
私の郷里である秋田の出身の画家ということもあり、手持ちの資金の許す範囲で寺崎廣業の作品をすこしづつ購入してきました。本ブログでも今回で10作品目となります。
寺崎廣業は努力の画家といわれています。家老の家に生まれながら、明治維新で画業で身を立て、天才と称する画家の中で、古画を研究し、努力によって画力をつけ、一家を成しました。
その努力の程度をうかがわせるものに、知人が所有する作品の中に古画の縮図を描いた作品を巻物にした作品があり、見せて頂いたことがあります。

全部を紹介できないのがとても残念です。

古い作品を縮図として写し、修練や学習に使ったのでしょう。この作品は秋田県にとって非常に貴重な作品ですが、知人から重要性の知らない別人の所有に移り今後どうなるのかが不安です。
さて本日に作品は下記の作品です。
蝦蟇仙人 寺崎廣業筆
紙本水墨軸装 軸先鹿本骨 合箱入
全体サイズ:横420*縦1960 画サイズ:横320*縦1110

落款から推察すると大正7年前後の廣業最晩年の作品ではないかと思われます。
印章は白文朱方印「廣業書画印」、朱文白方印「天頼散人」が押印されております。この印章は「黄庭堅像 寺崎廣業 その7」にも使用されており、同一印章です。おもしろいのは「黄庭堅像 寺崎廣業筆」では白文朱方印「廣業書画印が逆さまに押印されていることです。おおらかな性分の寺崎廣業らしい失敗です。

銭と思われる穴あき銭を紐に吊るして蛙と戯れる仙人は蝦蟇仙人でしょうか?

何かを揶揄したものか、故事に倣ったのかは不明ですが、ユーモラスで洒脱な絵となっています。
蛙と仙人がダンス??・・、銭で躍らせられている俗社会への風刺か・・??

人物に描き方も実によく描けています。最後に寺崎廣業が到達した円熟の極みといえる作品です。この直後に咽頭ガンにて廣業は亡くなっています。

画家が生涯のうちで代表的な良い作品を描く時期は様々なようです。晩年がいい絵を描くかというとそうでもないようです。本来は晩年に熟した絵を描くのが理想といえるでしょう。
寺崎廣業:慶応2年生まれ、大正8年没、享年54歳。秋田藩の家老の家に生まれる。幼名は忠太郎、字は徳郷。初め秀齋、後に宗山、騰竜軒・天籟散人等と号した。初め郷土の小室秀俊に狩野派を学び、のちに上京して刻苦精励、諸派を摂取して晩年には、倪雲林、王蒙に私淑し、新南画の開拓に努めた。東京美術学校教授、文展開設以来審査員、帝室技芸員に任ぜられ東都画壇の重鎮となり、交友広くその生活は頗る華やかであった。
ところで日本画、とくに掛け軸の味わいのひとつに余白の美というものがあるようです。本作品も余白が十二分にあります。額にするとその良さが失われるといわれています。額装にする場合はその辺のことを考えて改装の判断をしくてはなりません。
前に投稿しました下記の作品はあまりにも軸装が痛んでいたので、余白の美という問題も無かったので額装に改装しました。
ガザミ(ワタリ蟹) 福田平八郎筆
紙本水墨 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1280*横565 画サイズ:縦465*横435

賛否両論はあろうかと思いますが、作品の保存と鑑賞に耐え得るかどうかを考慮すると、いつかは日本画は保存のために軸装のままか額装に改装するかの選択を迫られるようです。

寺崎廣業は努力の画家といわれています。家老の家に生まれながら、明治維新で画業で身を立て、天才と称する画家の中で、古画を研究し、努力によって画力をつけ、一家を成しました。
その努力の程度をうかがわせるものに、知人が所有する作品の中に古画の縮図を描いた作品を巻物にした作品があり、見せて頂いたことがあります。

全部を紹介できないのがとても残念です。

古い作品を縮図として写し、修練や学習に使ったのでしょう。この作品は秋田県にとって非常に貴重な作品ですが、知人から重要性の知らない別人の所有に移り今後どうなるのかが不安です。
さて本日に作品は下記の作品です。
蝦蟇仙人 寺崎廣業筆
紙本水墨軸装 軸先鹿本骨 合箱入
全体サイズ:横420*縦1960 画サイズ:横320*縦1110

落款から推察すると大正7年前後の廣業最晩年の作品ではないかと思われます。
印章は白文朱方印「廣業書画印」、朱文白方印「天頼散人」が押印されております。この印章は「黄庭堅像 寺崎廣業 その7」にも使用されており、同一印章です。おもしろいのは「黄庭堅像 寺崎廣業筆」では白文朱方印「廣業書画印が逆さまに押印されていることです。おおらかな性分の寺崎廣業らしい失敗です。

銭と思われる穴あき銭を紐に吊るして蛙と戯れる仙人は蝦蟇仙人でしょうか?

何かを揶揄したものか、故事に倣ったのかは不明ですが、ユーモラスで洒脱な絵となっています。
蛙と仙人がダンス??・・、銭で躍らせられている俗社会への風刺か・・??

人物に描き方も実によく描けています。最後に寺崎廣業が到達した円熟の極みといえる作品です。この直後に咽頭ガンにて廣業は亡くなっています。

画家が生涯のうちで代表的な良い作品を描く時期は様々なようです。晩年がいい絵を描くかというとそうでもないようです。本来は晩年に熟した絵を描くのが理想といえるでしょう。
寺崎廣業:慶応2年生まれ、大正8年没、享年54歳。秋田藩の家老の家に生まれる。幼名は忠太郎、字は徳郷。初め秀齋、後に宗山、騰竜軒・天籟散人等と号した。初め郷土の小室秀俊に狩野派を学び、のちに上京して刻苦精励、諸派を摂取して晩年には、倪雲林、王蒙に私淑し、新南画の開拓に努めた。東京美術学校教授、文展開設以来審査員、帝室技芸員に任ぜられ東都画壇の重鎮となり、交友広くその生活は頗る華やかであった。
ところで日本画、とくに掛け軸の味わいのひとつに余白の美というものがあるようです。本作品も余白が十二分にあります。額にするとその良さが失われるといわれています。額装にする場合はその辺のことを考えて改装の判断をしくてはなりません。
前に投稿しました下記の作品はあまりにも軸装が痛んでいたので、余白の美という問題も無かったので額装に改装しました。
ガザミ(ワタリ蟹) 福田平八郎筆
紙本水墨 軸先木製 合箱
全体サイズ:縦1280*横565 画サイズ:縦465*横435

賛否両論はあろうかと思いますが、作品の保存と鑑賞に耐え得るかどうかを考慮すると、いつかは日本画は保存のために軸装のままか額装に改装するかの選択を迫られるようです。
