「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 どこへ行くの・・・ 」

2012-08-15 22:22:29 | 馬の詩 ・ それぞれ...

「 どこへ行くの・・・ 」



私の痛みは
どこへ行くの

壕 ( ガマ ) の中で蛆に食われて
痛みに耐えて
我が沖縄に捧げた命は
どこへ行くの

壕 ( ガマ ) の中の苦しみは
どこへ行くの

大和の国に捧げた命は
どこへ行くの

真っ暗な壕 ( ガマ ) の中で
私たちにしか分からない苦しみは
どこへ行くの・・・





沖縄県立第一高女 ・ 沖縄師範女子部
生徒 ・ 職員による部隊 ( ひめゆり部隊 )

沖縄県宜野湾市  「 嘉数高台公園 」

2012-08-15 22:00:56 | 沖縄



嘉数の塔








地球儀を模った嘉数の展望台















日本兵が入って戦ったトーチカ








細長く開けられた銃口を出した穴








人間がやっと一人入れるくらいの穴が開いたトーチカの裏側






  嘉数高台戦跡概要 ( 現地・碑文より )


 嘉数高地は、第二次大戦中に作戦名称(第七〇高地)と命名され、
藤岡中将の率いる第六十二師団独立混成旅団、
第十三大隊 原大佐の陣頭指揮で約千人の将兵と約千人の防衛隊で編成された精鋭部と、
作戦上自然の要塞の上に堅固な陣地構築がなされたため、
16日間も一進一退の死闘が展開されたが、
遂に日本軍は矢尽き刃折れ後退してしまった。
しかし米軍にとっては、 「 死の罠 」 「 いまわし丘 」 だと恐れられた。
それほど両軍ともに多くの尊い人命を失った激戦地である。

 この嘉数高地七〇高地は、旧日露戦争の二〇三高地に値する
第二次大戦の歴史の上に永代に残る戦跡である。



ここに来るたびに、 「 どんな気持ちで戦ったのだろう 」 って思う。
最後の一発が無くなるまで、
玉が無くなってもその命が尽きるまで、
国を守るために戦ったのだろう。

遠い内地を想い、内地にいる親や妻や子を想い・・・



京都の塔 と 島根の兵奮戦之地 ( 嘉数高台公園 )

2012-08-15 21:40:26 | 沖縄






沖縄の各地に日本本土から沖縄戦に参加し、
戦火に倒れ犠牲になった人たちの慰霊塔がある。
多くの慰霊塔は糸満市摩文仁の丘に集中しているが、
京都の塔は宜野湾市の 「 嘉数高台公園 」 にある。



京都の塔の碑文にはこう書かれてある。

昭和二十年春、沖縄島の戦いに際して
京都府下出身の将兵二千五百三十有余の人びとが
遠く郷土に想いをはせ、ひたすら祖国の興隆を念じつつ
ついに砲煙弾雨の中に倒れた。
また多くの沖縄住民も運命を倶にされたことは誠に哀惜に絶へない。
とくにこの高台付近は主戦場の一部として、
その戦闘は最も激烈をきわめた。

 星霜十九年を経て、今この悲しみの地に
それらの人びとの御冥福を祈るために
京都府民によって 「 京都の塔 」 が建立されるにいたった。
再び戦争の悲しみが繰り返されることのないよう、
また併せて沖縄と京都とを結ぶ文化と友好の絆がますます高められるよう、
この塔に切なる願いを寄せるものである。

 昭和三十九年四月二十九日




 第二次世界大戦が終了した当時、
この付近一帯は戦火のため樹木も無く焦土と化し、
トーチカの残骸のみが寂しくあったそうです。
 私達の先輩が昭和三十九年、石垣を築いて慰霊塔 「 沖縄京都の塔 」 が
建立されたのであります。
それから三十余年の間、樹木も繁り、付近一帯も公園として美しくなりました。
しかし乍ら、風雨と植生のため、石垣の崩落と基壇の崩壊が危惧されてまいりました。
 平成九年、私たちはその修復工事にとりかかり、
浄財の募金を始めましたところ、多くの方々のご協力を賜り、
平成九年十二月に修復工事は完了しました。
 これからも、この慰霊塔が私たちの平和への願いをかなえる礎となりますことを、
また此処沖縄との絆の証ともなりますことを祈り、且つ誓うものであります。

 平成十年二月九日

                社団法人 沖縄京都の塔奉賛会





京都の塔の近くにある 「 島根の兵奮戦之地 」 の碑





はるばる遠く離れた京都や島根から来て、
ここで戦ったのであろう。




沖縄県宜野湾市  「 青丘之塔 ( 嘉数高台公園 ) 」

2012-08-15 21:24:26 | 沖縄







今日で太平洋戦争が終わって67年になる。
軍人・沖縄県民を含めた20万人が犠牲になった沖縄戦。
その中に日本人だけではなく、多くの朝鮮民族も含まれていた。

これは嘉数の高地に立つ、沖縄戦において戦火に倒れ、犠牲になった
韓国人・朝鮮人を祀った塔である。
青丘とは韓半島・朝鮮半島のことで、
昔中国では 半島を中国側から見た様子からそう呼んだ。