夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家 栗鼠図 石川秀穂筆

2020-09-10 00:01:00 | 掛け軸
本日から入院して手術です。そのためしばしブログは休稿とさせていただきます。順調であれば週明けには再開予定です。

本日の作品紹介ですが、石川秀穂という画家をご存知の方はほとんどいないと思いますが、我が郷里出身の画家の作品です。



栗鼠図 石川秀穂筆
絹本着色軸装 軸先骨 共箱
全体サイズ:横540*縦1830 画サイズ:横360*縦1200

 

「秋田書画人伝」(下記の写真)という秋田では画家の画歴の辞書ともいうべき本ですが、石川秀穂の画歴は下記の内容にて掲載されています。



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石川秀穂:(明治27年10月5日~昭和31年) 日本画家。秋田県大館市弁天町生まれ。画家富次郎の長男で本名新明。父富次郎は、狩野派の石川漁舟(初め北雲)の号で知られています。富次郎は秋田市の小室怡々(いい)斎の門人というから、本ブログでもおなじみの寺崎広業と同門ということになります。

父を画家に持った秀穂は、十七歳で角館町出身の西宮礼和(当時東京)に就いて四条派を学び、のち歴史画の高橋広湖に入門しています。高橋広湖も本ぶろぐにて作品を紹介しています。

高橋広湖は尾竹竹坡とともに、巽画会の重鎮として知られ、秋田県土崎の荒井広成の師でもありみました。高橋広湖の次に花鳥山水の池上秀畝の伝神画塾にはいって学んでいます。

気骨のある人で、中国行きのとき、東京駅まで兄送った門人たちが、師を後列において、万歳をしたところ、秀穂は慣慨し、無礼ではないかと音頭取りの人に食ってかかったという話が伝わっています。酒、たばこ、勝負ことは大嫌いという硬骨漢でもありました。戦時中、大館市部垂町に疎開し、そこで亡くなり、郷里に多くの作品が遺っています。

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本作品からは四条派の影響が大きくみられることから、池上秀畝の影響が多々あったものと推察され、師の池上秀畝の一文字の「秀」から「秀穂」となったのかもしれませんね。



私の家にも仏壇に「山神様」の絵があったりしていますので、祖母が依頼して描いたもらったのかもしれません。今まではいい出来の絵を観たことがなかったので、幾点かあった作品を放置していました。



たしか鷹を描いた色紙の作品もあったように思います。



郷里の骨董店でも作品を見かけたことはありましたが、食指が動くほどの作品ではありませんでした。



本作品はめずらしく?いい出来ゆえ購入しました。



あまりの堅物ゆえ面白い絵が描けなかった?? ちょっぴり見直しましたが、郷里出身でなければ入手はしなかったかもしれません。


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