
義父が畑仕事で使用していた車庫の中を、義父が亡くなり畑も売却の予定ですので、書庫内に不要材はトラック4台分ほどを処分してようやく車庫が片付いてきました。休日ごとに炎天下での汗だくの作業ですが、水撒きをするといくらかは涼しい・・。そのうち最後には家族皆がやってきて全員で掃除となりました。ようやく愛車の軽ワゴンを入れられそう・・。

本日の作品の紹介です。
本ブログでは市川鉄琅の作品については、すでに3作品を紹介しているので、お馴染みの市川鉄琅の作品です。さらに他に師である加納鉄哉の記事でも紹介しています。本日の作品は市川鉄琅の伎楽面の作品ですが、市川鉄琅は本作品のように額や、またお盆に伎楽面を彫った作品が数多くあり、意外に目にしていることの多い市川鉄琅の伎楽面の作品群です。また最近になって「なんでも鑑定団」に出品された作品もあります。(下記記述参照)

東大寺寶物 伎楽面酔胡王 市川鉄琅作 その4
彩色 桐掛額 共箱 共板 共布
全体:縦396*横563*厚さ45 面:縦225*横145

伎楽面(ぎがくめん)は古代日本で演じられた仮面舞踊劇である伎楽に用いられた仮面のことです。世界最古に属する面としてその歴史的意義は大きいとされます。また近年、新伎楽に使用するため復興された伎楽面もあります。

伎楽には14種23面の仮面が用いられました。仮面の名称は登場順に、治道、師子、師子児、呉公、金剛、迦楼羅、呉女、崑崙、力士、婆羅門、太孤父、太孤児、酔胡王、酔胡従だそうです。このうち、師子児と太孤児がそれぞれ2面、酔胡従が8面で、計23面が舞台で用いられることになるようです。

伎楽面は日本への伝来元である中国や朝鮮半島には現存せず、日本にのみ残されています。そのうち飛鳥・奈良時代に遡る伎楽面の遺品は以下のところにまとまって所蔵されているそうです。
正倉院 171面(木造135、乾漆造36)
東大寺 30面(木造29、乾漆造1)と残欠7面分(木造4、乾漆造3)
東京国立博物館法隆寺宝物館 31面(木造28、乾漆造3)
本作品はそのなかで東大寺にある「酔胡王」の面を模したものと思われます。市川鉄琅は古いままの状態を模して作りますので、本作品においては彩色の損傷まで模したものでしょう。また下地となっている板も木目を生かしたものとなっています。

手元に詳しい資料がなく確証はありませんが、下記の作品が東大寺宝物?のひとつである「伎楽面酔胡王」と思われます。

市川鉄琅を知る人は少ないでしょうが、故東大寺長老の清水公照師をして、「天下の至宝」と言わしめ、 また職人肌の名工とも讃えられています。師・加納銕哉に徹底的な写生と彫技を学びましたが、その急逝の後に鉄筆に基盤を置き、さらに彫芸は奈良人形や嵯峨人形の影響でより古典的・華麗さを加えました。

銕琅の来歴ですが、調布尋常小学校を卒業して入門して後、東京市立下谷区第2実業補習夜学校を卒業しています。その後も努力を重ねての教養を磨きましたが、その基盤には師である加納銕哉より与えられた漢詩、書、茶などの素養があったと思われます。

25歳の時、初めて作品頒布会を開いて以来、その作品への後援者によって道は開けて行き、後「銕琅会」によるなど広い愛好者の支持を受けました。最初(25歳)の作品頒布会での工賃は慎ましく、師の5分の1から10分の1というものに決め、約20年間そのままでした。多くは注文品であったため、市場には作品は出回っていませんでしたが、愛好家には高く評価されていました。

現在は所蔵者の代替わりで、相続処分が多くその結果骨董市場に多数出回り始めましたが、衰えない人気のためか値崩れはしていあにそうです。銕琅は大展覧会には出品せず、もっぱら注文品のみでした。その愛好者の中には、皇族の名も連なっています。また国領時代の同級生や友人も持っていますが、その作品の行方は追えていないそうです。
本作品は共箱で共布もあり、誂も完全に遺っている作品としては貴重ででしょう。
箱書きにある「最勝精舎」については、以下に記述の由来があります。
師である(実際は市川鉄琅は加納銕哉の孫弟子と言われる)加納銕哉は、1921年(大正10)に奈良の高畑にアトリエである「最勝精舎」を建てて本拠地としましたが、この工房兼住居は2度の移転を止むなくし、加納銕哉没後は銕琅によって受け継がれました。ただ銕琅の死後はその保存は断念せざるを得なかったようです。

市川鉄琅は彫刻・絵画、特に独特の鉄筆の世界を築くとともに岡倉天心と古美術の調査をし、また東京美術大学(現・東京芸術大学)の準備教授としてその創設に加わりました。しかし発足前に、若い友人竹内久一にその職務を譲り、野に下ります。その後は伝統的・古典的表現を、置物から煎茶具など日常的な作品に情熱を注ぎました。なお彫刻で鉄筆を重んじたのは、自分らしさというアイデンティティだそうです。

銕琅晩年に代表作となる「寿老人」、「翁」、「福の神」などを彫っていることは注目に値します。銕琅は、1935年(昭和10)に紫斑病を患い、その上仕事で無理をしたため、耳が不自由になり外界との音を絶ってしまうこととなり、より一層彫刻に集中したということかもしれません。至難の中に彫られたものには、不思議な笑みがあります。銕琅の“自画像”とも云えられています。
上記に記されたこの時期に製作された「福の神」の作品は本ブログでも紹介されています。
木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作 その2
極彩色 共箱
幅148*奥行き132*高さ220

なお冒頭の述べた「なんでも鑑定団」への伎楽面の出品作品は下記の作品です。
市川銕琅の伎楽面
なんでも鑑定団出品作品 2013年4月9日放送

評価金額は200万円というものですが、なんでも鑑定団における評には「大変な珍品。おそらく昭和10年前後の作で、非常に緻密な作風が見える。元になった伎楽面の色が剥げたような所までそっくり再現しながら、さらに生命力をもたせている。作者は自らが気に入ったものを選び、音楽的なリズムをもって配置などを構成している。」とあります。
ついでに参考ながら、本ブログにて紹介されている他の市川鉄琅の作品は下記の2作品があります。
木彫極彩色 親王雛 市川鉄琅作 その3
応需作品 極彩色 台座付 共箱
男雛単体:幅115*奥行110*高さ110 女雛:幅115*奥行78*高さ110
台座:幅350*奥行き175*高さ6

下記の観音像も秀作です。極彩色の観音像(最近入手 近日投稿予定)もありますが、このような作品も魅力ですね。
楠木彫聖観音菩薩尊像 市川鉄琅作 その1
楠木 金彩色 共箱
幅136*高さ315

さらに師である加納鉄哉の作品に箱書きしている作品には下記のものがあります。なお加納鉄哉の共箱の多くは市川鉄琅が代筆していたという記録があります。
恵比寿大黒面・吉祥額 加納鉄哉作
恵比寿面:高さ175*幅132*厚さ65 大黒面:高さ140*幅128*厚み68
額:口径470~415*厚さ22 共板 市川鉄琅鑑定箱

この作品は彩色を当方で専門の人形店に依頼して補修しています。
ちなみに加納鉄哉の作品については本ブログには下記の作品も投稿されています。
田村将軍 木彫彩色像 加納鉄哉作 明治40年作 その2
底彫銘 共箱 補修必要
作品サイズ:高さ310*幅135*奥行155

この作品についても彩色について補修しているところですが、本日の作品は間違っても色彩を補修してはいけませんね

市川鉄琅の作品は今後もっと人気がでるように思っています。

長々と市川鉄琅について記述しましたが、少しでも市川鉄琅について知って頂ける方が触れると嬉しい限りです。
私のコレクションもトラック4台分とはないまでも、死んでしまったら処分されるのかな? 因果応報ということか?

本日の作品の紹介です。
本ブログでは市川鉄琅の作品については、すでに3作品を紹介しているので、お馴染みの市川鉄琅の作品です。さらに他に師である加納鉄哉の記事でも紹介しています。本日の作品は市川鉄琅の伎楽面の作品ですが、市川鉄琅は本作品のように額や、またお盆に伎楽面を彫った作品が数多くあり、意外に目にしていることの多い市川鉄琅の伎楽面の作品群です。また最近になって「なんでも鑑定団」に出品された作品もあります。(下記記述参照)

東大寺寶物 伎楽面酔胡王 市川鉄琅作 その4
彩色 桐掛額 共箱 共板 共布
全体:縦396*横563*厚さ45 面:縦225*横145

伎楽面(ぎがくめん)は古代日本で演じられた仮面舞踊劇である伎楽に用いられた仮面のことです。世界最古に属する面としてその歴史的意義は大きいとされます。また近年、新伎楽に使用するため復興された伎楽面もあります。

伎楽には14種23面の仮面が用いられました。仮面の名称は登場順に、治道、師子、師子児、呉公、金剛、迦楼羅、呉女、崑崙、力士、婆羅門、太孤父、太孤児、酔胡王、酔胡従だそうです。このうち、師子児と太孤児がそれぞれ2面、酔胡従が8面で、計23面が舞台で用いられることになるようです。

伎楽面は日本への伝来元である中国や朝鮮半島には現存せず、日本にのみ残されています。そのうち飛鳥・奈良時代に遡る伎楽面の遺品は以下のところにまとまって所蔵されているそうです。
正倉院 171面(木造135、乾漆造36)
東大寺 30面(木造29、乾漆造1)と残欠7面分(木造4、乾漆造3)
東京国立博物館法隆寺宝物館 31面(木造28、乾漆造3)
本作品はそのなかで東大寺にある「酔胡王」の面を模したものと思われます。市川鉄琅は古いままの状態を模して作りますので、本作品においては彩色の損傷まで模したものでしょう。また下地となっている板も木目を生かしたものとなっています。

手元に詳しい資料がなく確証はありませんが、下記の作品が東大寺宝物?のひとつである「伎楽面酔胡王」と思われます。

市川鉄琅を知る人は少ないでしょうが、故東大寺長老の清水公照師をして、「天下の至宝」と言わしめ、 また職人肌の名工とも讃えられています。師・加納銕哉に徹底的な写生と彫技を学びましたが、その急逝の後に鉄筆に基盤を置き、さらに彫芸は奈良人形や嵯峨人形の影響でより古典的・華麗さを加えました。

銕琅の来歴ですが、調布尋常小学校を卒業して入門して後、東京市立下谷区第2実業補習夜学校を卒業しています。その後も努力を重ねての教養を磨きましたが、その基盤には師である加納銕哉より与えられた漢詩、書、茶などの素養があったと思われます。

25歳の時、初めて作品頒布会を開いて以来、その作品への後援者によって道は開けて行き、後「銕琅会」によるなど広い愛好者の支持を受けました。最初(25歳)の作品頒布会での工賃は慎ましく、師の5分の1から10分の1というものに決め、約20年間そのままでした。多くは注文品であったため、市場には作品は出回っていませんでしたが、愛好家には高く評価されていました。


現在は所蔵者の代替わりで、相続処分が多くその結果骨董市場に多数出回り始めましたが、衰えない人気のためか値崩れはしていあにそうです。銕琅は大展覧会には出品せず、もっぱら注文品のみでした。その愛好者の中には、皇族の名も連なっています。また国領時代の同級生や友人も持っていますが、その作品の行方は追えていないそうです。
本作品は共箱で共布もあり、誂も完全に遺っている作品としては貴重ででしょう。
箱書きにある「最勝精舎」については、以下に記述の由来があります。
師である(実際は市川鉄琅は加納銕哉の孫弟子と言われる)加納銕哉は、1921年(大正10)に奈良の高畑にアトリエである「最勝精舎」を建てて本拠地としましたが、この工房兼住居は2度の移転を止むなくし、加納銕哉没後は銕琅によって受け継がれました。ただ銕琅の死後はその保存は断念せざるを得なかったようです。


市川鉄琅は彫刻・絵画、特に独特の鉄筆の世界を築くとともに岡倉天心と古美術の調査をし、また東京美術大学(現・東京芸術大学)の準備教授としてその創設に加わりました。しかし発足前に、若い友人竹内久一にその職務を譲り、野に下ります。その後は伝統的・古典的表現を、置物から煎茶具など日常的な作品に情熱を注ぎました。なお彫刻で鉄筆を重んじたのは、自分らしさというアイデンティティだそうです。

銕琅晩年に代表作となる「寿老人」、「翁」、「福の神」などを彫っていることは注目に値します。銕琅は、1935年(昭和10)に紫斑病を患い、その上仕事で無理をしたため、耳が不自由になり外界との音を絶ってしまうこととなり、より一層彫刻に集中したということかもしれません。至難の中に彫られたものには、不思議な笑みがあります。銕琅の“自画像”とも云えられています。
上記に記されたこの時期に製作された「福の神」の作品は本ブログでも紹介されています。
木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作 その2
極彩色 共箱
幅148*奥行き132*高さ220

なお冒頭の述べた「なんでも鑑定団」への伎楽面の出品作品は下記の作品です。
市川銕琅の伎楽面
なんでも鑑定団出品作品 2013年4月9日放送

評価金額は200万円というものですが、なんでも鑑定団における評には「大変な珍品。おそらく昭和10年前後の作で、非常に緻密な作風が見える。元になった伎楽面の色が剥げたような所までそっくり再現しながら、さらに生命力をもたせている。作者は自らが気に入ったものを選び、音楽的なリズムをもって配置などを構成している。」とあります。
ついでに参考ながら、本ブログにて紹介されている他の市川鉄琅の作品は下記の2作品があります。
木彫極彩色 親王雛 市川鉄琅作 その3
応需作品 極彩色 台座付 共箱
男雛単体:幅115*奥行110*高さ110 女雛:幅115*奥行78*高さ110
台座:幅350*奥行き175*高さ6

下記の観音像も秀作です。極彩色の観音像(最近入手 近日投稿予定)もありますが、このような作品も魅力ですね。
楠木彫聖観音菩薩尊像 市川鉄琅作 その1
楠木 金彩色 共箱
幅136*高さ315

さらに師である加納鉄哉の作品に箱書きしている作品には下記のものがあります。なお加納鉄哉の共箱の多くは市川鉄琅が代筆していたという記録があります。
恵比寿大黒面・吉祥額 加納鉄哉作
恵比寿面:高さ175*幅132*厚さ65 大黒面:高さ140*幅128*厚み68
額:口径470~415*厚さ22 共板 市川鉄琅鑑定箱

この作品は彩色を当方で専門の人形店に依頼して補修しています。
ちなみに加納鉄哉の作品については本ブログには下記の作品も投稿されています。
田村将軍 木彫彩色像 加納鉄哉作 明治40年作 その2
底彫銘 共箱 補修必要
作品サイズ:高さ310*幅135*奥行155

この作品についても彩色について補修しているところですが、本日の作品は間違っても色彩を補修してはいけませんね


市川鉄琅の作品は今後もっと人気がでるように思っています。

長々と市川鉄琅について記述しましたが、少しでも市川鉄琅について知って頂ける方が触れると嬉しい限りです。
私のコレクションもトラック4台分とはないまでも、死んでしまったら処分されるのかな? 因果応報ということか?