ものづくりの人手不足が深刻化しており、少子高齢化もまた解決の糸口が見えていませんが、新たな会社を興しその対策に乗り出しています。ものづくりの後継者対策は議論するものの実際の対処はなかなか講じられていませんが、その難問に取り組み始めて早一年。本日の新にも掲載となりましたが、さて、その大義名分の理解を得るべき人々がまだまだ多いようです。
帰宅すると「今日はなにして遊んだの?」尋ねると、「公園」という息子の回答。家内曰く「パパから教わって水遊び」と・・。写真がメールに添付されていたのを思い出し、「アッ、蛇口を指で塞いで噴水かな~」と・・。びしょぬれになって遊んだらしい。
さて、男の隠れ家からの「鐸」の「その4」です。
鐸 その4 土佐住明珍宗利名
木瓜形 鉄地 保存箱入
縦*横*厚さ
錆が酷かったので当方で手入れしてあります。「神道五鍛錬 二月吉日」「土佐国在 明珍宗利」とあります。いつの頃の作品でしょうか?
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明珍(みょうちん):具足鍛冶師。初代 増田宗介紀ノ太郎が、近衛天皇(1141~54)に鎧(よろい)、轡(くつわ)を献上したところ、触れあう音が「音響朗々、光明白にして玉の如く、類稀なる珍器なりとて明珍の二字を賜ひ」という伝があり、代々「明珍」と称した。元は京都で馬の轡を作る轡師で、室町時代くらいから刀の鐔を作るようになったという。
安土桃山時代に宗広が具足のほか火箸・鐶などの茶道具を手がけた。江戸時代に、明珍宗信が江戸に居を構え、元禄・宝永ごろ中興の祖 明珍宗介が、系図や家伝書を整備するなどして家元制度を整え、古甲冑を自家先祖製作とする極書を発行し権威付けを始め、弟子の養成に努め、「明珍」の名乗りと名に「宗」の字の使用を許すなどしながら勢力の拡大を図り、甲冑と言えば「明珍」といわれるようになり、明珍派は上州・仙台・越前・土佐など各地にあり俗に脇明珍とよばれる。
現在姫路明珍と呼ばれる家系は、前橋から移封され姫路城主となった酒井雅楽守忠清にお抱え甲冑師として仕え、茶道具も製作する。49代 明珍宗之のとき明治維新で禄を離れ、千利休の火箸を作ったという伝にならい、それまで余技だった火箸づくりに転じた。当代 明珍宗理は、平成4年に第52代明珍を襲名。
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「俗に脇明珍とよばれる」作品のようです。
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木瓜形:木瓜紋の模様は古代中国の官服の図柄としても用いられており、その原形は鳥の巣に生み落された卵をテザインしたもので、後にこれが木瓜の実を輪切りにした形或いは胡瓜の断面形状に似ているところからこの呼称があてられるようになった。
いずれも円形周辺に凹部をもたせた柔らかな感じのある形状で、家紋などにもこれを用いた例は多いが、鐔では四ツ木瓜と呼ばれる四分割形が一般的。他に両(二ツ)木瓜・三ツ木瓜・五ツ木瓜など変形は多い。木瓜紋(もっこうもん)は、日本の家紋や模様のひとつ。藤紋、片喰紋、鷹の羽紋、桐紋と合わせて五大紋と呼ばれる。もとは有職文様である。子孫繁栄を祈る家紋である。
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たいしたものではありませんが、先祖伝来は大切に整理したおきます。
さて、本日紹介する花入はふたつとも以前に紹介された作品です。(浜田庄司の花入は現在は未公開) 探し物があって戸棚をひっくり返していると出てきたので、同じような使い勝手の良さそうな花器なので、改めてふたつを同時に紹介します。男の隠れ家は無尽蔵です。
これらは好きな作品群でいくつか絵柄や釉薬の違う作品を所蔵しています。
灰釉六角花立 浜田庄司作
共箱
90*90*高さ196
なんども記述しますが、浜田庄司の釉薬はいいですね~。子息の浜田晋作も同じ釉薬なのでしょうが。味わいが違うのです。
この釉薬の味わいが浜田庄司の真骨頂です。
これと同じ作品がいくつも市場に出回っています。むろん本人作が多いのですが、窯作品、模索や贋作もあるようです。
共箱がないと一般的には真作として扱ってもらえませんが、よく知っている人はすぐに浜田庄司の本人作と解ります。
銅彩柿文筒花入 田村耕一作
共箱
高さ188*胴径79
田村耕一の作品の真骨頂はやはりこの淡い朱色でしょう。「ほたるふくろ」を描いた作品が人気ですが、その作品の紹介は後日また。
田村耕一のこの手の贋作は見たことがありませんが、きっと難しいのでしょう。
田村耕一の作品は刻印があります。
知っている人は少ないのですが、田村耕一もまた人間国宝になっています。ただし本作品は人間国宝になる前の作です。
これらの作品は数が多く、いろんな機会で実際は目にしているはずの作品です。むろん、その場には共箱は展示されておらず、底を覗いて銘を確認することもかなわない状況ですから、好きな者だけがひそやかな喜びに浸れる時間ですが・・。
そう骨董は知らない人にはなにがなんだかわからないもの・・・。我らは花を生けて楽しみ、二人が行き着いた釉薬も魅力を大いに愉しんでいます。同じ蛇口でもちょっとしたことで大いに愉しめます。ものづくりを愉しめ・・・・。
帰宅すると「今日はなにして遊んだの?」尋ねると、「公園」という息子の回答。家内曰く「パパから教わって水遊び」と・・。写真がメールに添付されていたのを思い出し、「アッ、蛇口を指で塞いで噴水かな~」と・・。びしょぬれになって遊んだらしい。
さて、男の隠れ家からの「鐸」の「その4」です。
鐸 その4 土佐住明珍宗利名
木瓜形 鉄地 保存箱入
縦*横*厚さ
錆が酷かったので当方で手入れしてあります。「神道五鍛錬 二月吉日」「土佐国在 明珍宗利」とあります。いつの頃の作品でしょうか?
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明珍(みょうちん):具足鍛冶師。初代 増田宗介紀ノ太郎が、近衛天皇(1141~54)に鎧(よろい)、轡(くつわ)を献上したところ、触れあう音が「音響朗々、光明白にして玉の如く、類稀なる珍器なりとて明珍の二字を賜ひ」という伝があり、代々「明珍」と称した。元は京都で馬の轡を作る轡師で、室町時代くらいから刀の鐔を作るようになったという。
安土桃山時代に宗広が具足のほか火箸・鐶などの茶道具を手がけた。江戸時代に、明珍宗信が江戸に居を構え、元禄・宝永ごろ中興の祖 明珍宗介が、系図や家伝書を整備するなどして家元制度を整え、古甲冑を自家先祖製作とする極書を発行し権威付けを始め、弟子の養成に努め、「明珍」の名乗りと名に「宗」の字の使用を許すなどしながら勢力の拡大を図り、甲冑と言えば「明珍」といわれるようになり、明珍派は上州・仙台・越前・土佐など各地にあり俗に脇明珍とよばれる。
現在姫路明珍と呼ばれる家系は、前橋から移封され姫路城主となった酒井雅楽守忠清にお抱え甲冑師として仕え、茶道具も製作する。49代 明珍宗之のとき明治維新で禄を離れ、千利休の火箸を作ったという伝にならい、それまで余技だった火箸づくりに転じた。当代 明珍宗理は、平成4年に第52代明珍を襲名。
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「俗に脇明珍とよばれる」作品のようです。
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木瓜形:木瓜紋の模様は古代中国の官服の図柄としても用いられており、その原形は鳥の巣に生み落された卵をテザインしたもので、後にこれが木瓜の実を輪切りにした形或いは胡瓜の断面形状に似ているところからこの呼称があてられるようになった。
いずれも円形周辺に凹部をもたせた柔らかな感じのある形状で、家紋などにもこれを用いた例は多いが、鐔では四ツ木瓜と呼ばれる四分割形が一般的。他に両(二ツ)木瓜・三ツ木瓜・五ツ木瓜など変形は多い。木瓜紋(もっこうもん)は、日本の家紋や模様のひとつ。藤紋、片喰紋、鷹の羽紋、桐紋と合わせて五大紋と呼ばれる。もとは有職文様である。子孫繁栄を祈る家紋である。
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たいしたものではありませんが、先祖伝来は大切に整理したおきます。
さて、本日紹介する花入はふたつとも以前に紹介された作品です。(浜田庄司の花入は現在は未公開) 探し物があって戸棚をひっくり返していると出てきたので、同じような使い勝手の良さそうな花器なので、改めてふたつを同時に紹介します。男の隠れ家は無尽蔵です。
これらは好きな作品群でいくつか絵柄や釉薬の違う作品を所蔵しています。
灰釉六角花立 浜田庄司作
共箱
90*90*高さ196
なんども記述しますが、浜田庄司の釉薬はいいですね~。子息の浜田晋作も同じ釉薬なのでしょうが。味わいが違うのです。
この釉薬の味わいが浜田庄司の真骨頂です。
これと同じ作品がいくつも市場に出回っています。むろん本人作が多いのですが、窯作品、模索や贋作もあるようです。
共箱がないと一般的には真作として扱ってもらえませんが、よく知っている人はすぐに浜田庄司の本人作と解ります。
銅彩柿文筒花入 田村耕一作
共箱
高さ188*胴径79
田村耕一の作品の真骨頂はやはりこの淡い朱色でしょう。「ほたるふくろ」を描いた作品が人気ですが、その作品の紹介は後日また。
田村耕一のこの手の贋作は見たことがありませんが、きっと難しいのでしょう。
田村耕一の作品は刻印があります。
知っている人は少ないのですが、田村耕一もまた人間国宝になっています。ただし本作品は人間国宝になる前の作です。
これらの作品は数が多く、いろんな機会で実際は目にしているはずの作品です。むろん、その場には共箱は展示されておらず、底を覗いて銘を確認することもかなわない状況ですから、好きな者だけがひそやかな喜びに浸れる時間ですが・・。
そう骨董は知らない人にはなにがなんだかわからないもの・・・。我らは花を生けて楽しみ、二人が行き着いた釉薬も魅力を大いに愉しんでいます。同じ蛇口でもちょっとしたことで大いに愉しめます。ものづくりを愉しめ・・・・。