「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

熊本県鏡町 「 鑑内橋 ( かんないばし ) 」

2012-08-31 16:17:53 | 熊本の石橋




































橋のたもとにある 「 御高札場跡 」











所在地 / 熊本県八代市鏡町内田
架橋  /  文政13年 ( 1830年 )
石工  /  岩永三五郎
橋長  /  7.2m  橋幅 / 2.8m
径間  /  5.5m  拱矢 / 1.8m
単一アーチ


鑑内橋は、文政13年(1830年)ごろ、
種山 ( 現在の八代市東陽町 ) の名石工・岩永三五郎によって架けられた橋である。
現在、八代市鏡町に残っている唯一の眼鏡橋である。

鏡の( 鑑 ) と内田村とを結ぶことから 「 鑑内橋 」 と呼ばれ、
江戸時代には八代~松橋間を結ぶ下往還の要所であった。

明治10年の 「 西南の役 」 では、日奈久南の洲口に上陸して北上する
官軍の斥候 ( 敵の様子を探る兵士 ) と、
熊本城攻めの薩軍から派遣され南下する斥候が初めて出会った場所で、
薩軍はその時の情報によって氷川の線に陣地をかまえ両軍が戦いを交えたという。
歴史上でも重要な役割を果たすこの橋も老朽化にともない平成6年に修復された。

また、この橋の袂には、庶民に法令を徹底させるために法度や掟書(おきてがき)を書いた立札や
犯罪人の罪状をかかげた御高札場があった。
ちなみに宮原、坂本などは二枚立てであったが、ここは八代町徳淵とともに十一枚立てであった。



氷川町宮原の 「 みやべ食堂 」 から有佐駅に行き、
みやべ食堂を教えてくれたタクシーの運ちゃんに、
「 おっさん旨かったバイた! 」 とお礼を言うと、
「 そ~な、そぎゃん旨かったなら良かったタイ! 」 と笑いながら言った。

それから鑑内橋へ行ったが、
ここは新人の頃、不知火干拓で練習をするのによく通った場所である。
そして、その不知火干拓の存在を教えてくれたのが、
競輪選手の先輩で、鏡町に住んでいた河島さんだった。
河島さんには、本当に良くしてもらった。

河島さんが引退して2、3年経ったころ、空港道路で逢ったことがある。
ボクは弟子と一緒に街道練習をしていた時だったが、
トラックから 「 お~い、お~い 」 と叫ぶ人がいるので、
誰かと思って見ると河島さんだった。
弟子達には 「 先に行っとけ! 」 と言ってスピードを緩め、クリップバンドを外した。
わざわざ、トラックから下りて来た河島さんは日に焼けてスマートになっていた。

河島さんは、「 どぎゃんしよっと?頑張りよんね? 」 っていつもの笑顔で言った。
ボクが、「 なんかスマートになったですね 」 というと、
「 仕事んきつかけんね、競輪選手がよか~ 」 としみじみ言った。
そして、 「 こぎゃんして知ったモンに逢うと嬉しか~ 」 と、白い歯を見せて笑った。
あれから河島さんとは一度も逢っていないが、
ボクが新人だった頃によく行っていた河島さんの家の前に行ってみたが、
表札が代わっていた。
そして近所の魚屋さんに訊いてみたところ、
「 あたは ( 貴方は ) 、河島さんば知っとんな。
河島さんは、だいぶ前に熊本さん行きなはったばい! 」って言われて、気落ちした。

この鏡町に福田外科があって、そこにも腰痛の治療で通った。
その福田外科を教えてくれたのも河島さんだった。
今度、いつこの鏡町に来るか分からないが、
その時も、河島さんが住んでいた家の近くを歩いてみようと思っている。


大分の 「 カボス 」

2012-08-31 15:31:50 | グルメ



これからの季節、鍋やサンマに出番を待つ 「 かぼす 」。

かぼすを搾って、競輪ファンのように 「 また来いよ~ 」 と声に出して言ってみる。
1着でゴールして敢闘門に入るまで、場内からヤンヤヤンヤの歓声のなかに、
Kさんの声があった。












昨日の午前中で仕事が終った。
そして来月上旬に下水工事に取り掛かる予定だが、
家屋調査が終り、公共枡の位置が決まらないとゴーサインが出ないので、
それまでダラダラと暇を持て余していようと思う。
だけどいつものように暇だけど、ナンヤカンヤと雑用が多くて、
仕事に行っている時よりも忙しく感じる。

先日 「 つるかめ助産院 」 を見ていたら沖縄に行きたくなったし、
石橋の編集をしていたら、 「 あの石橋も、この石橋も 」 と探訪への気持ちが高まって来た。
まぁ、これがあるから仕事を頑張るのだが、
次の探訪までの資料収集や行程などを考えて、
頭の中で探訪している時も結構楽しいものである。

本末転倒になったが、「カボス」の話やった。
こうして2箱・3箱ドカンと毎年送られてくるカボスは、
競輪選手時代に出版した 「 馬の詩 」 が縁でお付き合いをさせてもらっているKさんからで、
Kさんは競馬も好きだが、競輪も好きな市役所に勤務する課長さんであった。
最近退職されたが、ボクが別府競輪を走る時には、よく応援に来てくれていた。
ボクの3着、3着、3着の成績に、 「 まるでナイスネイチャですね 」 と談笑し、
ヘロヘロになるまで飲んで、Kさんの家に泊まったこともあった。
そんなKさんとは、20年来の付き合いである。

こうして季節の物を “ やったりとったり ” しているが、
これが 「 元気でやっている 」 というお互いの挨拶なのかもしれない。