小倉駅前にある祇園太鼓の像
旦過駅の近くにある 「 無法松之碑 」
小倉競馬場でも 「 無法松 」がおる?
天草に行くと、やたらに天草四郎の銅像を見かけるが、
小倉では祇園太鼓や無法松といった像やロゴを見かける。
それだけ地域に根付いたヒーローであり、シンボルである。
「 無法松の一生 」 は、福岡県小倉 ( 現在の北九州市 ) を舞台に、
荒くれ者で評判だった人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、
よき友人となった矢先、急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族
(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描いた作品である。
か弱い吉岡母子の将来を思い、(身分差による己の分を弁えながらも)
無私の献身を行う無法松と、
幼少時は無法松を慕うも長じて
(自身と松五郎の社会的関係を外部の視点で認識するようになったことで)
齟齬が生じ無法松と距離を置いてしまう敏雄、
それでも無法松を見守り感謝の意を表し続けてきた良子との交流と
運命的別離・悲しい大団円などが描かれている。
当初『富島松五郎伝~いい奴』の題で「九州文学」1939年10月号、
「オール讀物」1940年6月号に掲載され、
第10回直木賞候補作(本賞受賞できず)となったが、
後年の映画があまりの人気となったため、後に映画にならい改題した。
尚、 『 無法松の一生 』 というタイトルは、
最初の映画化の際に脚色を担当した映画監督でもあった伊丹が考え出した物であり、
岩下は終生このタイトルを嫌っていた。