夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

氏素性の解らぬ陶磁器 古染付? 青花文六寸皿

2015-11-11 00:12:21 | 陶磁器
「骨董」も「人」も第一印象である程度判断する必要があることがあります。「人」については、採用試験などそのさいたるもので、全くの初対面で何人かの中から一人を選ばなくてはいけないというのはとてもたいへんです。本人の人生に大きく関わることですから、生半可な基準で採用することはできません。小生は現場を数多く経験し、数多くの男性と接した経験から、男性の多くはだいたい解ると思うのですが、はたして小生の審査基準が、会社の将来のためになる人間かどうかの基準として正しいかどうかは正直なところ見当がつきません。まさに難しい・・・、ましてや女性となるとさらに難しい。

さて骨董については、こちらは審査基準を間違えても懐が痛むだけですので気が楽ですね。最近になってようやく少しはましな選択ができているような気がしますが・・。むろん資金が豊富であればよいものだけを蒐集することには自信があるのですが、如何せん資金に限りがあるので、「安物買いの銭失い」の繰り返しです。でもそこが面白い 

いくら資金が豊富でもガラクタ揃いの蒐集家はたくさんいます。意外にそうなる確率は高いようで骨董蒐集する方の9割はそうなるとか・・。「なんでも鑑定団」に出演する骨董蒐集を趣味にする方はやはりガラクタ揃いが多いようです。当方もその一人を自認する者です。

ところで骨董というと「すぐに本物?」と尋ねられる方が多いのですが、「そんなもの誰がわかるかい!」と言い返したいのをいつも我慢しています。骨董は残念ながら贋作を踏み台にして解っていくもののようです。信頼のおける骨董商や人に依頼して購入すればそのステップを経ずに済むのですが、それには莫大な資金が必要です。そのようにして集めても売ると確実に損で資金が底を尽きますし、蒐集する楽しみの99%を放棄することになると思います。ただし、資金にまったく余裕のない骨董蒐集は眼力がつきませんので、時には背伸びすることも必要なのも事実です。

仕事も趣味も「どきどきする」のがいいのですよ。幾つになってもときめくことは必要です。ときめかない人生は生きていてつまらないでしょう

さて、本日の作品は第一印象での購入です。本作品は明末から清朝の染付の作品と見定めての購入ですが、果たして正しいやら・・・。

古染付 青花文六寸皿
「支邦染付 天啓果子器」箱書 合箱
口径190*高台径*高さ28



古染付に関する記事は下記のとおりです。何度か本ブログに登場している作品群です。普段使いの器で、最近はネットオークションにて一万円しないで入手できますが、それを高いというか安いというか・・微妙ですね。

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天啓染付:天啓の染付を、我国では俗に「古染付」と呼んでいる。一般に中国,明末・天啓年間(1621~27)あるいは崇禎年間(1621~44)頃に作られ、江西・景徳鎮の民窯にて焼かれた染付磁器こという。南方民窯の呉須手とは区別される。高砂手・桜川水指・羅漢手の反鉢・魚形の向付など明らかに日本向けとされるものも含まれ、重厚なつくり、陶工の意匠を素直に表した飄逸みにあふれる文様が特徴。その味わい深い古染付、茶人に親しまれることによって日本では珍重され、ほとんどの遺品は日本にのみ伝わっている。



呼称の由来
古染付の呼称については諸説あるが、江戸時代の資料にはみられないことからも決して古くから使われていた言葉ではない。茶会記や箱書きによると、それ以前には「南京」つまり中国渡りの染付との意味で「染付南京」と呼ばれていたようである。その後江戸後期に伝わった煎茶道具の清朝染付に対して、初期に渡った古渡りの染付「古染付」と呼ばれたとの説が一般的である。



明末の景徳鎮
明末の景徳鎮 萬暦における御器廠への焼造下命はおびただしい量となり、碁石・碁盤・碁罐・屏風・燭台・筆管といった食器の類ではないものまで用命される。その結果、原料の消費は甚だしく麻倉の採土坑は深く掘り下げられ、役人は私腹を肥やし、陶工らは辛酸を舐めることとなった。 しかし、萬暦帝の崩御により御器焼造は中止となり御器廠は事実上の閉鎖を迎える。このような背景の中、景徳鎮民窯によっていわゆる古染付、天啓赤絵・芙蓉手・祥瑞・南京赤絵が生み出されていった。




古染付には「大明天啓年製」「天啓年製」あるいは「天啓年造」といった款記が底裏に書かれていることがあり、この他にも「天啓佳器」といったものや「大明天啓元年」など年号銘の入ったものも見られる。また年号銘でも「成化年製」「宣徳年製」など偽銘を用いた作例もあり、優品を生み出した過去の陶工に敬意を払いつつもそれまでの様式にとらわれることはなかった。これら款記は正楷書にて二行もしくは三行であらわされるのが慣例とされていたが、款記と同じく比較的自由に書かれており、まるで文様の一つとして捉えていたようにも思える。それ以前の景徳鎮では、このように自由な作例はみられず、民窯であったからこそ陶工の意匠を素直に表した染付を生み出すことができた。



虫食い
天啓で使われていた陶土は決して上質のものではなく、そのため焼成時に胎土と釉薬の収縮率の違いから生まれてしまう。特に口縁部は釉が薄く掛かるために気孔が生じて空洞となり、冷却時にその気孔がはじけて素地をみせるめくれがのこってしまう。本来、技術的には問題となるところを当時の茶人は、虫に食われた跡と見立て鑑賞の対象とした。古染付特有の特徴であることも知られる。



絵付
土青による濃青な発色をうまく使い、様々な器形に合わせて絵画的な表現を用い絵付を行った。それまでの型にはまった様式から一歩踏み出し、自由奔放な筆致で明末文人画を例にとった山水や花鳥、羅漢・達磨など描いている。



器形
中国では元来、小皿の形の多くは円形をなしている。古染付でも円形の小皿は多くみられ、その他にも様々な器形がつくられている。十字形手鉢・木瓜形手鉢・扇形向付といったものは織部に見られる器形であり、日本から木型等を送り注文をしていたのではないだろうかとも想像できる。轆轤を専門としていた景徳鎮において、手捻ねへの突然の変更は難しい。しかし、その注文に応じていくうちに更に独創的な形(菊形・桃形・柏形・魚形・馬形・海老形・兎形)を生み出し、古染付独自の器形をつくり上げていったことは確かである。

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高台内にも鉋の跡がきちんと残っています。このあたりの特徴を踏まえて購入の是非を判断したほうが良いと思います。本作品は明末とはいかないまでも清初の頃に作品と推察しています。大量に流通している作品群ですが、模倣品や贋作もありますので注意は必要です。

古染付の真髄はあくまでも「味」・・・。骨董の約束事ほどあてにならないものはありません。「こうなっているからこの器はいいのだ。」というのは感性に乏しい人の評です。この染付の絵柄は何を描いたかという疑問はまったく関係ないもの・・。きっと○○・・に宝尽くし・・。なにを描いたかすぐには解らないのが古染付・・。恋するものに理屈は要らないのと同じです。

人生も「味」・・、失敗のない人生なんてつまらない。むろん失敗したあとでどうするかで「人間の器量」が問われることになります。骨董でも失敗すると人間の器量が問われる?そんなことにはなりませんが、家内の見る目がきつくなるだけ・・







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