緑釉陶器は中国の戦国時代(紀元前4世紀頃)に生まれ、漢時代に流行しました。日本には7世紀後半、新羅から技術が導入された可能性が強く,平安京から新羅の緑釉壷の破片が出土しています。
酸化銅を呈色剤とする緑釉は青銅器の質感を表現するために施釉されたとする説もありますが、青銅器の本来の色は金色です。むしろ鉛釉という金属釉を掛けることにより、陶器に金属的な質感を求めたと考えられています。
*鉛釉のせいでしょうか、光線の具合によって虹彩が発生しています。
本日はそのような緑釉陶器の作品から「囷(きん)」と呼ばれる円筒型の穀物倉庫の形をした作品の紹介です。
緑釉熊足米倉(穀倉) 後漢時代2世紀頃
所蔵者記載合箱
最大口径190*高さ250
1980年代後半になると、中国の経済開放政策によって、鉄道や道路など国中のいたる所でインフラ開発が行われ、その工事中に多くの漢代や唐代の墳墓が発見されることになりました。埋められていた緑釉や三彩の陶器が大量に出土され、これらの作品群は大暴落し、お値段もお手頃になったと言われています。埋蔵されていた作品にある銀化は釉に含まれている鉛が長い年月を経て風化し銀色に発色することによってなるものです。長い年月を経ての銀化している部分は非常に魅力的です。
古代中国には、様々な物を陶器で再現し、墓に埋葬する風習があり、特に漢代の明器は日常生活に密接に結びついた物が作られていようです。本品は囷(きん)と呼ばれる円筒型の穀物倉庫の形をした作品です。
囷は穀物倉庫を意味します。今日でも華北の農村にはこうした形の穀物倉庫があるようです。筒形の胴に、傘形の屋根が付き、底部は漢代に流行した、三頭の熊をかたどった足(足は熊形)で支えられています。
漢時代の明器には豚舎、井戸、鳥小屋、楼閣、塔、そしてこのような囷などがあり、この時代の生活風景を考えるには興味深い作品です。中には実際に穀物を入れて埋葬されることが多く、死後も豊かな生活ができるよう願が込められていました。
この作品は作行、緑釉の発色とも鮮やかですが、おそらく埋蔵品であった作品でしょうが、状態が非常によく、屋根が瓦の作品は数が少ないようです。
後漢時代中期、1~2世紀の作と推定されます。底には釉薬が掛けられておらず、糸切底になっています。
保管箱には「漢 緑釉 米倉」と題され、箱裏には「緑釉の代表的□□ 殊に屋根瓦の□□漢□□として稀に見る□叶之 昭和五七年二月□ □□□八」とあります。
囷(きん)と呼ばれる円筒型の穀物倉庫の形をした作品は数多くあるようです。
参考作品 その1
緑釉囷
後漢(1-2世紀) 高28.2cm、径21.5cm
東京富士美術館蔵
この作品は作行、緑釉の発色とも鮮やかですね。「緑釉囷」の代表作品と言えるのでしょう。
参考作品 その2
漢 緑釉 穀物蔵
高さ265 屋根径180 口径43
後漢時代 2世紀頃
屋根部分が瓦屋根は価値が高いようです。
参考作品 その3
緑釉熊足穀倉
胴径 最大約150 高さ258
~A.D.200年
熊足はしっかり遺っていますが、全体に釉薬が剥がれてきています。この程度の作品なら数万円で入手できます。
当方のブログには同時期の緑釉陶器が幾つか紹介されています。
漢緑釉銀化皿
合塗箱
口径150*底径100*高さ22
漢緑釉銀化壺
合箱
口径*胴径180*底径*高さ145
遼緑釉麒麟像
合箱
作品サイズは未測定
造形的には未熟な作品が多いですが、銀化など時代を感じさせる素朴な魅力のある作品群です。
本日紹介した作品は形が端正で、保存状態が良く、花入に使いたくなる作品です。
とりあえず展示室に飾ってみました。
酸化銅を呈色剤とする緑釉は青銅器の質感を表現するために施釉されたとする説もありますが、青銅器の本来の色は金色です。むしろ鉛釉という金属釉を掛けることにより、陶器に金属的な質感を求めたと考えられています。
*鉛釉のせいでしょうか、光線の具合によって虹彩が発生しています。
本日はそのような緑釉陶器の作品から「囷(きん)」と呼ばれる円筒型の穀物倉庫の形をした作品の紹介です。
緑釉熊足米倉(穀倉) 後漢時代2世紀頃
所蔵者記載合箱
最大口径190*高さ250
1980年代後半になると、中国の経済開放政策によって、鉄道や道路など国中のいたる所でインフラ開発が行われ、その工事中に多くの漢代や唐代の墳墓が発見されることになりました。埋められていた緑釉や三彩の陶器が大量に出土され、これらの作品群は大暴落し、お値段もお手頃になったと言われています。埋蔵されていた作品にある銀化は釉に含まれている鉛が長い年月を経て風化し銀色に発色することによってなるものです。長い年月を経ての銀化している部分は非常に魅力的です。
古代中国には、様々な物を陶器で再現し、墓に埋葬する風習があり、特に漢代の明器は日常生活に密接に結びついた物が作られていようです。本品は囷(きん)と呼ばれる円筒型の穀物倉庫の形をした作品です。
囷は穀物倉庫を意味します。今日でも華北の農村にはこうした形の穀物倉庫があるようです。筒形の胴に、傘形の屋根が付き、底部は漢代に流行した、三頭の熊をかたどった足(足は熊形)で支えられています。
漢時代の明器には豚舎、井戸、鳥小屋、楼閣、塔、そしてこのような囷などがあり、この時代の生活風景を考えるには興味深い作品です。中には実際に穀物を入れて埋葬されることが多く、死後も豊かな生活ができるよう願が込められていました。
この作品は作行、緑釉の発色とも鮮やかですが、おそらく埋蔵品であった作品でしょうが、状態が非常によく、屋根が瓦の作品は数が少ないようです。
後漢時代中期、1~2世紀の作と推定されます。底には釉薬が掛けられておらず、糸切底になっています。
保管箱には「漢 緑釉 米倉」と題され、箱裏には「緑釉の代表的□□ 殊に屋根瓦の□□漢□□として稀に見る□叶之 昭和五七年二月□ □□□八」とあります。
囷(きん)と呼ばれる円筒型の穀物倉庫の形をした作品は数多くあるようです。
参考作品 その1
緑釉囷
後漢(1-2世紀) 高28.2cm、径21.5cm
東京富士美術館蔵
この作品は作行、緑釉の発色とも鮮やかですね。「緑釉囷」の代表作品と言えるのでしょう。
参考作品 その2
漢 緑釉 穀物蔵
高さ265 屋根径180 口径43
後漢時代 2世紀頃
屋根部分が瓦屋根は価値が高いようです。
参考作品 その3
緑釉熊足穀倉
胴径 最大約150 高さ258
~A.D.200年
熊足はしっかり遺っていますが、全体に釉薬が剥がれてきています。この程度の作品なら数万円で入手できます。
当方のブログには同時期の緑釉陶器が幾つか紹介されています。
漢緑釉銀化皿
合塗箱
口径150*底径100*高さ22
漢緑釉銀化壺
合箱
口径*胴径180*底径*高さ145
遼緑釉麒麟像
合箱
作品サイズは未測定
造形的には未熟な作品が多いですが、銀化など時代を感じさせる素朴な魅力のある作品群です。
本日紹介した作品は形が端正で、保存状態が良く、花入に使いたくなる作品です。
とりあえず展示室に飾ってみました。