夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

富貴花画之図賛 平野五岳筆

2012-07-10 06:15:21 | 掛け軸
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詩、書、画に優れていろことを三絶というらしいです。明治の初期にたくさんの文人がいた時代にその三絶と称された平野五岳の作品です。本日はその平野五岳の作品です。

富貴花画之図賛 平野五岳筆
絖本水墨 軸先木製 識箱
全体サイズ:縦1970*横490 画サイズ:縦1280*横340




賛に「丁亥秋日」とあることから、1887年平野五岳が76歳の作品と推察されます。



鑑定には「壬戌卯月東陽題鑑」と記されており、1922年(大正11年)4月の鑑定と推察されます。「東陽」については詳細が不明です。



印章は白文方印「□□五岳」と朱文方印「古竹園主」が押印されています。




遊印は「古竹」が押印されています。



賛の読み・意味については不明です。右下の遊印も不明です。



高級な絹である絖本に描かれています。



さてこの作品の良さが解るまでしばらく時間がかかりそうです。



平野五岳 :1811年(文化6年)~1893年(明治26年) 江戸後期-明治時代の僧、画家。

文化8年生まれ。豊後の真宗大谷派専念寺の住職。広瀬淡窓に詩文をまなび、のち田能村竹田の影響をうけて文人画を描き、書にも優れ三絶僧と称された。

明治26年3月3日死去。83歳。豊後出身。法名は聞恵。名を岳,字名を五岳,雅号も五岳であり由来は阿蘇の五岳による。古竹はその園号,古竹邨舎(こちくそんしゃ)とも号した。別号に竹邨,古竹園。

詩は白楽天を私淑し,画は田能村竹田に私淑,山水画は菘翁(海屋)の啓発による。「三絶」とは、「詩」「書」「画」が揃って一幅の絵の中に調和させる事ができると言う意味ですが、「海屋」「逸雲」「對山」「小華」「幽谷」「杏雨」「直入」「清嘯」などという明治の錚々(そうそう)たる実力者の中にあって「三絶僧」と呼ばれた。

近年、五岳が描いた西郷隆盛の肖像画が発見されました。これまでは西郷隆盛の肖像画は実際に会った人が描いたものは無いと言われていた中で平野五岳は唯一、実際に西郷に面談している人物なのです。


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