藤源太>」昭和12年ら多くの昭和になってからの作品に使用されており、印影は一致します。

*「作品の印章:狐隊行」(昭和5年)と同一印章か? 作品に押印されている印章は当方ではまだ未確認です。



贋作については富岡鉄斎と双璧か・・。

蛙 小川芋銭筆
水墨淡彩紙本 額装アクリル板 
全体サイズ:横337*縦377 画サイズ:横135*縦172




鍾馗斬河童之図 小川芋銭筆
紙本水墨淡彩軸装箱入 画サイズ:横485*縦1350



東天紅図 小川芋銭筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先木製 合箱 
全体サイズ:横452*縦1895 画サイズ:横337*縦1285



これらの作品は購入機会には厳選していますが、税金での購入ではないので実におおらかな判断です。意外にいい線いっているかもね。


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