そろそろいつまでも会社勤めということもあるまいと思って迷っているのが背広の新調。
背広というのはサラリーマンでなくなると極端に使わなくなるようです。人によっては2~3着のいいものだけを残してあとは処分するか、カジュアルに作り直しているのが一般的のようです。背広は痛んでくると使いようがありません。英国屋仕立てのようなものは遺しておいてもいいのでしょうが、「今後は吊るしは一切いらないでしょう。」と思っていたら多くの背広にガタがきてしまい、さすがに新規に購入しようかと・・。
ワイシャツは新規に仕立てる必要は一切ありません。襟や裾が痛んだ段階でワイシャツは最も着心地がよいものだそうです。襟や裾をだけ新調するのが、本当のワイシャツの粋な着方らしいです。
ちなみに着るものなど身に着けるものは、品格をアップするものは「必需品」、高価であるが人の品格をアップしないものを「贅沢品」と呼ぶらしい。世の中にはこの「贅沢品」に溢れているようです。
それに絡んで、ちなみによく見かける国内空港便の前のほうの特別席、新幹線のグリーン車もよほど身体的な問題がない限り「贅沢品」のひとつらしい。田舎者、成金ほど喜ぶらしい。要は無駄のないお金の使い道が品格のある人ができることらしい。いい大人がゲーム機に金を使うなどムダ金もいいところ!
スーツの新調でもいろいろと考えますね。お金の使い道はとても大切なこと。ちなみに小生の骨董蒐集には預金が目減りしてまでは使っていません。趣味では貯蓄を減らさず、資金を貯めて用立てること、これはとても大切なこと。退職金やら貯金を使い崩すような骨董蒐集は止めたほうが良いと思います。
さて、つい最近まで面白いように入手できていた天龍道人の作品が、ネットオークションをはじめとして全く市場に姿を見せなくなりました。もともとそれほど高価な作品群ではなかったのですが、屏風外しなど面白い作品がインターネットオークションなどにたくさんあったのですが・・。これまでになんとか当方では30作品を超える作品が蒐集できました。
この作品は最近の入手ですが、おそらく屏風に貼られていた作品を剥がして売りに出された作品でしょう。俗にいう「屏風剥がし」と言われるものです。非常に状態が悪く、作品の下部、全体の1/5は作品が和から何状態です。
、
葡萄図三幅 葡萄図 その22 天龍道人筆 その34
紙本水墨軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1440*横545 縦1270*横590
この痛みの激しいまくりの状態での購入。左右はおそらく同時期の作。
中央部に見立てようとしてる作品が別幅。描かれた歳と若干大きさが違うように思われます。中央が69歳の作、左右が76歳の作。
ところで天龍道人は1818 年 が生誕の年なので、2018年は生誕 300 年に当たります。
賛には「葉結翠梼葉 密緑□濃最 □多□迎葉 六起清風 天龍湖老人七十有六年筆」 左幅
「六十九才鵞湖乙翁(王?)寫也 押印」 中央幅
*他の所蔵作品である「鷹図 その2 天龍道人筆 その13」(70歳作)と中央作品は同一印章です。
右幅印章
左幅印章
中央幅印章
*「鵞湖王瑾筆」の鵞湖というのは「諏訪」の別称で、天龍道人が 61 歳で下諏訪に家屋敷を購入したと年譜にあり、それ以降の作品に姓の「王」と名の「瑾」を合わせて。「鵞湖王瑾」という組み合わせの署名がみられます。
晩年には「天龍道人」と署名されています。「天龍道人」を名乗るのは、安永7 年(1778)61 歳にして下諏訪に家屋敷を購入して住みはじめてから約10 年後のことになる。
天龍道人は姓が王で、名が瑾、字が公瑜と自ら名乗っており、署名に「王瑾」をはじめ、「王乙翁」、「乙翁王瑾」、「王瑾公瑜」、「王公瑜」などの署名がみられます。また、初期に先ほどの「虚庵」、「虚庵道人」のほか「草龍子」や「源義教」という署名もみられます。
名の「瑾」については、「固くて美しい玉」という意味で「瑾瑜」も同じような意味で使われているようです。「王瑾」というのは、ひっくり返すと「瑾王」で、勤王思想の「勤王」と音通するところから、天皇親政を理想としていた道人が自らの名前にしたと推察されています。
ボストン美術館には与謝蕪村の『柳提渡水』屏風や、尾形光琳の『松島図』屏風と共に天龍道人の作品が展示されており、高名な画家たちの作品の中にあっても独特な世界を醸し出しています。
さて、この痛みの激しい作品をどう蘇らせるか?
中央が葡萄が成っている図、左が葡萄が小さく、左が花?状態。もともと左右の幅は屏風仕立てだったのでしょう。
もはや通常なら打ち捨てられていてもおかしくない作品ですね。売る側で屏風仕立てのいい作品だけは残している可能性は高いでしょう。
あくまでも3幅対とするか? 中央を別作品とし、他を二幅対とするか、痛みの激しい部分を切り取るか? この作品を所蔵した者のセンス次第です。
投資的にはせいぜい数万円での取引価格の作品にどこまでお金をかけるかですが、状態が良ければ秀作の評価があろう、天龍道人の葡萄図の作品です。迷うところですね。
似ている三幅なので改めて写真で整理してみます。
右幅
左幅
中央幅
作品の下部はダメな点があり切り取りましたが、花、小実、そして完実というのがおもしろく鑑賞できる三幅になればと思います。軸を詰めることは邪道ですが、これはこれで致し方あるまい、要はお金の使い道・・・、背広の新調はまた少し先になりそう。
さて本日は雪が予想されていますが、午後からは名古屋に向かいます。一泊にて帰京予定です。
背広というのはサラリーマンでなくなると極端に使わなくなるようです。人によっては2~3着のいいものだけを残してあとは処分するか、カジュアルに作り直しているのが一般的のようです。背広は痛んでくると使いようがありません。英国屋仕立てのようなものは遺しておいてもいいのでしょうが、「今後は吊るしは一切いらないでしょう。」と思っていたら多くの背広にガタがきてしまい、さすがに新規に購入しようかと・・。
ワイシャツは新規に仕立てる必要は一切ありません。襟や裾が痛んだ段階でワイシャツは最も着心地がよいものだそうです。襟や裾をだけ新調するのが、本当のワイシャツの粋な着方らしいです。
ちなみに着るものなど身に着けるものは、品格をアップするものは「必需品」、高価であるが人の品格をアップしないものを「贅沢品」と呼ぶらしい。世の中にはこの「贅沢品」に溢れているようです。
それに絡んで、ちなみによく見かける国内空港便の前のほうの特別席、新幹線のグリーン車もよほど身体的な問題がない限り「贅沢品」のひとつらしい。田舎者、成金ほど喜ぶらしい。要は無駄のないお金の使い道が品格のある人ができることらしい。いい大人がゲーム機に金を使うなどムダ金もいいところ!
スーツの新調でもいろいろと考えますね。お金の使い道はとても大切なこと。ちなみに小生の骨董蒐集には預金が目減りしてまでは使っていません。趣味では貯蓄を減らさず、資金を貯めて用立てること、これはとても大切なこと。退職金やら貯金を使い崩すような骨董蒐集は止めたほうが良いと思います。
さて、つい最近まで面白いように入手できていた天龍道人の作品が、ネットオークションをはじめとして全く市場に姿を見せなくなりました。もともとそれほど高価な作品群ではなかったのですが、屏風外しなど面白い作品がインターネットオークションなどにたくさんあったのですが・・。これまでになんとか当方では30作品を超える作品が蒐集できました。
この作品は最近の入手ですが、おそらく屏風に貼られていた作品を剥がして売りに出された作品でしょう。俗にいう「屏風剥がし」と言われるものです。非常に状態が悪く、作品の下部、全体の1/5は作品が和から何状態です。
、
葡萄図三幅 葡萄図 その22 天龍道人筆 その34
紙本水墨軸装 軸先 合箱
全体サイズ:縦1440*横545 縦1270*横590
この痛みの激しいまくりの状態での購入。左右はおそらく同時期の作。
中央部に見立てようとしてる作品が別幅。描かれた歳と若干大きさが違うように思われます。中央が69歳の作、左右が76歳の作。
ところで天龍道人は1818 年 が生誕の年なので、2018年は生誕 300 年に当たります。
賛には「葉結翠梼葉 密緑□濃最 □多□迎葉 六起清風 天龍湖老人七十有六年筆」 左幅
「六十九才鵞湖乙翁(王?)寫也 押印」 中央幅
*他の所蔵作品である「鷹図 その2 天龍道人筆 その13」(70歳作)と中央作品は同一印章です。
右幅印章
左幅印章
中央幅印章
*「鵞湖王瑾筆」の鵞湖というのは「諏訪」の別称で、天龍道人が 61 歳で下諏訪に家屋敷を購入したと年譜にあり、それ以降の作品に姓の「王」と名の「瑾」を合わせて。「鵞湖王瑾」という組み合わせの署名がみられます。
晩年には「天龍道人」と署名されています。「天龍道人」を名乗るのは、安永7 年(1778)61 歳にして下諏訪に家屋敷を購入して住みはじめてから約10 年後のことになる。
天龍道人は姓が王で、名が瑾、字が公瑜と自ら名乗っており、署名に「王瑾」をはじめ、「王乙翁」、「乙翁王瑾」、「王瑾公瑜」、「王公瑜」などの署名がみられます。また、初期に先ほどの「虚庵」、「虚庵道人」のほか「草龍子」や「源義教」という署名もみられます。
名の「瑾」については、「固くて美しい玉」という意味で「瑾瑜」も同じような意味で使われているようです。「王瑾」というのは、ひっくり返すと「瑾王」で、勤王思想の「勤王」と音通するところから、天皇親政を理想としていた道人が自らの名前にしたと推察されています。
ボストン美術館には与謝蕪村の『柳提渡水』屏風や、尾形光琳の『松島図』屏風と共に天龍道人の作品が展示されており、高名な画家たちの作品の中にあっても独特な世界を醸し出しています。
さて、この痛みの激しい作品をどう蘇らせるか?
中央が葡萄が成っている図、左が葡萄が小さく、左が花?状態。もともと左右の幅は屏風仕立てだったのでしょう。
もはや通常なら打ち捨てられていてもおかしくない作品ですね。売る側で屏風仕立てのいい作品だけは残している可能性は高いでしょう。
あくまでも3幅対とするか? 中央を別作品とし、他を二幅対とするか、痛みの激しい部分を切り取るか? この作品を所蔵した者のセンス次第です。
投資的にはせいぜい数万円での取引価格の作品にどこまでお金をかけるかですが、状態が良ければ秀作の評価があろう、天龍道人の葡萄図の作品です。迷うところですね。
似ている三幅なので改めて写真で整理してみます。
右幅
左幅
中央幅
作品の下部はダメな点があり切り取りましたが、花、小実、そして完実というのがおもしろく鑑賞できる三幅になればと思います。軸を詰めることは邪道ですが、これはこれで致し方あるまい、要はお金の使い道・・・、背広の新調はまた少し先になりそう。
さて本日は雪が予想されていますが、午後からは名古屋に向かいます。一泊にて帰京予定です。