「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

熊本県氷川町 ・  好きな 「 氷川の景色 」

2012-08-18 17:13:51 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



氷川の上を通る 「 九州自動車道 ( 松橋~八代 )」





八代郡氷川町(旧・宮原町)から氷川に沿って国道443号線を上流に行くと
ダラダラとした上り坂が氷川ダムの上の峠まで続く。
その坂を上りきると今度は下り坂が国道218号線の旧・中央町の佐俣まで続く。
途中、払川から三千段の階段がある釈迦院に入る道がある。

この界隈は競輪選手時代に、数え切れないくらい走った道である。
その景色のなかでも、写真の景色は特に好きな景色である。





沖縄県浦添市  「 皇 ( こう ) グスク 」

2012-08-18 16:45:05 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



アパートが建ち、グスクの遺構も昔日の面影も何も残っていない









皇グスクの近くにある 「 第一尚氏 第五代 尚 金福王遥拝所 」





親富祖グスクと順番が逆になったが、
皇グスクを紹介したいと思う。

皇グスクは、写真のように遺構や昔日の面影といったものを全く残しておらず、
造成によって破壊されてしまっていた。
このグスクには、王の側女 ( 妾 ) が住んでいたとされる。
そして側女は、ここで王の子を産んだと言われている。


以前も紹介したが、皇グスクの近くに第一尚氏・第五代 尚 金福王遥拝所がある。
これは内地でよく見かける墓のようであるが、
墓ではなくて、首里の尚 金福王を拝む遥拝所である。
これはあくまでも憶測であるが、おそらく王の側室が
ここから遠く離れた首里の金福王を慕って拝んでいたのだろう。

現在は、拝所としての機能をはたしていないのか?
人が中に入った気配も無く、ウコール ( 線香 ) の跡もなかった。

尚 金福は第一尚氏・尚 巴志 ( しょうはし ) の子、尚 忠王の弟にあたる王で、
在位は1449~1453年と、わずか4年の短い期間であった。

この皇グスクを教えてもらったのは、70歳くらいのとてもきれいなおばあちゃんであった。
そのおばあちゃんから親富祖グスクへも連れて行ってもらった。


皇グスクへのアクセス
皇グスクへは、国道58号線を浦添市のキャンプキンザーの反対側の屋富祖信号を右折し、
左へ入る二つ目の道を500mほど行った所にある。
城間地区の同仁病院の裏辺りになる。
駐車は、アパートの入り口の空いた場所に駐車した。




鹿児島県沖永良部島 「 伊延港導灯 ( 後灯 ) 」

2012-08-18 16:35:18 | 奄美群島の灯台
































前灯の左後ろに小さく見えるのが後灯





所在地 / 鹿児島県大島郡和泊町伊延 ( 伊延港 )
頭標  / 白色三角形頭標付き
塗色  / 白色
構造  / 塔形   構造材質 / コンクリート造
灯質  / 不動黄光
光度  / 830カンデラ   光達距離 / 8.5海里
頂部までの高さ / 13.0m
平均水面から灯火までの高さ / 29.00m
現用灯器 / LC管制器( 蛍 )   電球 / 低圧ナトリウムNX-35
設置、点灯および業務開始年月日 / H.6.3.19



伊延港導灯 ( 後灯 ) へのアクセス
伊延港導灯 ( 後灯 ) へは、( 前灯 ) の後方210mに位置している関係から、
伊延港導灯 ( 前灯 ) を参考にして頂きたい。
駐車は、導灯横の広くなった場所に駐車した。



逝く人と送る人

2012-08-18 15:55:52 | 日記 ・ イベント







昨日、病院の帰りに果樹園の直売所を覗いたらイチジクが出ていた。
イチジクが出ていたら東京の友だちに送ってやろうと思っていたが、
送り状の住所の記憶が曖昧だったので、
今朝、朝イチの獲れたてを送ることにした。

いつも贔屓で立ち寄る直売所のオバちゃんは、
帰りに 「 これ、食べり! 」 って言って、
口の開いたイチジクを2つ3つ持たせてくれる。
そんなイチジクの写真を撮ろうと思っていたのに・・・
「あっ!」と気がついた時は、ひとつは口の中。
「 あ~やったばい! 」 って思ったが、ひとつでも写真に撮ることにした。
それが ↑ の写真である。


話は変わるが、15日に裏のおじいさんの葬式に行き、
そして今日は2月まで一緒の現場で働いていたおいちゃんの葬式に行って来た。
裏のおじいさんは、寝たきりだと聞いていたが、
ここ2、3年姿を見たことがなかったので、どうしているのだろうと思っていた。
現場で一緒に働いていた同僚のおいちゃんは、
去年の暮れくらいからやけにキツがっていたので、
「 おいちゃん、どっか悪いんやないんね? 」 って言っていたら、
「 糖尿で入院せないかんけ、しばらく仕事に出れんぞ! 」 と言っていたが、
それから現場に出て来ることなく、逝ってしまった。
進行していたといっても、実にあっけないものである。

今日、息子さんの挨拶で知ったが、
なんでも検査した時は、リンパ癌で余命半年だったらしい。

明後日は友だちのお父さんの葬式があるが、
月曜は仕事があるので、明日のお通夜に行こうと思っているが、
こんなに立て続けに不幸が続くのは初めてである。


夕べ、NHKの特集で、納棺師の方が震災に遭われた遺体を修復し、
笑顔として描いた水彩画が紹介されていた。
その番組をみて思ったことは、
祭壇の前で逝く人を思うとき、
そこにはいつも笑顔があるということだ。