「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

鹿児島県奄美大島宇検村  「 田検中学校バレーボール部 」

2012-08-27 21:50:02 | スポーツ



宇検村立・田検中学校








中学校の近くにある宇検村役場







宇検村の中心部にあるお碗のような 「 湯湾グスク 」







宇検村 「 湯湾地区 ・( とぅぐらの宇検食堂 )」




夕べ、NHKの 「 サンデースポーツ 」 の中で紹介された田検中学校の男子バレーボール部。
去年は、全日本中学校バレーボール大会で準優勝し、
今年は全国ベスト16へと勝ち進んだチームである。
そんな田検中学校は、全校生徒男女合わせて38人という。
その少数の中でバレーボールをやって、
しかも全国大会に出場するまでには並大抵な努力ではなかったと思う。
保育園から中学3年まで同じコートを立ち続けた幼なじみの活躍を見た瞬間、
かつて、爽やかイレブンで甲子園を沸かせた徳島県の池田高校を思い出した。
そして、その頑張りは地方競馬から中央に上がり活躍したハイセイコーや、
オグリキャップと重なり合った。
地方から出て来た者が中央で活躍するのは、僕ら田舎者に勇気を与え、励みになる。
大袈裟かもしれんけど、 「 明日の糧になった 」 。
そんな気持ちである。


奄美大島の南部に位置する瀬戸内町の古仁屋から久慈に向って、
さらにそこから西古見に向かい、曽津高崎まで行った。
その帰りに宇検村の名柄から湯湾に出て、
雨で濡れたシャツを着替えた場所が田検中学校であった。

宇検村は、奄美大島の南部に位置する素朴な寒村である。
その限られた村人だけで作られたバレーボールチームの活躍は素晴らしいものだった。
彼らの礼儀正しい頑張りは、宇検村を知っているだけに “ たまらん ” やった。
試合が終わって最後の挨拶で、監督が感極まって言葉に詰まった時、
同じ場所で同じ時間を共有しているようで、
感動で熱いものが込み上げて来て、涙が止まらなかった。

そんな田検中学校をこれからも気に止めて応援し続けようと思う。
頑張れ!宇検村立 田検中学校!



沖縄県八重瀬町  「 多々名 ( たたな ) グスク 」

2012-08-27 21:26:56 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡














































多々名グスクの遠望








多々名グスクに隣接する 「 サザンリンクス・ゴルフクラブ 」








このゴルフ場の手前のムイ ( 森 ) に多々名グスクがある。






多々名グスクは、玻名城集落の丘陵上に広がる広大な敷地に築かれたグスクである。
城郭は戦争でかなりの攻撃を受けたにもかかわらず、
意外にも保存よく残っており、昔日のグスクを偲ぶことが出来る。
石垣は野面積みで、城は三つの郭と御内原(女官の居所)の跡が確認できる。
主郭は、グスクの中央部にあり、2mほどの石垣に囲まれており、
主郭の北側に御内原があり、三の郭はグスク正面の外郭にあたる。


多田名大主は欲望に目がくらみ、上原按司とその居城を火攻めにして、
上原按司を打ち滅ぼしたが、按司夫人とその子の千代松と松金を取り逃がしてしまう。
落ち延びた千代松は、弟や母と離れ放れになるものの、
按司の臣下の屋嘉や屋比久らとめぐり合い、
屋比久の計らいで千代松と屋嘉は多田名大主に降り、仇討ちの機会を窺う。
多田名大主は、降参してきた千代松を不憫に思い、命を助けてやる。
遊び好きの多田名大主は、毎日遊んで暮らしていた。
そんなある日、津堅島に遊びに出かけた隙に、
千代松は遊びから帰って来たところを狙い、父の仇を討って恨みをはらした。



多々名グスクへのアクセス
多々名グスクへは、国道331号線を平和記念公園を過ぎて具志頭方面に進み、
具志頭交差点を具志頭城跡方向に進み、体育館に向って行くとその裏になる。
駐車は、体育館の裏の道路に邪魔にならないように駐車できる。




妖艶な・・・モンローブロンド

2012-08-27 20:16:11 | 競馬・ボート



佐世保ステークスを1着で武豊を背に帰って来たモンローブロンド







1着でゴールしたモンローブロンド






ウイナーズサークルでの表彰式へ向う武 豊




ビキニブロンド
父 キングカメハメハ
母 モンローブロンド
この血統を見ただけで、スピードとパワーの馬だと解る。

そんなビキニブロンドが
昨日、小倉競馬の10レースに出走していた。
昇級戦になるが勝機は十分あると思っていたが、最後方からのレースでは厳しく、
おまけに鞍上が馬群を捌けず、不完全燃焼の3着に終わった。
それでも 「 スンナリ行ければ 」 次回は勝機十分の脚色だった。

ビキニブロンドの母は、大好きだったモンローブロンドである。
モンローブロンドは、小倉でも快速振りを発揮した快速牝馬である。
青毛が妖しく光り、その姿は妖艶であった。
まさしく、その名の如くモンローであった。




  「私を買って・・・」   モンローブロンド


  妖艶な馬体から
  青い影が糸を引く

  寂しいから 私を抱いて
  寂しいから 私を買って
  人気のない この私を

  何番人気でもいいから
  私を買ってよ
  人気薄の この私を




第65回 桜花賞に寄せて




この詩は、第65回桜花賞のときに出来た詩である。
この馬の妖しさが好きで、桜花賞に出てくれただけでも嬉しかった思い出がある。
「 千六ならなんとか 」 という期待が多かった。
レースでは期待通りハナを切り、馬群の先頭で風を切ったが、
ラインクラフト、シーザリオの10着と馬群に沈んだ。
それでもモンローブロンドが好きで、
引退レースの北九州記念まで競馬場に足を運んだものである。


今後、松永幹夫厩舎からデビューすると思われる、
ビキニブロンドの妹、カーヴィシャスがいる。
カーヴィシャスという意味は、
マリリン・モンローから想像される ” 脚線美 ” という名をつけた馬で、
生まれが2月9日と、ボクと同じ生月日である。

2フ9ク=福で、頑張ってもらいたいものである。