「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県吉富町  ・   近代土木遺産 「 佐井川橋 」

2013-03-14 07:06:02 | 近代化産業遺産・土木遺産



近代土木遺産 「 佐井川橋 」



























架橋年月日が刻まれた親柱






橋の上流に架かるJR九州 ( 日豊本線 ) の鉄橋










所在地 / 福岡県築上郡吉富町直江
架橋  / 大正9年 (1920年) 8月
形式  / 9径間桁橋
長さ  /  81m  幅 / 6m
橋脚減少 昭和19年 ( 1944年 )



佐井川橋は、多連鉄筋コンクリート桁橋で、
福岡県西部の大分県中津市と接する吉冨町を流れる佐井川に架かる橋である。
この橋は大正9年にできた多連鉄筋コンクリート桁の橋で、
鉄筋コンクリート桁の橋としては初期の橋でありA級近代土木遺産に指定されている。
橋の魅力は、他に例を見ない9つに連なる桁とドーナツ模様のリズミカルな欄干であろう。

橋は、現在も現役の橋として使用されており、
80年余りこの地区の交通の利便性の向上に大きな貢献をしてきた橋である。
この橋のすぐ上流にJR日豊本線の佐井川橋梁がある。
この橋梁の橋脚も赤レンガ造りの古いものである。
架設年代は分からないが、明治30年にこの線路は開通しているので、この時期の橋脚と思われる。


佐井川橋へのアクセス
佐井川橋へは、国道10号線を行橋から中津方面に向かい、
豊前市から旧10号線 ( 県道113号線 ) を4キロほど行くと、
左手に吉冨中学校がある。その先に佐井川が流れているので、
橋を渡ってすぐ左に200mほど行った所に架かっている。



沖縄県宮古島市 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 船立堂 ( 御嶽 ) 」

2013-03-14 07:03:42 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所





























平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


兄妹 「 かねどの・しらくにやすつかさ 」 を鍛冶神・農業神として祀る御嶽である。
『御嶽由来記』によれば、その由来は 「 昔、神代に久米島按司という人に一人の娘がいた。
兄嫁は邪険放辣な女で娘を邪魔に思い、按司にこの娘には毎夜忍んでくる男がいると讒言 ( ざんげん ) した。
按司はこれを信じ怒って娘を小舟に乗せ沖に流した。
これを見かねた兄は小舟に泳ぎ乗り、妹とともに漂流した。
翌朝、小舟は漲水の浜に漂着。
その夜の夢に神のお告げがあり、兄妹は船立の地に移り、苫屋を設けて住んだ。
里人の水くみや薪運びなどを手伝って暮らしていたが、
やがて妹は住屋里(すみやーさと)かねこ世の主と夫婦となり、9人の男子をもうけた。
成人した子供たちは祖父に逢いたいと思い、母を伴って久米島に赴き、按司と対面した。
按司は先非を悔いて親子の藍を尽し、黒がね・巻物を引き出物に贈って宮古島に返した。
兄はこの黒がね・巻物を基に鍛冶屋を起こし、ヘラ・鎌などの農具を作ったので、
農業が発達し、豊穣の世になった。
万民飢えをしのぎ安楽に暮らせるのはこの兄妹のお陰だとして、
二人の白骨を船立山に納め御嶽の神として崇めた』と伝わっている。
 
主な祭祀として旧11月8日のフーツキヨーカ、旧8月8日のカージャー願い ( 鍛冶祈願 ) がある。
       
所在地 : 宮古島市平良 西仲宗根



熊本県苓北町 「 九州電力苓北発電所専用港放水口灯標 」

2013-03-14 07:01:30 | 熊本の灯台






この灯標も専用港西防波堤灯台同様に九州電力苓北発電所管内にあるため、
遠望での撮影しか出来なかった。
そのうえ許可制の灯台なので、資料がないため詳細については分からなかった。