
太宰府天満宮の裏にある 「 お石茶屋 」


店の外でもお茶が愉しめる
太宰府天満宮の本殿の裏に 「 お石茶屋 」 という店があると聞いて行ってみたが、
本殿の裏には菅公歴史観や絵馬を飾る場所はあるものの、
話しに聞いたようなお茶屋があるような雰囲気ではなかったので、
ひょっとして遊園地側かも?と、引き戻って探したが、それらしき茶屋は見当たらなかった。
それで元に戻って出店の人に訊いてみたら、どうやら最初の方向でいいらしく、
「 菅公の歴史館の裏をずーっと行くとわかる 」 というコトバ通りに進むと、
北神苑という場所に出た。
そこからさらに天開稲荷社への道を行くと、
一番奥にお目当ての “ お石茶屋 ” があった。
お石茶屋の名は、明治32年 ( 1899年 ) 生まれの女主人、江崎イシに由来したものだった。
「 おイシしゃん 」 は、筑前三美人のひとりと言われるほどの美女で、
品のよい顔立ち、大柄でゆったりとした風情と、柔らかな中にも毅然とした気骨を兼ね備えており、
花に例えると牡丹のような女 ( ひと ) だったという。
おイシしゃんの美貌と気風のよさは中央まで聞こえ、多くの人々が一目みようと店に立ち寄った。
中には、皇族の高松宮殿下、詩人の野口雨情、歌人の吉井 勇、政治家の犬飼 毅、緒方竹虎、
外交官の松岡洋右、 “ 電力の鬼 ” と呼ばれた松永安左エ門。
そして佐藤栄作首相も国鉄二日駅駅長時代から大臣になっても度々足を運んだという。
そんな多くの男性を魅了し続けた 「 おイシしゃん 」 だったが、
昭和51年 ( 1976年 ) 5月14日に76歳で独身の生涯を閉じた。
これは余談であるが、さだまさしさんの 「 飛 梅 」 という曲にお石茶屋が出てくる。

隧道の入り口

小高い丘の下に掘られたトンネル

隧道の出口

昭和三年十一月 寄贈 麻生太吉と彫られている

煉瓦造りの風情のあるトンネル
お石茶屋の裏手にある煉瓦造りのトンネルは、昭和3年11月に開通したもので、
その当時、新聞に大きく取り上げられて 「 おイシしゃん 」 は全国的に有名になったという。
このトンネルを造ったのは、筑豊の炭坑主・麻生太吉で、
おイシしゃんが遠回りせずに自宅から直接店に通えるようにトンネルを掘ってあげたという。
財力もさることながら、男をその気にさせるほど魅力的な女性だったということであろう。
それで皆は、このトンネルのことを 「 おイシしゃんトンネル 」 と呼んでいた。
どっちが真相かは解らないが、
もうひとつは、竈門神社参拝や宝満山登山の人のために造ったという説があるが、
どっちにしてもおイシしゃんはズバ抜けて美しかったのであろう。
九州でもあれほど美しい女はあるまいということだった。
私たちはそこで休むことにした。
そこにお石という女がその色白の太ったニコニコした顔を現した。
大勢の客に朝夕接していながらやっぱりどこかきまりが悪がる女だったが、
評判に違わぬ美しさをもっていた。
(田山花袋・紀行文より)

お石茶屋の 「 梅ヶ枝餅 」 はオイシイ

お石茶屋の「梅が枝餅」の箱に吉井 勇の歌が書かれている。
大宰府の
お石茶屋に
餅くへば
旅の愁ひも
いつか忘れむ
吉井 勇歌集 「 旅 塵 」 より
個人的な味覚の違いがあるが、
今までいろんな店の梅が枝餅を食べたけれど、
お石茶屋の梅が枝餅が一番だと思う。