
朝はいつも飛ぶように起きて小生のお見送り(6時前)なのでいつも早起きの息子。登校まで時間があるので、家内とぬいぐるみで遊んでいますが、ちらかったぬいぐるみを帰宅後に片づけるのは小生の役目・・・。整理にいつも窓台に整列です。

さて古九谷の大皿のような高嶺(高値)の花の作品は当方では望むべくもないのですが、まだ「(伊万里)古九谷様式色絵」と称される小作品の作品群は入手可能なようです。本日はそのような作品群に分類されている作品を入手しましたので紹介します。

伊万里? 古九谷様式色絵鴛鴦文丸型長方皿
江戸前期(17世紀中期) 塗箱
幅155*奥行122*高さ36

本来古九谷と伊万里は明確に区分されるべきものと思います。古九谷は原産地論争はあったもののその色彩の差から伊万里とは区分されています。というのは古九谷と伊万里、さらに鍋島焼との大きな違いは色彩にあり、古九谷の色絵の伝統技術が基本的には伊万里に伝わっていない点です。当時日本から輸出された“やきもの”の色の名前に、赤、青はありますが、古九谷の紫、黄はありません。

また、古九谷は、黒呉須の線描きの上に透明性の高い絵具をべた塗りしていますが、伊万里では、輪郭線の中に絵付け(友禅のように)され、また鍋島焼は染付を重視しています。こうした古九谷の様式上の特徴は、伊万里、鍋島焼につながるものではなく、「古九谷」「古九谷様式」を加賀の色絵技術、伝統という切り口から考えるのがごく自然であって少なくとも絵付は九谷でされたと考えられています。

古九谷様式とは17世紀中ごろ(1640年)に始まった色絵磁器の初期のものを古九谷様式と総称していますが、当時の中国景徳鎮らの製品(明末呉須赤絵、古染付、天啓赤絵、南京赤絵、五彩を含む)の影響を受けたほか、独特の大胆なデザインの作風、濃厚な絵付けと高度な技術を見せるようになったとされます。その古九谷様式には大別して「五彩手」、「青手」、「祥瑞手」があります。

古九谷の中においてまず「青手」は明確に古九谷と分類されますが、混同されるのが古九谷(様式)色絵と称される作品群です。古九谷様式色絵(五彩)は緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して、絵付けされたスタイルです。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれます。器の中央に、作品のモチーフを絵画的・写実的に描くことも、色絵の特徴です。作品の見どころは、屏風や掛軸から器へ抜け出してきたかのような絵画を描いた、熟練された絵付けの筆づかいです。特に色絵の古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われ、大皿 (大平鉢) から小皿 (端皿) に至るまで、中国風の人物・動物・山水 (風景) を見事に描写した名品が数多く残されています。見込み全面に描かれた作品は通常は古九谷に分類されていいでしょう。

ただし全般的に絵付けの少ない小皿類は「伊万里 古九谷様式色絵」と称して分類している作品が多いようです。前述のように初期の伊万里には古九谷の紫、黄はなく、古九谷は、黒呉須の線描きの上に透明性の高い絵具をべた塗りしており、伊万里では、輪郭線の中に絵付け(友禅のように)、鍋島焼は染付を重視している。この点からは本来は本作品のような作品は古九谷色絵とすべきだろうと思いますが、遠慮がちに?「伊万里 古九谷様式色絵」と分類されているようです。おそらく伊万里である可能性を否定していない推測もあるのでしょう。

ま~、古伊万里、古九谷の論争はさておき、この初期の頃の色絵の小作品はその絵付の趣向が真骨頂なのでしょう。そもそも古九谷だからといってお値段が決まるものではなく、いくら時代が古くても色絵の趣向に面白味がなければ本末転倒となりますね。その点をよく理解していないと身を滅ぼしかねない・・・
本作品における鳥のユーモラスな描き方などは明らかに明末呉須赤絵と似ていますね。このようなユーモラスな絵付けは多々ありますが、近代作はどこか下手で稚拙な点が目につきます。古くていいものは自由奔放でのびのびしている絵付けになっています。

すでに多くの初期色絵の作品が揃いでない状態ですが、このように五客揃っている作品は少なくても貴重です。色絵の部分の釉薬の剥離が生じているのは、この頃にはまだ技術が未熟なためと推察されます。

作品は下記のような塗の箱に収納されていましたが、合わせた箱かもしれません。サイズがちょっと窮屈なようです。

収納箱が窮屈だとかということは箱を誂えていくうちに解ってくるものです。本来の箱は作品から基本的に5mm程度の余裕があるものです。あまりにも大きすぎたり、窮屈だったり、幅と奥行きのバランスが悪かったりする箱は作品にあり合わせの古い箱を誂えている可能性があります。

そのような場合は箱で作品を観ないで、作品だけを観ることが肝要とされているようです。

さて古九谷の大皿のような高嶺(高値)の花の作品は当方では望むべくもないのですが、まだ「(伊万里)古九谷様式色絵」と称される小作品の作品群は入手可能なようです。本日はそのような作品群に分類されている作品を入手しましたので紹介します。

伊万里? 古九谷様式色絵鴛鴦文丸型長方皿
江戸前期(17世紀中期) 塗箱
幅155*奥行122*高さ36

本来古九谷と伊万里は明確に区分されるべきものと思います。古九谷は原産地論争はあったもののその色彩の差から伊万里とは区分されています。というのは古九谷と伊万里、さらに鍋島焼との大きな違いは色彩にあり、古九谷の色絵の伝統技術が基本的には伊万里に伝わっていない点です。当時日本から輸出された“やきもの”の色の名前に、赤、青はありますが、古九谷の紫、黄はありません。

また、古九谷は、黒呉須の線描きの上に透明性の高い絵具をべた塗りしていますが、伊万里では、輪郭線の中に絵付け(友禅のように)され、また鍋島焼は染付を重視しています。こうした古九谷の様式上の特徴は、伊万里、鍋島焼につながるものではなく、「古九谷」「古九谷様式」を加賀の色絵技術、伝統という切り口から考えるのがごく自然であって少なくとも絵付は九谷でされたと考えられています。

古九谷様式とは17世紀中ごろ(1640年)に始まった色絵磁器の初期のものを古九谷様式と総称していますが、当時の中国景徳鎮らの製品(明末呉須赤絵、古染付、天啓赤絵、南京赤絵、五彩を含む)の影響を受けたほか、独特の大胆なデザインの作風、濃厚な絵付けと高度な技術を見せるようになったとされます。その古九谷様式には大別して「五彩手」、「青手」、「祥瑞手」があります。

古九谷の中においてまず「青手」は明確に古九谷と分類されますが、混同されるのが古九谷(様式)色絵と称される作品群です。古九谷様式色絵(五彩)は緑・黄・紫・紺青・赤の色絵の具を自在に活用して、絵付けされたスタイルです。5色の色絵の具をフル活用することから、「五彩手」とも呼ばれます。器の中央に、作品のモチーフを絵画的・写実的に描くことも、色絵の特徴です。作品の見どころは、屏風や掛軸から器へ抜け出してきたかのような絵画を描いた、熟練された絵付けの筆づかいです。特に色絵の古九谷は、中国の明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデルになっているとも言われ、大皿 (大平鉢) から小皿 (端皿) に至るまで、中国風の人物・動物・山水 (風景) を見事に描写した名品が数多く残されています。見込み全面に描かれた作品は通常は古九谷に分類されていいでしょう。

ただし全般的に絵付けの少ない小皿類は「伊万里 古九谷様式色絵」と称して分類している作品が多いようです。前述のように初期の伊万里には古九谷の紫、黄はなく、古九谷は、黒呉須の線描きの上に透明性の高い絵具をべた塗りしており、伊万里では、輪郭線の中に絵付け(友禅のように)、鍋島焼は染付を重視している。この点からは本来は本作品のような作品は古九谷色絵とすべきだろうと思いますが、遠慮がちに?「伊万里 古九谷様式色絵」と分類されているようです。おそらく伊万里である可能性を否定していない推測もあるのでしょう。

ま~、古伊万里、古九谷の論争はさておき、この初期の頃の色絵の小作品はその絵付の趣向が真骨頂なのでしょう。そもそも古九谷だからといってお値段が決まるものではなく、いくら時代が古くても色絵の趣向に面白味がなければ本末転倒となりますね。その点をよく理解していないと身を滅ぼしかねない・・・

本作品における鳥のユーモラスな描き方などは明らかに明末呉須赤絵と似ていますね。このようなユーモラスな絵付けは多々ありますが、近代作はどこか下手で稚拙な点が目につきます。古くていいものは自由奔放でのびのびしている絵付けになっています。

すでに多くの初期色絵の作品が揃いでない状態ですが、このように五客揃っている作品は少なくても貴重です。色絵の部分の釉薬の剥離が生じているのは、この頃にはまだ技術が未熟なためと推察されます。

作品は下記のような塗の箱に収納されていましたが、合わせた箱かもしれません。サイズがちょっと窮屈なようです。

収納箱が窮屈だとかということは箱を誂えていくうちに解ってくるものです。本来の箱は作品から基本的に5mm程度の余裕があるものです。あまりにも大きすぎたり、窮屈だったり、幅と奥行きのバランスが悪かったりする箱は作品にあり合わせの古い箱を誂えている可能性があります。

そのような場合は箱で作品を観ないで、作品だけを観ることが肝要とされているようです。