「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県宮古島市   「 四島の主墓 ( ゆすまぬすばか ) 」

2013-03-11 05:00:53 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



四島の主墓 ( ゆすまぬすばか )












墓の構造は、ツガ墓に似ており、周囲には石積みの外郭が二重にめぐらされ、
南南西に向いて一枚岩を乗せたアーチ門が築かれている。
また墓室は一室で、墓口が二ヶ所に設けられている。
墓は近年まで四島の主の子孫により代々、使用されてきたと伝えられている。

看板には、「 四島の主とは、狩俣、島尻、大神、池間四邑(むら)の支配者の俗称で、
雍正旧記には、昔狩又四島の親童名百佐盛と申す人は、
狩俣、島尻、大神、池間合わせて四ヶ村壱人にてかけ候に付き、
四島の親と為申由候 」 と記されている。

「 四島の主 」 、または 「 四島の親 」 といわれた人物は、
狩俣生まれのユマサイなのかどうか?定かではないが、
童名は百佐盛 ( ももさもり ) というらしい。

「 狩俣ニーリー 」 にユマサイが謡われ、
「 四島の主アーグ 」 に狩俣の四島の主が謡われている。
両方とも船を造り、八重山を航海したことが謡われているが、
同一人物なのかハッキリとしない。

四島の主は、島尻と狩俣の間の入江に渡地橋を架け、
農道を改修し、その道々に石積みの休憩所を設けた。
さらに飲料水の井戸を開削したという。
彼は農民の利便を図り農耕を奨励したので、
住民はその仁徳をしのび、墓参りを絶やさなかったという。
その子孫は、狩俣の白川氏与那覇家といわれている。




大分県院内の石橋 3 「 広瀬井路藤ヶ谷水路橋 ( 北山水路橋 ) 」

2013-03-11 04:58:33 | 大分の石橋



上流側から見た石橋







下流側から見た石橋






大きな岩がゴロゴロした上流側






素朴な石でアーチが組まれている






さまざまな石が壁石に使われている






山の岩盤との間に壁石が築かれている






橋脚部には大きな自然の栗石が敷かれている






下流側から上流側を覗く






石橋への入り口は谷になっていて石橋を見つけ難い




所在地 /  大分県宇佐市院内町 拝田新洞 ・ 藤ヶ谷川 
架橋  /  慶応2年7月と推定
石工  /  児島 佐左ヱ門と良助
長さ   /  11.0m    幅   /  3.0m
拱矢  /  不明       径間  /  6.7m
環厚  /  45㎝   
単一アーチ



1回目の探訪で探し出せず、2回目でやっとたどり着いた石橋で、
探し出すのに苦労した橋である。
広瀬井路藤ヶ谷水路橋は、駅館川右岸の宇佐市と旧・院内町との境界の谷川に架設されている。
右岸側の壁石は大きな自然石が使われており、崖の中腹を貫いた水路の掛樋で、
架設工事も難渋したものと思われる。
石工は児島 佐左ヱ門と良助が架設したものと思われる。


広瀬井路藤ヶ谷水路橋へのアクセス
国道387号線を院内インター手前の松木橋付近から川へ下りて行って、
対岸を左側に進み、対岸の集落の突き当たりに車を止めて、
そこから300mほど上流に歩いて行った左側にある。
駐車は、道路の行き止まり付近の広くなった場所に駐車した。


熊本県苓北町  「 富岡城からの眺望 」

2013-03-11 04:56:20 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



天草・富岡城からの眺望 ( 袋池や富岡湾が見える )








富岡湾に釣り針のように出た曲崎











突然だが、山の上から見る景色が好きだ。

富岡城から天草下島を望むと、眼下に曲崎が見え、
まるで天然の防波堤のように富岡港を覆っている。
その向うには、富岡、志岐、白木尾、内田などの集落の町並みが見える。