緑釉陽刻楼閣山水文大皿 源内焼
径323*高さ47
オークションの説明では江戸後期とあります。
源内焼きは楽焼のように焼成温度が低く搬送に向かなかったこと、デザイン重視で実用的でなかったことから源内亡き後は廃れたが、明治期に復興されました。
源内の号である「柳渓」の印を押印されたもののほとんどがその復興品とのことです。
江戸期と明治期では評価価値がまったく違うので、本作品は明治時代に再興されたものかどうかがポイントなります。
江戸期と明治期の大きな違いはそのデザイン性でですが、本作品はデザイン性から明治期でなく江戸期のものと思われますがいかに・・・。
交趾焼に見られるような三彩の釉薬が見られず、緑一色であるがそれがかえって山水図の味を出している。
源内焼:江戸中期18世紀に平賀源内の指導によって源内の故郷香川県志度(現さぬきで焼かれた三彩のやきもの。
明治時代に博覧会の企画で源内の子孫によって一時再興されるが、質的にもデザイン的にもオリジナルには及ばない。
源内は博物学者として長崎に遊学した折にオランダからもたらされた新しい釉薬の技術を学び、その技術を用いてふるさと讃岐・志度の産業を振興させるため、新しい三彩軟陶質のやきものを指導した。
江戸で親しかった浮世絵の鈴木春信の工房で木型を作らせ、それを志度に送って焼かせたと言われる。
源内焼は型起こしによって制作されたもので、同笵の作品が見られます。作品は大名家や幕府高官に収められたため、近年になるまであまり世に知られていない。また、実用よりも鑑賞を主眼に制作された
径323*高さ47
オークションの説明では江戸後期とあります。
源内焼きは楽焼のように焼成温度が低く搬送に向かなかったこと、デザイン重視で実用的でなかったことから源内亡き後は廃れたが、明治期に復興されました。
源内の号である「柳渓」の印を押印されたもののほとんどがその復興品とのことです。
江戸期と明治期では評価価値がまったく違うので、本作品は明治時代に再興されたものかどうかがポイントなります。
江戸期と明治期の大きな違いはそのデザイン性でですが、本作品はデザイン性から明治期でなく江戸期のものと思われますがいかに・・・。
交趾焼に見られるような三彩の釉薬が見られず、緑一色であるがそれがかえって山水図の味を出している。
源内焼:江戸中期18世紀に平賀源内の指導によって源内の故郷香川県志度(現さぬきで焼かれた三彩のやきもの。
明治時代に博覧会の企画で源内の子孫によって一時再興されるが、質的にもデザイン的にもオリジナルには及ばない。
源内は博物学者として長崎に遊学した折にオランダからもたらされた新しい釉薬の技術を学び、その技術を用いてふるさと讃岐・志度の産業を振興させるため、新しい三彩軟陶質のやきものを指導した。
江戸で親しかった浮世絵の鈴木春信の工房で木型を作らせ、それを志度に送って焼かせたと言われる。
源内焼は型起こしによって制作されたもので、同笵の作品が見られます。作品は大名家や幕府高官に収められたため、近年になるまであまり世に知られていない。また、実用よりも鑑賞を主眼に制作された
源内焼の代表的な山水ですね。
私も同色の同手のものをコレクションしていますが、残念なことに2箇所ニュー直しがあります。裏に2本のアンテナの柄のような押印がありますが、同じ型で作られたと思われるほど似ています。
オークションで購入されたとのことですが、本歌をどのくらいの価格で落札できる物なんでしょうか興味があります。
コメントを本日気がつきました・・。
そうですか、私はあまり源内焼については詳しくありませんが。裏にある押印は興味がありますね。
落札価格は帰宅したら調べてみます。
購入金額は4万円弱でした。