沖縄の各地に日本本土から沖縄戦に参加し、
戦火に倒れ犠牲になった人たちの慰霊塔がある。
多くの慰霊塔は糸満市摩文仁の丘に集中しているが、
京都の塔は宜野湾市の 「 嘉数高台公園 」 にある。
京都の塔の碑文にはこう書かれてある。
昭和二十年春、沖縄島の戦いに際して
京都府下出身の将兵二千五百三十有余の人びとが
遠く郷土に想いをはせ、ひたすら祖国の興隆を念じつつ
ついに砲煙弾雨の中に倒れた。
また多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない。
とくにこの高台付近は主戦場の一部として、
その戦闘は最も激烈をきわめた。
星霜十九年を経て、今この悲しみの地に
それらの人びとの御冥福を祈るために
京都府民によって 「 京都の塔 」 が建立されるにいたった。
再び戦争の悲しみが繰り返されることのないよう、
また併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますます高められるよう、
この塔に切なる願いを寄せるものである。
昭和三十九年四月二十九日
第二次世界大戦が終了した当時、
この付近一帯は戦火のため樹木も無く焦土と化し、
トーチカの残骸のみが寂しくあったそうです。
私達の先輩が昭和三十九年、石垣を築いて慰霊塔 「 沖縄京都の塔 」 が
建立されたのであります。
それから三十余年の間、樹木も繁り、付近一帯も公園として美しくなりました。
しかし乍ら、風雨と植生のため、石垣の崩落と基壇の崩壊が危惧されてまいりました。
平成九年、私たちはその修復工事にとりかかり、
浄財の募金を始めましたところ、多くの方々のご協力を賜り、
平成九年十二月に修復工事は完了しました。
これからも、この慰霊塔が私たちの平和への願いをかなえる礎となりますことを、
また此処沖縄との絆の証ともなりますことを祈り、且つ誓うものであります。
平成十年二月九日
社団法人 沖縄京都の塔奉賛会
京都の塔の近くにある 「 島根の兵奮戦之地 」 の碑
はるばる遠く離れた京都や島根から来て、
ここで戦ったのであろう。